日本の養蜂事始と日本の文化を救った男
先日のミツバチ科学研究会では、私以外に講演が2つあったのだが、気になったのは「日本のセイヨウミツバチ普及のルーツ」だった。
日本の養蜂と言えば、古事記にミツバチを野に放した記述からあるから飛鳥時代の奈良……なんていう話もあるが、いわゆる職業としての養蜂はニホンミツバチでは無理でセイヨウミツバチの導入である。そして、それは明治時代になる。その研究発表があったのだが、これが興味深かった。
名の残っているのは、武田昌次という人物で、アメリカで近代養蜂を見て、明治9年にアメリカから6群を買いつけて日本に持ち込んだ、とされる。ところが、この武田という実物が謎だったのだ。
発表者、貝瀬収一氏および干場英弘氏によると、武田の正体は、幕臣・塚原昌義だという。
塚原は旗本の出身で、外国奉行も勤め、遣米使節にも参加した秀才だったが、幕府が倒れ戊辰戦争で破れると姿を消す。そして忘れられた人物だったのだが、実は名を武田に変えていたのだ。そして明治政府に就職もしていた。その殖産興業の一環として養蜂を始めたらしい。
こうした歴史の襞に隠れた人物と事象はいろいろあるんだろうな、と思う。
先日、気づいたのは、明治期に日本の文化を救ったとされる岡倉天心だ。「文明開化」の名の元に打ち捨てられる古社古や仏像などを救うことに尽力したことで知られるが、彼の運動が実を結んで「国宝」指定につなが古社寺保存法の制定が、明治30年だった。
一方で、土倉庄三郎が「古社寺保存ノ誓願」を政府に出したのが明治29年なのだ。
絶対に連動している(⌒ー⌒)。庄三郎と天心はつながっているはずだ。天心は法隆寺を始めとして奈良の古社寺を回っているのだから。
こうした人脈も追跡したいものである。
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