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森と林業と田舎の本

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2019/01/21

『新・冒険論』と私の探検?論

三浦雄一郎が、アコンカグア登頂を断念したようだ。

正確には、彼をサポートするメンバーが、彼に断念させた。本人は悔しかっただろうが、それに従った。それなりに勇気のいることであり、彼なりの判断である。 
 
ちょうど昨夜、『新・冒険論』(角幡唯介著・集英社)を読み終えたところなので、ちょっと両者の主張・行動を照らし合わせてしまった。
 
Photo  
 
この本は、文字通り「冒険とは何か」を論じており、それを「脱システム」であると断じてその論証を試みている。現代のテクノロジーから人々の関わり、世論まですべての現代人を取り巻く状況こそがシステムとして、それからいかに脱するかを冒険だと定義づけたわけだ。
 
細かな論考は本書を読んでいただきたいが、私も若いころはそんな哲学的な考察をずっと続けていたなあ、と妙に懐かしくなり、当時を思い出してワクワクした(笑)。なんたって、私も探検部出身である。余談ながら今年は静岡大学探検部創設50周年に当たるのだが……。
 
ただ私自身は冒険には興味がなく、むしろ遠ざけており、こだわったのは探検である。本書でも冒険と探検の違いを、どちらもおなじ脱システムだが「探検はシステムの外側の未知の世界を探索することに焦点を当てた言葉」であり、「冒険のほうはシステムの外側に飛び出すという人間の行動そのものに焦点を当てた言葉」と定義している。
 
私流に言えば、探検は未知の知識を求める行為であり、冒険は人間のフィジカルな面を表に出した行為だと分類している。
そして私自身は、学生時代から「できれば毎晩旅館に泊まって温泉浸かりながら探検したい」とうそぶいており、肉体的にきつくて危険な行為はなるべく避けてきた(笑)。探検を行う上で、ほかに手段がないのなら仕方なく肉体を使うし危険なこともするけど、できればしたくないという主義だ(⌒ー⌒)。
 
 
いずれにしろ、私は本書の主張を99%支持する。たとえば北極点到達の場合、GPSを使って進む方向を機械に教えてもらい、物資の輸送や帰り道は飛行機に頼るなんて冒険ではないだろう。それって現代社会の「システム」にどっぷりつかっているではないか。
また本来は脱システムであり冒険的であった登山も、今や山岳会が跋扈してルールが徹底してそれから外れたら指弾される有り様である。百名山ブームとか山ガールブームとかなんだ? ブームというのは物真似だ。もっとも先鋭的だったはずのアルパインクライミングさえ、ネットに掲載されている「みんなの登るルート」ばかりに集中する。
 
そんなにシステムから離れたくないのか。管理されたいのか。そんなの人間として生きる力を失っているんだよ……と著者は書いている。いや、書いていないけど、私は行間から勝手に読み取った(^o^)。
 
冒頭にもどると、三浦さんは年齢という世間の見る目(これもシステム)から脱しようと86歳の高峰登山を企てたのだけど、徹底的にサポート体制を整えたシステムの中に浸かって実施しようとした。結果として、同伴ドクターのストップがかかり、それに従ったのだから、システムから脱することはできなかったのだろうなあ。
 
 
本書の「終わりに」では、誰もが管理されたがる時代となったことを嘆く。それは内向き、不寛容、閉塞……などの言葉で表される現代の日本人の根幹かもしれない。管理されることに慣れきってしまった精神(自ら管理してもらいたがっている精神)があるのではないか、と述べる。
 
なぜ管理されたがるか。自ら判断せず他者に決めてもらったり自力ではなく頼るのか。他者の決めた枠の中から出ようとしないのか。出ようとした人を攻撃するのか。それはシステム内に居すわることで、便利さと安全が提供されるからだ。
 
もっとも震災など大変動の前では、GPSも携帯電話も使えなくなり、ネット情報からも遮断される。電気がなくなれば便利な道具の大半か使えなくなる。そのときこそ「冒険」で培った技術や精神が生きるのかもしれない。
 
さて、私も「温泉付き探検」であっても管理からなるべく外れて生き残る力は保持したい。便利さと安全は求めるけれど、未知は探し続けるだろう。ただ地理的空白がなくなった現在、新たな未知はどこにあるか。
実は森に入ることはその一つである。人の道から外れ獣道に分け入ると意外な動植物に出会う。地表ではなく樹上を覗いてサルの目ムシの目で見ると、景色が変わる。人の痕跡のない場所で森の歴史の痕跡を発見する。方向がわからなくなってテンションがハイになる中で途方もない人類進化論のアイデアを思いつく。
 
 
本書を読み終えた翌日(正確には未明までかかったので 本日)ということで、さっそく裏山の道のないルートを登って遭難してこようと思った。私が遭難と呼んでいる行為は、まさに一時的にシステムから脱出するためだ。もちろんGPSは使わない。ただ夕飯の時間までには帰宅しなければならないというシステムを逃れるのは簡単ではない。
 
ところが、なんと雨がちらつきだした。それに寝不足で体調不良。濡れるのヤだし、安全のためには、こうした日は山に入らない。
 
そもそも道のない山に未知はない……か。う~ん。

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