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森と林業の本

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2019/05/06

連休生駒ガイド・最強の山城は生駒山にあり?

山城ブームなんだそうだ。ただ、生駒山はとくに目立った戦国大名の領地ではなかったためか戦国時代とは縁がなさそうに思われているが……なんのなんの、隠れた山城がたくさんあり、しかも戦国時代に大きな足跡を残しているのだ。

まず絶対に欠かせないのが、飯盛山城。

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生駒山系の北西に位置するが、ここに飯盛山城を築いたのが、三好長慶。阿波の国より畿内に攻め込み、一時は足利将軍を抑えて室町幕府を牛耳った男。つまり、支配地域は畿内周辺に留まったが、全国に覇を唱えたのだ。しかもキリスト教を認可して城下町には教会が建てられキリシタンがいっぱい生まれた。
これは九州・大友宗麟を彷彿させる。キリシタン大名となり、大分県の臼杵の町がキリシタンの町として海外からの宣教師も訪れ南蛮貿易の拠点となっていた。その後大友家の没落とともにキリスト教の痕跡は薄まっていくが、取って代わったのがこの生駒山に居城を構える三好政権だったわけだ。おかげで、城下には日本一古いキリシタンの墓が確認されている。

が、長慶が倒れて政権は混乱し、その中で側近だった松永弾正久秀が頭角を表す。彼が生駒山の南端に築いたのが、信貴山城。

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これは山城として相当巨大な規模を誇り、大和侵攻の拠点となった。そして奈良盆地を支配下に置いて、現在の奈良市にあった多聞城を築く。ここには3層の天守閣に相当する櫓を築いた初めての城とされる。

ただ……大和には仏教勢力が根強く手こずった。三好一族の内紛にも巻き込まれ、東大寺の大仏を焼いてしまったのもその頃。
そこにやって来たのが織田信長。久秀は信長に従って改めて地位を約束されたのだが、後に裏切り、その罰として多聞城はとられてしまう。そして天守は安土城に持って行かれるのである……。

さて、その後久秀は、信貴山城にこもって、再度信長に反旗を翻し籠城する。

こんな感じ。

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生駒山には、今も松永勢が、城を守っているのだよ。500年も籠城している(笑)。

 

あ、これで連休は終わりか。。。私は休んだ気になっていないけど。最初は数日だけシャレで始めた生駒ガイドだが、結構あるじゃないか。まだまだネタはあるので準備していたのだが、気がついたら連休はたった10日しかなかったのだ。。。森や木から離れたネタも楽しいのだが、またの機会に。

 

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