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森と林業の本

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2020/02/19

街の緑に土はいらない?

東京ではアチコチ歩き回ったわけだが、そこで、つい目にしてしまう緑がある。

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喫茶店前の緑。2階に届くほどの木が生えている。カポックかな?

路上園芸観察会……とでもしゃれこめばよいのだが、私の場合は別のところに目が向く。すぐ気づくのだが、これは地面から生えているのではない。舗装道路の上だから。当然、プランターか鉢植えだ。

で、下を覗き込むと……いやはや、いずれの植物も小さな鉢であった。写真に写っているものとほぼ同じ。ここから伸びて、これほど枝葉を広げ、2階まで梢を伸ばしているのだ。これは……植物虐待というより、むしろど根性ダイコンなみに評価すべきではないか。いや地面のひび割れから生えているのなら、まだ舗装の下の奥に根を伸ばせる可能性があるが、鉢植えならば完全に限界がある。ほとんど根を伸ばす余地はないだろう。いや、根がいっぱいに伸びたら土さえなくなる。

それでも、これほど育つのだね。植物にとって、土は必ずしもいらないんじゃないのか。ふと、そう思った。

もちろん水耕栽培やロックウールなどのような土を使わない栽培法はたくさんあるのだが、それは土に変わる培地があって、当然栄養も水も(人為的に)与えるというのが前提だ。ここにあるのは……水やりはそれなりにしているのかもしれないが、栄養分の供給はどうしているか。地上部を支える物理的な支柱としての根の役割も怪しい。重心はどこにある。よく倒れないかと心配になる。

 

ついでに、こんな街路樹も。

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街路樹を植える植樹枡はかなり狭い。見た目も幅がないが、多分深さもないのだろう。そこでも樹木(桜)はこんなに太く育っている。根はほとんど地面に盛り上がっている。

大地に根を下ろす……なんて言葉は使えなくなる。植物の生き方を改めて見直したくなった。

 

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