大極殿の柱から感じる10年
平城宮跡はよく訪ねる。山を歩くのも飽きた、平地が歩きたい気分の時に、平城宮跡はもってこいなのだ。奈良でこんなに平坦なところはほかにないのではないか、と思うぐらい(笑)。しかも草原だけでなく樹木もそこそこある。人が少ない……というより広いから分散して渋滞感がない。そして平城いざない館のほか、朱雀門や平城宮時代の復元建物も数多くあるので歴史にも触れることができる。
で、今回は野外ばかり歩くのではなく、大極殿にも入ってみた。実は久しぶり。2010年に完成以来、十数回は上がったと思うが、ここ1,2年はご無沙汰していたと思う。思えば今年2019年は完成後10年目だ。
緑の芝生と青の空。赤い大極殿。なかなか絵になる。
そこそこ観光客も来ていたが、私はガイドの解説を聞くこともなく、内部を見て回る。天井に描かれた絵などよく見ると、興味深い。
その中でも注目したのが、柱。
やはり10年経つと、直径80センチ級のヒノキの丸柱にも割れが入っている(比較的早く割れた記憶がある)が、それより塗料のはがれが目についた。これはベンガラかね。当時の塗料を再現しているはずだが、このままだと腐りが入りやすい。いつか塗り直すのだろうか。
最近の研究によると、古代人は木材を乾燥させずに使っていた、と考えられている。なぜなら年輪から読み取れる伐採年と建設年がかなり近く、おそらく伐ったものをすぐに加工して建設に供したようなのだ。
「木材は乾燥させないと割れたり反ったり縮んだりする」から未乾燥材を建築に使ってはダメというのは現代の常識だが、本当だろうか。すぐ古代の技術はスゴイと持ち上げたがるが、それも今の醜悪な「日本スゴイ」論と根っこが一緒のような気がする。
木材が長い間にどのような変化をするかの知識を、寿命の短い古代人が身につけるのは難しい。知識の伝達手段も限られている。それに何年も木材を乾燥させていては、建設に間に合わず皇室・貴族や大僧正の不興を買うだろう。
しかし、反ったり縮んで建物のそこここに隙間ができたらどうするのか。柱がぐらつくかもしれない。多分その度、修繕・修整を繰り返したんじゃないかなあ。
ところで、今回の訪問のもう一つの目的。それは南門の建設現場が見学できるようになった、と聞いたから。大極殿前に南門を建設中(国交省事業)だが、この前に開かれた会合で紹介されたのである。
で、行ってみた。
巨大な復原図の描かれた天幕が張られて、その前に見学用のやぐら。だが登って中を覗いても……中身がないのであった(^^;)。まだ礎石を復原しただけだから。
気長に通わないとなあ。。。
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