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2018/12/17

高取城址を歩く

先日、高取を訪ねた帰りに、高取城址に登ってきた。

 
高取城は、日本3大山城の一つとか天空の城、日本最強の城など、いろいろな言われ方をする。今や゛高取町の町中には、どこにも「日本最強の城」の幟が並んでいるよ。
 
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なにしろ標高540メートル以上の急峻な山の上に家臣の屋敷まで含めて建設された広大な縄張りの城なのだ。城下町から随分離れているのも特徴。近年の山城ブームで見直され、荒れていた城跡と石垣を整備して、人気スポットになりつつある。
 
この城が築かれたのは、南北朝時代の1300年代前半とされるが、近代城郭になったのは安土桃山時代の1600年前後とされる。なぜ、戦国時代も終わろうとした時代に、こんな巨大な山城を築いたのか不思議。
巨大石垣と急崖の上に立つ天空の都市城郭であることは、インカのマチュピチュと比肩される。ちなみにがマチュピチュが建設されたのは1500年前後とされるから約100年遅いものの、東洋のマチュピチュと呼んでもいいかなv(^0^)。
 
さて、登るために狭い山道を走るが、折しも雨模様でガスがかってきた。これまた雰囲気あるではないか。  
ようやく車を降りてからも、登るのに結構険しい(道が荒れているからでもあるのだが)。
 
 
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ようやく二の丸に着く。山城とは思えないほど広く、また石垣が高い。
 
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こちらが本丸。晴れていたら、奈良盆地南部が見渡せる。
 
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本丸の石垣と巨大な杉。根回り5メートル以上じゃないか。直径で1,5~2メートル級だ。
 
おお、天守閣もあった。。(笑)。
 
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チェンソーアート作品。切株にそのま彫るスタンプカービングというんだったかな。
誰が彫ったのかはだいたいわかっているけどねv(^0^)。
 
この後、急速に晴れて青空が覗きだした。それを待てば、また別の城址風景が見られたかもしれないが、高取城には霧の中にあった方が似合うと思うよ。
 
 
ちなみに、この険しさのゆえ江戸時代の城主・植村氏も太平の世に城を捨てて里に下りてしまった(^^;)。だから廃城に近かったが、幕末に一度活躍している。維新の先駆けと言われる天誅組が、この城を攻めたのだ。城兵は200人しかいなかったが、あっさり天誅組を撃退というか打ち破り撤退に追い込んだことで名を挙げている。
 
やりようによっては、まだまだ歴史ファンのみならず多くの人を集めるネタを作れそうだが、観光バスを入れて土産物店を開くわけにも行くまい。風情を守りつつ活かしてほしい。

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