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森と林業の本

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2019/09/24

グレタの言葉と『絶望の林業』

国連の温暖化対策サミットスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説した。その幾つかをネットで聞いて戦慄する。苦手な英語の言葉なのに、その迫力たるや、身体が震える。

ちなみに演説にも翻訳にも幾通りかあるが、私へはクーリエの[緊急全訳]が一番、しっくり来るかな。日本語の言い回しが自然で、内容をよく伝えるだと感じた。

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【緊急全訳】グレタ・トゥンベリ、国連気候行動サミットでの怒りのスピーチ

グレタさん演説全文 「裏切るなら絶対に許さない」涙の訴え

グレタ・トゥーンベリさん、国連で怒りのスピーチ。「あなたたちの裏切りに気づき始めています」(スピーチ全文)

グレタ・トゥーンベリさんによるCOP24でのスピーチ 

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地球温暖化の進行については、よほどの懐疑論者・陰謀論者でないかぎり認めざるを得ない(懐疑論は、すでに論破されている)はずだが、それでも政治家も経済人も、そして庶民も含めて本気で取り組もうとしない。そして言い訳を繰り返す。私自身は、温暖化はもう止まらないだろう、そして対策も、今後、対症療法に終始するに違いない……という諦めの境地というか“絶望”している。

卑小化するようだが、それは今の日本の林業問題への絶望感と限りなく似ている。私が今夏上辞した『絶望の林業』には、日本の森林の危機的状況とそれを招いた林業現場~林業政策のおかしな事例をたんまりと紹介したが、問題の根幹は事例ではなく林業関係者に対する絶望にあるからだ。

今の林業に問題があるのはみんなわかっている。だが問題は、単に政策や行動が間違っているというレベルではなく、担当者はそれが間違っていると知っていても実行していることにある。それに反対するどころかなしくずしに推進する……そして傷口を広げ続ける人に絶望する。

そもそも改革意欲からしてない。私が「絶望」の事例を上げたら怒るでもなく嘆くでもなく、ましてや正そうとすることもなく、面白がる。絶望ネタを漫談のように聞く。一方で改革案の内容も吟味せず、提案や目標そのものを否定する。「どうせ、できないよ」と。「できない」ではなく、したくないのだろう。

今のあり方がオカシイと指摘する人も、世間が変わらないとしてもせめて自分だけは間違った政策に抵抗する……かと言えば、そうでもない。流されるように「間違った行動」をとり続ける。その理由としては、断ったら目先の仕事がなくなる。反対すると世話になった上司が困る。同僚と上手くやっていけない。職場の居心地が悪くなる……。だがそれは、反対したら出世できない、飛ばされる、収入が減る……それがイヤというのが本音だ。
ようするに、自分の収入と日本の森林の運命を天秤にかけて、待遇・収入を守るためには、森林が破壊されても構わない、と言っているだけだ。目先の仕事や人間関係を持ち出して、自分のやるべき仕事をしないでさぼる理由にしているだけ。そして愚痴を言うだけ。結果には目をつぶる。

自分のやるべき仕事のためなら身の回りの人でも切る。。。というのが私の信条だ。だが、世間は“心優しき森の破壊者”ばかりらしい。きっと彼らは、地球が破壊されるときも同じように振る舞うのだろう。そして、嘆く。自分も加担してきたくせに。

だからグレタさんの言葉が刺さる。「How dare you!

 

 

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コメント

本当に身につまされる言葉です。
池内紀著「ヒトラーの時代」ではあの聡明なドイツ国民がなぜナチスを受け入れたのかを論じていますが、そこには何事にも迎合して、日和見主義の小市民の存在をあげています。そしてそれは特別な存在ではなく、(私たちも含めて)回りにたくさん存在しているということです。
あのサミット出席者でさえも自分に対して発せられた言葉だと理解していない人がいるのではないでしょうか。
絶望を希望に変えられる日はやって来るのでしょうか?

学校へ行きたくないだけでしょう
勉強したいけど部屋が片付いてないから勉強できない
といって掃除はじめちゃうのと同じ心理

言いたいことはわかるけれど
伐採=自然破壊は間違いだと思う。

古い木は光合成をする力が弱く
呼吸をする。
枝ばかり伸びて地面に日が当たらないと
山は死んだも当然。
古い木を伐採して植樹して環境を
整えるのが輪業!

彼女の演説に関する日本人のコメントは、みんな彼女を揶揄するものばかり。レベル低いなあ、と思います。

私に森林生態系を説明するヒマあったら、真摯に行動すべきですよ。

お疲れさまです。そしてご無沙汰しております。先程、本を注文しました。届くのを楽しみにしています。しかし、読んだらきっと、怒られている気持ちになるんだろうと想像してます。

いこま様。拙著を注文していただきありがとうございます。もしかしたら3刷版の一番乗りかもしれません(^o^)。

えっと、でもどちら様でしょうか? 「いこま」だけではわからないのですが。

日本の林業に関しては森を守るということより村を守ることが大切だと思うが、林業、農業、水産業と切り離されて考えられていて守るべき人々がその事について考えようともしない、そして考えないよにと国と企業が洗脳しているように感じる。

忘れてはならない事は
我々は奇跡の星で奇跡の瞬間(とき)を生きているということです。

基本は自然に対して謙虚に向かい合うことですね。私が(人間が)第一と思った瞬間に、しっペ返しを食らいますよ。

少なくとも日本と海外の林業を一緒にするなよ

誰に言っているんでしょうね(笑)。誰に。

お疲れさまです。先程、楽天ブックから発送したとのメールが届きました。もし、3刷版の1番乗りならラッキーです!良い事がありそうな気がしてきました!恥ずかしいので本名は名乗りません・・・

いこま在住?? で、林業関係?? 謎です(笑)。

里山、生物多様性、で検索しておりまして、ここに参りました。
ドイツで 1713 年ザクセン(後のザクセン王国)で、森林局長をしていたHans Carl von Carlowitz(ハンス カール フォン カルロヴィッツ)が 【家庭経営情報と確実な 野生の木々の栽培の教え】という著書の中で使用した (森林を) Nachhaltende Nutzung
(長期間維持、継続する もしくは その状態を保つような 使用) というのが最初に使用された言葉として知られる。Nachhaltend(nachhaltig)は形容詞だが、その まま形容詞として 19 世紀になってから フランス語と英語に訳された。 その中で使用された文章は以下の通りだ。 【持続して終わりのない、長期間維持し、もしくはその状態を保てる(保善)ように(森林を)使用 できるように どうやって木々を栽培すればいいのだろうか。 それは、どこの国でも食料に不足することが無くなることができるようにすることと同じように 重 要なことなのだが。】(拙訳です)
ヨーロッパの山と日本のは全く違いますけど。日本の山が廃れると、海も廃れ、近海漁業の漁師も生きていけなくなります。私は高知県出身で、現在果樹、小夏 柚子のこれからに四苦八苦しているものです。あと5年したら世話する人が居なくなり、ゆずは大木に、小夏も茂り放題になって行きます。植樹した果樹なので、里山に根付いていたとは言えませんが、継続保善していくべきです。私はドイツ在住で高知の果汁をフランスに輸出するお手伝いをしています。農家の後継者が定年になってでもいいので帰ってきてくれたらと思ってやっていますが、難しいです。
里山の事も、一括りで語れる簡単な事ではないと考えていまして。
過疎対策から輸出も手伝う様になったのですが、高知県の場合、山林問題も加えて、どういう方法でここを切り抜けるべきか考えています。輸出もできなくなるでしょう。県庁とかはあまり頼りになりません。生物多様性の保護も必要ですが、それよりもまず山を荒らさない様に継続保善しなければ、何もできないです。
空まで続く段々畑も徐々に廃ってきていますし。
こういうことに関して、どう思われますか?


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