毎日新聞の連載・大和森林物語「紀伊半島の探検家群像」⑧ で、大正時代の登山隊の記事を書いた。
最近、毎日新聞のネット記事も有料化が進んで、契約しないと冒頭しか読めないが、それでいい。1915年(大正4年)に、関西の財界人の大登山隊が結成されたことを紹介した。
探検家とは言えないようなお金持ち登山である。その記録が『吉野群峰』と『吉野群峰写真集』にまとめられて報告書となっている。それを読むと、人夫などが31人もおり、毎晩野営地ではワインやウイスキーなどを飲んでいる(@_@)。
それはともかく、気になったのは、その中の写真の1枚だ。
(成瀬匡章氏提供)
これはちょっと一部を拡大しているが、小天井が岳の山腹を進む隊である。
その周りの植生を見てほしい。あきらかに伐採されている。この時代にこの奥山で皆伐が行われたのか。ちょっと意外を通り越して、疑問ばかりだ。
おそらく原生林だったろうから、皆伐してその木をどのように搬出したのだろうか。どこの林業家が手がけたのか。ともあれ、探検めいた大登山隊が行くところに、林業やっている人がいたわけだよ。予想以上に戦前から開発は進んでいたのかもしれない。
ちなみに、この毎日新聞の記事で、写真のキャプションにミスがあった。ネットでは見られないが、大峰山の「鐘掛岩の展望台」の写真に「西の覗き」と書いてしまった。
「写真集」にあったキャプションの転記ミスである。
今度、訂正を出さねばならない(泣)。。。
うちの方の奥山でも90年前に照葉樹林を皆伐して、炭を焼いて、炭を馬車で搬出したという話です。その跡地は二次林ということになっていますが、「樫の木を植えて下刈りもした」と近所の爺ちゃんから聞きました。
投稿: | 2018/09/01 10:59
↑は私です。Win10で早く読めますように。
投稿: 沢畑 | 2018/09/01 11:00