毎日新聞奈良県版の連載「大和森林物語 」は続いていて、現在は「紀伊半島の探検家群像」を続けている。
6月12日に掲載されたのは、
松浦武四郎 。これまで野呂介石、植村左平次、森野藤助と続けてきたのだが、無名の人が多い中で武四郎はわりと有名だろう。
ネットの記事には写真が掲載できないようなので、一枚だけ。
大台ヶ原にある武四郎の墓(分骨碑)である。
私は今でこそ森林ジャーナリストなんて名乗っているが、これは世を忍ぶ仮の姿。本来は「探検ジャーナリスト」である( ̄^ ̄)。
その証拠に、20年以上前からホームページで「
知られざる探検家列伝 」を執筆してきた。ま、商業誌からこの手の依頼が来ないから勝手に書いていたのだが、それを今では毎日新聞で行っている気分である\(^o^)/。まあ、一応「
森林物語」とタイトルにあるから、森林も絡んでおり、森林ジャーナリストと探検ジャーナリストの合体かもしれない。
私的には、正確には「探検史ジャーナリスト」のつもりだが。現代の探検にあまり眼を向けず、歴史的なものを漁っているからなあ。
さて、松浦武四郎が生まれたのは1818年。
実は、この年に亡くなった人がいる。伊能忠敬だ。
伊能 忠敬は、1745年2月11日(延享2年1月11日)に江戸で生まれ、1818年5月17日(文化15年4月13日)に亡くなった。
武四郎が生まれたのは3月12日なので、微妙に重なっている(2ヶ月ほど)。
そして気付くだろうか。今年2018年は、忠敬の没年と武四郎の生誕、両方の200年なのだ。ついでに言えば、武四郎は1888年に亡くなったので没130年でもある。
このことに気付いて喜んでいるのは、極めてマニアックなわずかの人だろうな(笑)。
ちなみに、先日訪れた北海道では、いたるところに武四郎と忠敬の名が登場していた。
やっぱり二人とも北海道に縁が深いのだ。(北海道の測量は、間宮林蔵に助けられた面が大きいのだけど。)
もっと、こちらの分野の執筆を増やしたいね。
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