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2018/05/13

造林地のチャノキから考える山村経済

今年の「八十八夜」は、5月2日だったそうである。

 
あれに見えるは茶摘みじゃないか~♪ と歌われるように、八十八夜は新茶の摘み取りシーズン。母の日のカーネーションの後塵を期したが、ちょっとお茶の話を。
 
 
先に紹介した作業道の悲劇 。この現場から少し離れるが、林床でチャノキを見かけた。
実際に若葉を摘んで揉んで齧ってみたが、茶葉で間違いないだろう。スギ林の下でチャノキが育っていたのである。いまなら一番茶が摘めるかもしれない(^o^)。
 
 
実は、造林地の伐採跡地からチャノキが芽生えることは珍しくない。上を覆っていた木々がなくなり光が差し込むと萌芽するようだ。今回は、作業道沿いであることや、樹冠が未発達の木々が多くて林床に光が入ったからかもしれない。
 
そこで気がついてほしいのだが、チャノキは日本に自生していないはずなのだ。中国原産で、おそらく奈良時代に日本に持ち込まれたはず。実際に、原生的な山奥にはチャノキが生えていた報告例はないそうだ。
 
ただ焼畑農耕とは密接な関係があるらしく。、各地の焼畑を行っていたところには分布している。おそらく大昔に植えたチャノキが野生化したのだろう。
これをヤマチャと呼び、たまにヤマチャから茶を生産しているところがある。
 
九州も、宮崎北部が焼畑で有名であるように、焼畑とともにチャノキも分布したらしい。順序としては、まず食用となる雑穀類が植えられ、次に野菜など、そして茶栽培が行われたとされている。茶は自家用というよりは商品作物だった。
だが、その後より商品となる木材生産が始まり、山の焼畑地も造林に行われていく。その過程で茶畑は姿を消した……とされる。
 
2
 
だが、チャノキはしぶとい。造林地の林床で、ひそかに生き長らえて、木が伐られて明るくなったら芽吹くのだ。
 
つまり、作業道が入れられて崩れた大分の山も、かつては商品作物として茶栽培が行われていたのではないか。。。と想像する。
 
そのように考えると、ほかに育てるものがない山の斜面を利用したのが林業という見方は一面的で、より自給用食糧生産から、より高価な商品作物として茶から林木へと転換した土地という進化形と考えてはどうだろう。
 
木材は自給用としてはたいした量は必要なく、商品として高く売れるから生産するものなのだ。山村社会は、商品経済の発達した地域である……と言える。
 
 
と、まあ、造林地のチャノキから、ここまで連想してみるのはいかが。
茶摘みもしてみたいなあ。。。

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コメント

商品としての茶
そうですね、確かに山は商品の生産場ですね。
多くの造林場は少し前の時代まではカヤ場(自家用、肥料用)であったり炭焼き山(出荷用)であったり
山菜(自家、出荷用)ケモノ(奥州マタギなどの職業猟師)

それらの需要が減り、杉、ヒノキに商品転換したのが今の世代でしょうか
ただ大きく違うのは現金化までの期間

1つの山から現金化するまで茶やカヤなら毎年、炭ならおよそ20年サイクル

木材は早くて5、60年長ければうん百年

経済的には在庫期間は短く現金化は早いほうが良い

そのため里山、裏山、遠山と使い分けていたのが、今は一律、造林山

経済的にみればえらく矛盾したビジネスモデルですね

木材を商品だ、と思いついた時点でツンでいたのかもしれません(^^;)。

もちろん木材を商品にすることも可能ですが、その場合は100年計画で収支を計算する覚悟がいる。面積も年間伐採量の50倍くらいは用意しないと……。

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