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森と林業の本

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2019/11/10

Y!ニュース「首里城復元に使うべき木材はスギだ…」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「首里城復元に使うべき木材はスギだ。琉球の歴史をひもとけば見えてくる木材事情」を書きました。

いやあ、まいった。首里城復元の方法が議論されているので、私もイッチョカミしようと、「CLTでいいやん?」とか書いてやろうかな、と思いつつ念のため、琉球王国当時の木材事情を確認しようと、江戸時代初期の宰相・蔡温と「林政八書」の内容を調べだしたら、いやはやハマってしまった。そして薩摩が原木2万本提供というネタまで見つけてしまった。これは面倒になった、と感じた(^^;)。

おかげで方針転換。復元木材はスギ! と決めつけたのである。(タイトルにそう書いたのは失敗した。)

とはいえ、直径1メートル級のスギだって、そんじょそこらにはない。全国では屋久杉並の天然スギか、神社のご神木クラスだろう。日光の杉並木とか、伊勢神宮の境内林とか。。。。だが、ある。吉野にはある。樹齢200~300年のスギ(ヒノキも少し)がごまんとある。いまだに見渡す限り巨木が並ぶ森がそこここにある。もちろん人工林だ。つまり伐って使うために植えられた木々。トレーサビリティも環境負荷も心配しないでよい。スギの大径木をまとまった量を出せるのは吉野ぐらいのはずである。

 

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吉野で見かけた切株。直径1mを優に越えていた。

つまりスギ材で首里城復元をうたえば、業者は吉野に原木調達に走るだろう。私も可能なら空売りしたいぐらいだ(笑)。
もちろん所有者が伐採を了解するかどうかは別。しかし、最近では川上村の300年生のスギ林を伐っている。その一部は明治神宮の鳥居をつくるために使われるそうである。この林地は立木一代限りの契約だったらしく、伐らねばならなかったようだが…。(伐った後の跡地の再造林が決まっていないと聞く。こちらも気になるが、まさか放置はしないだろう。)

もっともスギばかりではなく、沖縄のイヌマキも一部でよいから使ってほしいものである。

そして、地震にも火災にも強いCLTもよろしく。

 

 

 

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コメント

私は色々な意味でCLTには懐疑的です。 貴方もCLTへの補助金を批判されている。
海外の先進国のネットにはCLTの長所とリスクが討議されているレポートが沢山拾えるが、日本にはに当たらない。
保険はどうなっているか、火災になって消火に水を撒いたら、木材の膨張と収縮も特に杉では簡単では無い。
首里城復元に杉は分かるが、CLTを貴方が奨励するのは理解できない。

え~こうした返信するのはヤボなんですが、私が本気でCLTを推薦していると思いました?
これは推進している林野庁を皮肉ったものです。もっとも、復元首里城正殿は観光施設なんだから、100年いや50年持てば十分だとも言えます。

ご無沙汰しています。滝沢志郎です。

CLTでの再建は技術的に無理なのでしょうか、とお尋ねしようと思っていたところでした(笑

スギでいいというのは、私もじつは考えていました。
蔡温はイヌマキかスギで造れと言っていたなあと。首里城は伊勢神宮のように何十年かに一度解体して修築していたので、イヌマキに替えるとしてもそのタイミングでいいのではないかと思っています。
首里城の修築に携わった人たちが、いつか修築に使えるようにと沖縄でイヌマキを育てているので、いずれそれを使えるはずなのです。

ところで、「正確な姿はわからなかったので、推測と想像で建てられた部分が多い」という記述は、かなり誤解を生むのではないかと危惧します。
私の知るかぎり、少なくとも正殿に関しては、非常に正確に復元されています。推測といっても確度の高い根拠に基づいていますし、想像だけに頼った部分はほぼないと言ってもいいはずです。
「往時の形態がわかるものについてのみ復元する」というのが復元のスタンスだったので、内部がわからない南殿北殿などは内部を復元せず、展示スペースや土産物店にしていたほどです。外観すらわからない建物はそもそも復元していないそうです。
じつはこの記述があるために、大変興味深い記事であるにもかかわらず、ツイッターで紹介するのをためらっています。首里城の復元はいい加減なものだったというデマがネットに溢れている現状では、間違いなく誤解を生んでしまうと思うので……。

お久しぶりです。今回の記事では滝沢さんに提供された「林政八書」のお世話になりました。
CLTでも集成材でも私はよいと思う(長持ちするかどうかはさておき)のですが、有り難みがないんでしょうね。

なお「推測と想像」の部分が多いというのは、某研究者の意見を参考にしたものです。
実は、私も「復原」と「復元」のどちらの文字を使うか迷いました。というのは、平城宮の大極殿は「復原」を使っています。どう違うのか外野には無意味なんですが、こちらも推測と想像で建てたものだから「復原」の方を採用したようです。実際、1300年前の大極殿の外観も構造もわかりません。唐招提寺などを参考にしています。
今回は一般的な「復元」の文字を使いましたが、どう評価するかは難しいところです。「想像」という言葉は外してもよいかな、と思います。

ご返信ありがとうございます。

>なお「推測と想像」の部分が多いというのは、某研究者の意見を参考にしたものです。

う~ん、実際に復元に携わった研究者が謙遜で言うなら理解できますが……。
その某研究者とは、もしかしてこの方でしょうか?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47983?page=2

誰の意見かというより、誰も完全な過去の姿は知らない中での再建であり、それに関しての異議はあるはずです。平城宮も、復原すべきではなかったという声は今もあります。草原のままにしておけと。それは各地の復元城郭などでも言われることです。
首里城の場合も、最後まで瓦の色さえ正確なものがわからなかったように、完全な復元とは言えないでしょう。
しかし、歴史をより具体的に感じたい市民にとっては、完全でなくても復原・復元することで過去を思い描けます。もちろん観光施設としての価値もあります。ただ、これは完全な復元ではないと断りを入れることが大切です。拙記事でも、過去の首里城(4代目)と完全に同じように再現したものではなく推測・想像の部分が入っていることを記したのです。
その意味では、時代に合わせて最新の技術・素材を取り入れて再建するのもアリだと思います。CLTに限らず、超現代的な素材と構法を取り入れても面白い。

ご返信ありがとうございます。
完全な復元とは言えないのはおっしゃるとおりです。それは復元に携わった人たちも(より完全を目指したいという意味で)皆言っていますし、時代考証の詳細が書かれた『首里城の復元』でも、複数の可能性の中から最も妥当と思われるものを採用したという記述は散見されます。
とはいえ、復元された建物は歴史学的・考古学的な最適解の結晶ではあり、それを推測・想像と簡単に言われてしまうとなあ……という思いがありました。言葉の解釈の問題で、私がこだわりすぎているだけかもしれません。
ちなみに、瓦の色はほぼ正確にわかっていると言ってよいと私は思います。実際は古いものと新しいものが混在した斑模様で、あんなにきれいな赤一色ではなかったようですが。これも完全に再現できていなかったのはおっしゃるとおりです。
https://twitter.com/mangaryukyu/status/1191165520902377473
https://twitter.com/kina_peechin/status/1189884228303015936

前のコメントでURLを引用した学者が、「消失前の首里城の設計図や画像は残されていなかった」と、どう善意に解釈しても間違ったことを堂々と書いているように、首里城の復元に関してはとにかくネット上にデマが蔓延っています。他分野とはいえ研究に携わっている人でさえそうなので、知り合いの琉球史研究者も困り果てています。それでつい、私も細かいことをしつこく言ってしまいました。申し訳ありません。

本文中のYahoo!ニュースへのリンクが、2年前の記事「国産漆増産は絵空事。江戸時代から日本は漆を輸入していた」に飛びますので、修正をしたほうが良いでしょう。

ご指摘ありがとうこざいます。本当にヘンなところに飛んでいますね。直しました。

京都府北部で加工されたヒノキ材が、10月に那覇市で焼失した首里城に使われていた。

https://this.kiji.is/574895782606931041?c=39546741839462401

ありがとうございます。当時は全国から木材を集めたんでしょうね。幅12センチくらいのヒノキ板なら、まずまず手に入ります。

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