生駒市には、「生駒ふるさとミュージアム」という小さな資料館がある。元町役場の建物を改造して作られたものだが、そこで「生命育む生駒山」というタイトルの企画展を行っていた。生駒山麓での生業の道具を紹介するという。
その中には山仕事の道具もあるというので、まあ見ておこうかなと訪れる。生駒は、今でこそ「都会(笑)」だが、そもそもは農山村なのである。
……まあ、想像通りで、さして意外感のない展示でした(^^;)。
山道具……というか製材用の鋸や手斧、ヨキ(斧)などが並べられている。そして丸太をくり抜いて作られた水の導管。
説明文も、あまり詳しくないし、得るものはさほどなかった。山仕事の道具と言っても、実際に木を伐りだす仕事はあまり描かれていない。
実際は、結構な木材生産をしていたことは間違いない。私自身が「戦後すぐは山から丸太を橇に積んで牛に引っ張らせて出していた」話を聞いている。それに山には相当な面積の人工林がある。
もう少し突っ込めば面白い展示にできたのに、と思う。
また山仕事の中に、生駒石の採掘、養蚕、茶栽培、そして寒氷(天然氷)出荷も行っていたことを示している。もちろん米の生産も大きかった。
それらの複合経営が山仕事だったのだろう。
そして、生駒に限らず各地の山村でも、実態としての林業は、おそらく木材生産だけではないはずだ。そういう意味では、戦前の農山村の生業の形がうかがえたかな。
どうも現代は、農村、山村と区分けして、その地区の生業は農業、林業、あるいは養蚕といったモノカルチャーを描きがちだが、そうではない産業構造をイメージした方がよいのだろう。
それは生駒山の植生や生態系を考える上でも大きな影響があったはず。
そういや、山の中に、いきなり野生化した茶の木を発見したり、生駒石を掘り出した痕跡があったり、ため池だらけだったり……と不思議な遺構を見つけることがある。それらの多くは、さまざまな生業の痕跡かもしれない。
仰る様に昔の山の仕事は木の伐採・搬出、植林だけでなく、薬草取りや、沢での漁師など、これからの時期には山菜採りがありました。
間伐の足場丸太に始まり、杉皮、燃料の小枝柴の類まで、当時は銭になりました。
木材が高く売れる様になって、こうした副次的な収入は忘れ去られた様に思います。
子供の頃、父に連れられて入った山小屋には、米と味噌の外は現地調達だったのを思い出しました。
投稿: 仁藤 浪 | 2019/03/14 10:39
農業者の別称のように使われる「百姓」ですが、実はこの中に林業などほかの生業も入っているんですね。
専業にするのではなく、目の前にある自然の資源を最大限に活かして生きるなりわい。その一つの要素として林業を考えるべきかもしれません。
投稿: 田中淳夫 | 2019/03/14 23:03
>山の中に、いきなり野生化した茶の木を発見したり、生駒石を掘り出した痕跡があったり、ため池だらけだったり……と不思議な遺構を見つけることがある。
遭難してもタダでは起きないのですね。さすがです。
投稿: 沢畑 | 2019/03/18 11:42
そうです。遭難しているのは仮の姿で、生駒山の調査をしているのです。生駒山の真実の姿を知るためには、必要なことです。そのうち金鉱か油田を見つけようと思っています。
投稿: 田中淳夫 | 2019/03/18 12:06