『破滅の王』細菌兵器R2v
上田早夕里著『破滅の王』読了。ようやくだ。小説の紹介文は以下の通り。
1943年、魔都・上海。ひとりの科学者の絶望が産みだした治療法皆無の細菌兵器。
その論文は分割され、英・仏・独・米・日の大使館に届けられた。
手を取り合わなければ、人類に待っているのは、破滅。
世界大戦のさなかに突きつけられた究極の選択に、答えはでるのか <第159回直木賞候補作>
一九四三年、上海。「魔都」と呼ばれるほど繁栄を誇ったこの地も日本軍に占領され、かつての輝きを失っていた。上海自然科学研究所で細菌学科の研究員として働く宮本は、日本総領事館からある重要機密文書の精査を依頼される。驚くべきことにその内容は、「キング」と暗号名で呼ばれる治療法皆無の細菌兵器の論文であり、しかも前後が失われた不完全なものだった。宮本は、陸軍武官補佐官の灰塚少佐の下で治療薬の製造を任されるものの、即ちそれは、自らの手で究極の細菌兵器を完成させるということを意味していた―。
これは、科学者のドラマだ。科学者は研究だけすればよいのか。結果に何の責任もないのか。そして研究を通して持つ使命とは何か……。
通称731部隊と呼ばれる石井四郎陸軍軍医中将の率いる関東軍防疫給水部本部の下部組織で見つけられた謎の細菌。それは細菌を食う細菌として、当時はまだ未発見のものだった。そこから生み出された強い毒性を持つ暗号名<キング>と名付けられた病原菌R2vは、コレラに似た症状をもたらすが、治療法はまだ見つかっていない。
しかし細菌兵器は、治療法がなければ使えない。敵だけでなく味方も殺すからだ。一方で、研究室の中で生まれた細菌がいくら強力でも、自然界に出すと意外や生存できないこともある。さらに変異を繰り返し人の免疫機能の網をすり抜けると、味方のための治療法も消える。
それを開発した科学者は、世界の状況に絶望し、あえてばらまく選択をする。それで人類が滅ぶもよし、全世界が手を結んで治療法を開発するもよし。しかし、果たして戦争相手と手を結んで治療法を開発できるのか。敵は日本軍、ドイツ軍の中にも、味方は中国、英米仏の中にもいる……。罹患した病人のいる地域を爆撃で焼き払ったかと思えば、菌株を奪い合い殺し合う。個人は国や軍の意志を超えて、何ができるか……研究者、医師としての良心と陰謀。すでに撒かれた病原菌にどう対抗するか。。。という話です。
描かれる戦前の上海は、ノンフィクションのようにリアルだ。さらに満州。そして陥落直前のベルリン。まるで戦中秘史的なノンフィクションかとさえ感じさせる緻密な世界が構築されている。ここに描かれた恐怖を読むと、新型コロナ肺炎なんぞ、かわいいものと思わせる。同時にパンデミックがいかに起こるか疑似体験できるだろう。
未知の細菌がどのように振る舞うのか想像するのは、現実でも難しい。政府の不手際を攻めるのもよいが、常に想定は外れると思ってよいだろう。新型肺炎だって、最初は獣⇒人だけと思われたのが、人⇒人感染が明らかになり、それも接触感染だけかと思われていたのが飛沫感染もするとわかり、今は空気感染さえ疑われている。そのたびに対策は変えざるを得ない。そして後手に回る。思えば人は、長い歴史を通して常に病原菌と寄り添って生きてきたのだから、オタオタしても無駄だ。
しかし……最大のショックは、最後の1行だった。未知の病原菌が蔓延する世界は、虚構ではなかったのか。慄然とする。
« 水天宮の供え物 | トップページ | 日本の養蜂事始と日本の文化を救った男 »
「書評・番組評・反響」カテゴリの記事
- イオンモールの喜久屋書店(2025.02.20)
- 『日本の森林』に書かれていること(2025.02.19)
- 盗伐問題の記事に思う(2025.02.03)
- 『看取られる神社』考(2025.02.02)
- 『敵』と『モリのいる場所』から描く晩年(2025.01.25)
コメント