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2018/07/02

小笠原諸島・幻の空港地を歩く

小笠原諸島が返還50周年を迎えるという。一昨日、昨日と記念式典が開かれたとか。

 
そこで小池都知事が飛行場計画を発表している。
 
今のところ約1週間に1本のフェリーしか通っていないのだから、なんとしても空路がほしいのはわかる。だが、飛行機を飛ばそうとしたら飛行場が必要なのが難関だ。
 
 
私が小笠原諸島を知ったのが50年前! まさに返還されたことが、当時の少年サンデーに掲載されて、毎号島の様子がグラビアを飾ったのだ。それは探検に憧れる私の心をいたく刺激したのであった(^o^)。
 
そして、大学時代についに実現。その話の一部は、『森は怪しいワンダーランド』にも記したが、骨に埋まる洞窟を発見したり、オガサワラノスリにアカガシラカラスバトを観察したり、何よりも幻となっていた翼長1メートルのオガサワラオオコウモリを探そうとしたり。
母島の東台の幻のクレーター探索も行った。そのために道なき森を踏破するという危険な挑戦もした。あれは、今でも役立っているな。
 
 
当時から空路を作れないか、という話はあった。
 
そして候補に上がったのが、父島の隣の兄島である。こちらは全島が国有地で、しかも平坦な台地だからだ。しかし、無人島に着陸してどうする。橋を架けるとか、馬鹿な計画であった。
 
そして日本で唯一と言ってもよい貴重な乾性硬葉低木林という植生が広がっているため、自然破壊が危ぶまれた。そこで、私も足を運んだ。小笠原で植生の研究をされていた安田氏に頼んで兄島にも上陸したのである。
 
2 空港建設予定地。
 
Photo かなり岩肌の多い乾性台地。
 
Photo_2 いきなりの裸地。
 
なぜ、ここだけ裸地化しているのか。それは、戦中に兄島にこもった日本軍が、自給しようと畑を作ったからである。そこで何が収穫できたのかは知らないが、おそらく水不足に悩んだだろう。そして、耕すことでわずかな土壌を剥き出しにしたら、数十年後(当時で戦後40年ぐらいか)経っても未だに草も生えない裸地のまま。
 
植生をいじると、なかなか回復しないことを思い知らされる。
 
Photo_3
 
これは、岩に刻まれた矢印。わかりにくいが……。おそらく兵隊が方向などを示したものだろう。ま、私にはインカの遺跡みたいで面白かったのだが。
 
 
兄島空港案は、結局流れた。今回浮上しているのは、父島の須崎案である。
この場所は、もともと砂州が陸地化したところのように思われるが、戦前戦中に飛行場があった場所だ。滑走路は1100メートル程度のものだけどね。今回は、ここに1200メートル、できれば1500メートル級の滑走路をつくろうというもの。多少の埋め立てで済むのではないか、と思われている。貴重な平地ではあるが。
しかし、父島の地形は遠浅ではないから、埋め立ても簡単ではない。だいたい土砂もなかなか調達できない。また船の航路があるから、ここに飛行場ができても、多分管制が難しいだろう。それに小型機しか離着陸できなけれは、せいぜい20人乗りか。それで採算が合うだろうか。1500メートルあれば、50人乗りもありえるが。
 
飛行艇案も根強くある。海に着水すればいいじゃない、事実、現在は海上自衛隊の飛行艇が緊急時に飛んでいるんだから……というわけだ。
 
しかし、これがなかなか難しい。そもそも旅客用の飛行艇は存在しないから、新たに開発しなければならない。自衛隊機を改造するのは無理だろう。まったく設計思想がチガウから、操作性や安全性、乗り心地で合格しないし、民間に操縦士もいないだろう。おそらく観光客が載ったらヘド吐くよ……。
それに乗れても客が10人程度では採算が合わない。
 
話が脱線したが、小笠原の森は独特で、とくに兄島は日本離れした景色でよかったなあ。
 
 

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