人の道を外れて獣道ファン
運動をしなければならないと思った。
近頃の体調不全は運動不足、それも自然不足にあるのではないか。
思えば夏の間は暑さを忌避して、あまり森を歩いていない。昨日のような森散歩はしていたが、ガッツリ歩かないから不眠や肩こりや胃痛や目の充血……と体調がおかしくなるのだ。
と決めつけて、久しぶりに山に入る。運動だから、ザックに水を詰めたペットボトルを幾本も入れて担ぐ。ざっと5,6キロか。これは小手調べ。徐々に重くしていこう……と思って家を出た。予定していた道はすぐに途切れたので、早速木々をかき分けることになる。未知のない斜面を直登する。蜘蛛の巣が顔にかかる。
……ぜえぜえ。あかん。重い。この程度で足があがらん。体力もかなり落ちていることを自認したのであった。これから鍛え直さねば。
そこに現れた獣道。なかなかくっきり見えて、上等な獣道だ。ここだけなら山の小径に見える。が、後も先もないのだよ(^^;)。
私は獣道ファンである。獣道とは獣(おそらくイノシシ)の通り道だろうが、獣道を歩くと人とは違う視点で山を見られる。何を目的にこのルートを選んだのか、どこへ向かっているのか。そんなことを考えると、思わず自分の人生に当てはめてしまう。人の道から外れて獣道。
ご承知の方も多いが、昨日の朝日新聞の「耕論」の面に私が登場した。千葉の倒木停電から全国の林業危機、森林危機へと話を広げてほしいという依頼だった。さすが朝日新聞というべきか、ひさしく連絡をとっていないかった人から次々とメールなどで「新聞に出ていましたね」と連絡が来る。
このところインタビューやコメント依頼が相次ぐのは、たまたま森林関連の法律が立て続けにつくられたことに加え『絶望の林業』の出版や千葉の災害と森林絡みの話題が相次いだのに森林林業について発言する人物が極端に少ないからだろう。
もっとも、別の面も見えてくる。
先日電話をくれた方は、以前取材した人なのだが、『絶望の林業』を購入していた。幾度も幾度も読み返したという。そして「ようやく林業のことがわかった。私が受けた仕打ちが理解できた」。
ここで、その仕打ちの内容は紹介できないのだが、かなりひどい目にあっている。この人は親から継いだ山を持っているのだが、理不尽な仕打ちにあって七転八倒してきた人なのだ。その過程で林業界に触れたわけだが、理解できないことばかり。
そして「ごめんなさいね」と言うのだ。実は私が取材を申し込んだ際に、県の役人や林業団体など林業関係の複数の人に私のことを訪ねたそうである。「森林ジャーナリストの田中という人は何者なのか」と。
かなり評判が悪かったそうである(^^;)。だから取材時も色眼鏡で見てしまった……。たしかにつっけんどんな対応だったなあ、と思い返す。
私としてはしてやったりである。林業界に喜ばれることなんぞ書いていたら森林ジャーナリストは務まらん。もともと業界に寄り添わない、ニッコリ笑って振り抜きざまに切りつけるのが信条だが、悪評こそ勲章。有り難い。
獣道だなあ。
« 湿原のツリフネソウ | トップページ | NHK番組を見て飢えるナラシカの将来を想像した »
「書評・番組評・反響」カテゴリの記事
- イオンモールの喜久屋書店(2025.02.20)
- 『日本の森林』に書かれていること(2025.02.19)
- 盗伐問題の記事に思う(2025.02.03)
- 『看取られる神社』考(2025.02.02)
- 『敵』と『モリのいる場所』から描く晩年(2025.01.25)
コメント