目黒で私が訪れたのは林試の森公園だけではない。
なぜ、私が目白界隈を歩いたのか。その理由は、土倉龍次郎にある。
土倉庄三郎の次男・龍次郎は、台湾で事業を興していた。そして樟脳生産、林業、水力発電などの先駆者として大きく羽ばたいていた。とくに1万ヘクタールの山林を租借して行った林業は、いわば台湾の山林王と言うべきものである。
だが、本家の経済危機で全財産を処分して日本に帰る。それから拠点を置いたのが目黒だったのだ。
だから、今回目黒に宿泊すると決まってから、ちょっとその足跡を歩いてみたわけ。
具体的には、まず最初の家は、目黒駅の近くだったそうだ。そこで温室をつくってバラやカーネーション、メロンなどの栽培を始める。やがてカーネーションに絞ってカーネーションの生産と育種に取り組んだ。
だが、目黒駅に操車場をつくる計画に敷地が当てはまって立ち退くことになる。
現在の目黒駅。まったく面影はない(^o^)。
そこで次に拠点を構えたのが、林業試験場の隣だったそうだ。3300坪の敷地に11棟のアメリカ式温室を建てて、カーネーション栽培を展開した。当時のその界隈は、田畑と農家の屋敷林が点在する土地だったそうだ。
これはイメージ。アメリカ式温室なら300坪はある巨大なもの。こんな規模だろうか。
園内には小川も流れていたとか。もっとも、私が歩くと、林試の森の周辺はマンションなどが立ち並んだ住宅街になっていた。わずかに目黒不動尊だけに緑がある。だが、肝心の林業試験場はどうだったのか。
ときに明治40年。林業試験場が作られて日も浅いが、おそらく度々顔を出したのではないかなあ、と想像する。
試験場では、さまざまな樹種を植えてより木材生産に適した樹種を研究していた模様だが、なかには熱帯木もある。台湾に暮らした龍次郎には懐かしかったのではないか。
……そんな思いを持ちながら園内を歩くと、こんな木があった。
コウヨウザンだ。台湾に多い中国杉とか福州杉、広葉杉などと呼ぶ樹種である。昨今は早生樹種としても関心を集めているが、龍次郎もこの木には注目していたようだ。川上村にも植えられているのは、以前紹介した。
もしかして、龍次郎が推薦したということだって……。
現在生えているのは細くて、年数はそんなに経ってないと思われるが、コウヨウザンと龍次郎にはわりと深い関係があるのである。
そんな思いを持って、公園内を歩いていたのさ。
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