「 大阪万博奮戦記」の時代
関西の人以外は、いや大阪の人以外は誰も知らないかもしれないが、2025年に国際万国博覧会が大阪で開かれる。ほとんどの人は興味ないだろうし、情報も持っていないのではないか。
たまたま小松左京の「やぶれかぶれ青春記」(新潮文庫)を読んだ。表題は小松左京自身が青春時代(主に中学~旧制高校)を描いた作品だが、この本自体は30~40年ぐらい前に読んでいる。ただ、今回読んだ復刻版には、第2部として「大阪万博奮戦記」が収録されていた。こちらがショッキングな内容だった。
知る人ゾ知るかもしれないが、SF作家として知られる小松は、1970年の大阪万博のブレーンでもあった。かつて(1980~90年代)は、影の立役者であり万博を主導した人物とさえ思っていたのだが……実は全然違っていたのである。
簡単に紹介すると、もともと新聞の片隅にあった「大阪へ万博誘致?」の記事を読んで興味を持ち、「万博を考える会」を発足させる。万博って何?何をするの?すべきなの? といったことを考える、まったく私的な勉強会であるが、メンバーには梅棹忠夫や加藤英俊など関西の碩学揃い(ただし、当時は30代の新進気鋭の学者というべきか)。そして万博のあるべき姿について意見を出し合っているうちに、本当に大阪万博が決定して、そのプロジェクトの渦中に巻き込まれていくのだ。
肝心の誘致した国は、単なる商品見本市の国際版的な目で見ていて、具体的なことは何も考えていなかった。そこで「考える会」の成果をパクろうとしたわけだ。しかし、それが「理念」の大切さや情報と世界の未来を描く必要性を突きつけたのだから不協和音が出る。それは官僚たちの主導権争いに巻き込まれることを意味し、世間からもまるで「万博成金」扱いされる中、戦い続けるのだ。
実際は、まともな経費も払われないまま、自腹まで切って行う「満身創痍」である。一時は下りかけたのだが、国のためではなく、ましてやお役所のためではなく「人類の未来のため」に引き受ける。小松にとっては戦争時代の総決算的な意味があったことは、前半の青春記から自然と浮かび上がるのだが。(それにしても、この頃の小松は30代前半である。多くの実働メンバーが30~40代。)
……それでも、なんとか動き出し、結果的には大阪万博を成功に導いたのは、小松の周辺の優秀な人々、そして当時の官僚の中にもいた全体像がつかめる人のおかげだろう。この本を読んで、もし小松左京が「万博を考える会」をつくっていず、単なる国際的見本市としての万博だったら、どれほどひどいものになったか想像できる。
……実は、万博当時の私は小学生で学級会の中でも幾つかの班に分かれて万博について勉強し全員の前で発表するという「授業」があった。一生懸命に調べて教室の前で発表するのは、なかなか緊張感のある経験だ。そのおかげか、今でも時代のなにかしらの空気感はつかめるし、万博がもたらした壮大な未来の夢の断片を感じる。
さて、2025年の万博まで約6年。ちょうど小松が考える会のつくった頃だ。果たして見えない裏側で50年前と同じような苦闘をしているメンバーがいるのかどうか。単に「東京五輪の次は大阪万博」と過去をなぞっているだけではないのか。戦後の幾つかの大きなイベント開催によって積み重ねたマニュアルに沿ってオシャレなコンテンツをチョロチョロと並べて、集客だけはできるようなウケ狙いのお祭にしてしまうような危惧を覚える。
正直、今の私は大阪万博になんの期待も持っていない。小松や彼を取り巻いた超エキサイティングな人材が現代にいるように思えないし、官僚社会はより強固に、人材はより小粒になっている。何より時代が違う。未来を見られた当時とは。
高齢化した社会に似合うのは、未来より過去の回顧ではないか。いっそ「絶望の日本社会」をテーマにした方が世界にアピールできるんじゃないか、と皮肉を言いたくなる。世界の反面教師としての日本である。
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