蔦屋家電から考えたこと
広島から帰ってきた。だいたい2日間、ほとんど山の中と飲み屋の中にいた気がする……。
山の中で何をしていたのかは、また語る日が来るかもしれないが、その前に酒で濁った頭で広島駅前を歩いて考えたこと。
広島駅前に「蔦屋家電」があった。書店(でいいのか?)の蔦屋と、家電販売店のEdionが結びついた店舗が展開されていることは私も情報として知っていたが、実際に目にするのは初めて。身近になかったからである。
となれば、入らないわけにはいかないでしょう。本や雑誌と家電をどのように結びつけているのか……。
だが、実際は想像のもう一つ上だった。中に入ると、雑貨や携帯電話のブースなどがあるのは想定していたが、なんと生鮮食料品を売る店、つまりスーパーマーケット状態で、さらに酒屋、自転車ショップ……と何でもアリ状態。今夜のおかずを買うついでに雑誌の一つも、あるいは料理レシピの本の一冊でも買わせようという魂胆か。たしかに連携することで潜在的な顧客開拓にはなるだろう。
ただ、もはや本は従で、販売品の主力は文具グッズや家電・携帯、そして食料品という店舗だ。売上は本以外が圧倒的に大きいのは容易に想像がつく。
そうなのだ、本を売ること単体では経営が成り立たない時代になってきたことを露骨に感じた。言い方を変えれば、本以外の商品の売上で本屋の存続を支えている状態か。
実は、そうした書店形態は急速に増えている。雑貨を扱うヴィレッジバンガードしかり、スタンダードブックストアしかり。そこに、もともと書店なのかどうか怪しい蔦屋が大々的に参入しただけなのかもしれない。多角経営、あるいは事業の多様化は縮小する業界では欠かせないビジネスモデルになりつつある。専門店の時代は終わりを迎えたのかもしれない。
それだけを見ると、本に対する愛情があるから、ほかの商品の売上で本の世界を支えるという“美しい”絵が描ける。だが、そのうち本の販売は家電の販売の足を引っ張っているぞ、という発想になればどうする? さして売れもしない本を置くスペースがもったいないと思えば、本を切り捨てることになるのではあるまいか。すでに本を置いていないヴィレッジバンガードの店舗も登場している。
これって、どこぞの業界でも当てはまるのではなかろうか。木材だけ売っているなんて、時代遅れなのかも。フライドチキンを売って稼いだ金で山を支える覚悟がいる。でも、山に対する思い入れが消えたとき……。
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