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森と林業の本

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2020/02/29

日本に土地所有権はなかった

先日の会議でお会いした藤田達生・三重大学大学院教授の話は面白かった。藤田教授は日本近世国家成立史の研究を手がけて『藩とは何か』(中公新書)などを書いているが、日本における所有権の変遷について語られたのだ。

古代国家の成立時には、「公地公民」、つまり土地も民も天下(天皇)のものであった。時代が進むにつれて荘園などが発達し私有化が進むのだが、戦国時代から江戸幕府ができる過程で御破算になる。江戸幕府は土地の所有権を認めていないというのだ。だから大名の「国替え」なんてことが平気で行えた。江戸の大名屋敷も点々としていたらしい。位が上がると大きな屋敷に移るからだ。農民も、新田開発などをすると、集落中で土地の再配分などをするのが当たり前で、自分の土地を代々引き継ぐというものではなかったという。あくまで土地は天下のもの、それを使う権利を分割しているだけにすぎない。……この理屈は、現代の中国と同じである。
それが明治政府になって、欧米風の個人所有を認め、代わりに課税するのだが……。だから現在の土地所有権は、たかだか150年に満たない存在なのだ。

これを聞いて、私は、ピンと来た。江戸時代の吉野の山林所有について調べた際に、実は現代的意味による「山主」はいなかったのではないか、と気づいたからだ。つまり山主は森林の土地を所有していなかった。ただ、山に生えている林木に所有権があった。それが「立木一代限り」の制度で、吉野が借地林業と呼ばれる形態の元でもあるのだ。さらに立木の管理者として山守が登場して、所有と管理の権利が分離されていく。

明治になってから形だけの「山林所有」権も示されるものの、吉野では江戸時代的に立木権と土地所有権は別のものとしていたのだ。それが完全に崩れて山主=山林所有者になるのは戦後だろう。そして、立木権を保証するものとして「立木ニ関スル法律」がある。先に紹介した立木法だ。

このことは、もっと認識すべきではないか。本来森林は天下のものであり、個人(山主)が独占してよいものではない。現代の山主には扱う権利と義務が与えられている(発生する)だけだ、と捉えると森林(山)の扱い方が変わってくる。山主の一存で森を破壊してよいものなのか問われるだろう。

森林は天下のものと定義づけることで、所有権の壁をぶち破り、それを「預かっている」山主の権利と義務を明確化する。それを破壊的な無茶な施業を許さない理論的根拠にできないか。。。。もちろん、現在も「公的存在」という形で所有者の義務を規定しているのだけど、実質的には有名無実化というか、所有権の制限は極めて難しい。世界一強い所有権と言われるほどだ。

でも天下=国=政府=林野庁なんて発想で、しゃしゃり出る役所があったら困るけどね。
国有林をまるで自分のものとして、民間に樹木採取権を賦与する……という発想になるのは本末転倒だろう。

 

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