ダイハツ・ロッキーの思い出
ダイハツからロッキーという小型SUVが発表された。
ダイハツの車としては、テリオス、ビーゴに続くSUVという位置づけだろうか。私的には小型SUVというのは好みのカテゴリーなので気になるところだが、それが今回の趣旨ではない。私の脳裏に引っかかったのは、ロッキーという車名である。
実は、ダイハツは過去に同じくロッキーという小型クロスカントリー車を発売している。位置づけはスズキのエスクードと張り合うつもりだったのか。初代ロッギーの外観は、むしろジムニーに似ている。性能的にも本格的なクロカン車だった。(馬力はないけど……。)
あまり売れずに姿を消したので、知っている人は少ないと思う。しかし、私にとっては思い出の車なのだ。
と言っても私の車だったわけではない。運転したこともない。助手席に乗ったのも、パプア・ニューギニアのニューブリテン島(ラバウルのある島)タラセアという小さな町だ。
ここを訪れたのはもはや30年以上前になるが、タラセアから舟(乗合カヌー)で半島先のブルムリという村に向かおうとしたのだ。そして舟便探しで何泊かした。
と言ってもホテルなどない町である。案内されたのがよろず屋的商店。売店の店主にお願いしたら、そこの裏の空き家に泊めてもらえることになった。舟は数日後に出るとのことだった。
その日、そしてその夜はいろいろあったのだが、翌朝、店に行くと昨日の店主とは別の男がいた。彼はルカス・ワカ。なんでも昨日の男の兄で、彼こそ店のオーナーだったのだ。しかもフォレスト・ミニスターだという。ちょっと戸惑ったが、林業大臣ということ? こんな田舎町に住んでいるのだから、州か県か、自治体の役職かと思った。
挨拶したら、昨夜、ポートモレスビーからもどってきたという。パプア・ニューギニア政府の林業大臣であった。なんと、知らずに大臣の実家に泊めてもらっていたわけだ。実際、その日の英字新聞を開くと、彼の写真が載っていて「ワカ大臣は、将来のために森林資源を保全するため伐採制限を設けることにした」なんて記されているではないか。
それだけでも驚いたのだが、大臣は町を案内しようという。
そこで乗せてもらった彼の車がロッキーだったのだ。(私は当時はこの車種を知らず、ダイハツがジムニーみたいな車を出しているんだな、と思った。)で、大臣の運転でアチコチ走り回る。
まず、大臣のタロイモ畑に寄った。そこでイモ堀りをする。
次に山の上に悪路を登った。そこに戦時中は飛行場があったという。日本軍がつくったのだ。そして米軍が占領したらしい。もっとも、すでに背丈以上の草ぼうぼうになっている。滑走路跡なのか道なのか、ロッキーでぐいぐい走った。かなりの速度であった。
そこで撮った写真。この機体はツインテールの尾翼から、アメリカ軍のB25(もしくはB24)爆撃機だと思う。飛行場に放置されているのだ。
日本人はB29しか知らないが、実は戦時中にもっとも多く製造されて活躍したのはB24と25だ。(B25は、日本を初空襲であるドーリットル空襲に使われた機体として有名だろう。これにあわてて日本軍はミッドウェーに出撃、大敗を被るのだが……。)
そして写真左下に写っているのがロッキー。だから思い出深い車となった。そしてダイハツ・ロッキーの名は、私にはニューギニアの思い出を想起するのである。
このあと、私は沈みそうなカヌーに乗ってブルムリ村へ行き、ダカタウア湖を探検した。
大臣とはいろいろ話したと思うのだが、あまり記憶していない。ただダカタウア湖の森林保護を訴えた記憶はある。この湖で何をしたかについては、『森は怪しいワンダーランド』(サイドバー参照)を参照のこと。
« 診察前に、ちょっと森歩きを | トップページ | 『絶望の林業』平積み店 »
「森林学・モノローグ」カテゴリの記事
- 阪神大震災、改めて思い出す(2025.01.17)
- 雪化粧。そして、うぴ子(2025.01.12)
- ジビエ嫌いのジビエ・ビジネス(2025.01.11)
- 森の奥で根っこを張る(2025.01.05)
- 不入の森、不入の神社、最凶スポット(2024.12.25)
コメント