先日、荒井奈良県知事とお会いする機会があったのだが、そこで話した中でもっとも衝撃的だったこと。
それは今年1月に亡くなった野中広務・元衆議院議員の話だった。
前世紀の話になるが、省庁の統廃合を取り仕切る中で、「林野庁に、建設省の河川局をくっつける案」があったのだという。まさに山と川の行政を一体化し、防災や山村政策の一元化を狙ったのである。
そして、単なる案に留まらず、結構なレベルまで進んでいた。しかし、最後の最後で建設省の反対で稔らなかった、河川局が林野庁と一緒になりたくない! とごねたのである……。
結果的に建設省と運輸省、国土庁などが合併して国土交通省という巨大省庁が誕生したわけだが……もし、河川局が切り離せていたら、もう少し省庁バランスはよくなったかもしれない。同時に、河川と森林・林業行政が変わったかもしれない。
野中氏は、「あれは残念だった」と幾度も繰り返したのだそうだ。
それを聞いて、つい私は割り込んでしまった。
「それこそ、土倉庄三郎の唱えた山川省の設立ですよ!」
土倉翁は、明治32年に『林政意見』を出版している。当時の山林局の政策を批判しつつ、新たな提言をしているのだ。その中に、「山川省の設立」が含まれるのである。
その部分を抜き出すと、

全体を読みたければ
少しだけ読みくだせば
「土木山林の両政務を合して山川省を新設」
「当務者を終身官となし確実の設計に基づき不動の方針に拠り遂行する」
どうだ。単なる行政の統合だけでなく、山や川を預かる者は、終身動かない、つまりコロコロ変わっては計画が練れないと喝破しているのである。まさに現在の猫の目林政、目の先林政にも当てはまるではないか。
ちなみに、この件については、私は5年前にYahoo!ニュースに書いていた。
ま、いまさら省庁の統合を言っても始まらないし期待もしていないが、土倉翁の提案は100年ぐらい経って、実を結びかけた瞬間があったのだなあ……と感慨に耽ったのであった。
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