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2019/02/09

吉野は桐の産地だった

奈良県御所市には、水平社博物館がある。

 
水平社は、部落解放運動の拠点組織である。その「全国水平社創立宣言」は日本で初めて出された人権宣言であり、世界で初めての被差別者が発信した人権宣言とされている。
つまり奈良県は、「日本の人権のふるさと」なのだ。 
 
それはともかく、私はこの博物館近くをよく車で走りながら入館したことがなかったので、先日寄ってみることにした。
 
水平社博物館は想像以上に立派だったが、そこでは水平社設立に立ち上がった御所市柏原の被差別部落について紹介されていた。
 
その展示の中で、柏原が意外や経済的には豊かであったことが示されていた。言い換えると豊かだから運動を起こせたのかもしれない。
 
問題は、その豊かさの源泉。それは屍牛馬からつくる膠産業があったことが大きいのだか、もう一つ注目すべきは、桐材の加工をしていたということだ。 
桐から下駄などを作っていたらしい。その展示もあった。
 
5
 
桐は成長が早いことと、軽い材質が好まれた。桐材の使い道としては桐ダンスなどが有名だが、その産地というのは限られている。
 
ここで使われた桐材は、吉野から出されていたという。つまり吉野は桐の産地だったらしいのだ。これはちょっと驚きだ。それは植林したのだろうか。 
 
ただ、少し心当たりがあるとしたら、土倉庄三郎について調べていたときのことである。土倉家の祖先に当たる人に土倉平兵衛という人物がいた。1600年代の人だが、彼は桐が好きでよく植えたので、法名は「桐安休葉信士」となったそうである。そして、桐を植えたところは「土倉の桐畑」と呼ばれたと記録に残っていたのだ。つまり、川上村大滝に桐の林があったことになる。 
 
もしかしたら、かつて吉野各地に桐が植えられていたのかもしれない。
 
4
 
これは展示物の写真。戦前に吉野郡下市から出された桐の丸太らしいが、こんな大木があったのか。
吉野では、和紙の製造や漆芸があったことが知られており、コウゾやミツマタの栽培と、ウルシノキから樹液を取り漆芸も行われていたと知られるが、もう一つ桐にも注目すべきかもしれない。スギやヒノキばかりではないぞ。
 

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