台湾の植林史の始まり
このところテレビを見ていると、真昼や深夜だけでなくゴールデンタイムでさえ、ACジャパンの公共広告が流されている。最近は、イヌネコを捨てるな、ちゃんと最後まで面倒みろとか、防災がどうのこうの、癌検診、ちゃんと受けましょうね……なんてコマーシャルが目につく。
ようするにこれは、企業の広告がない場合に代わりに使う広告だ。無料の代わりに放映料も取らない。テレビは番組放送中に何も流すCMがないときに流す。大震災のときも、テレビはこれ一色だったが、ようは新型コロナ肺炎は、それに匹敵する災害ということか。言い換えると、広告を打つ企業がガタヘリしているのだ。
経済が傾きだした証拠だろう。
私は私で、確定申告の期限が延びたということで、今頃まだごそごそやっている。すると、届いていない支払い調書を発見したり、新たな経費を計上したり。さらに忘れていた原稿を発見して、焦って書いたり(^^;)。
一方で取材しづらい。みんな休んでしまっている。締切りまでにできるかどうか際どい。それに図書館が閉まっているのも結構な打撃。私の仕事は、結構文献探しが大きいから。とはいえ、ネット時代が救いだ。頑張ってネットでネタと文献探しをする。
それで気づいたのだが、1917年発行の「台湾の植林の歴史と現状」というのを発見した。
台湾に苗畑を開いて研究したというのだが、それが明治28年12月。これって、台湾を日本が領有した直後だ。この時期に早くも植林計画を進めていたのか。これは後の林業試験場になるようだ。日本が台湾で林業を行おうとしたのは、かなり早い時期からだったのだ。
興味深いのは、冒頭で台湾の山が荒れていることを記している点。薪に不自由するほどであったという。これは清国時代に乱伐をしたせいだとしている。イメージ的には、当時の台湾は未開の緑溢れる島なのだか、それほど単純に見るべきではないかも。
気になるのは、同時期に土倉龍次郎も林業の計画を立てて動いていたこと。そして一万町歩の山林を租借して、そこに独自に15ヘクタールもの苗畑をつくっている。どちらも台北近郊だし、わりとダブっているのではないか?
この点を調べだすと、また深みにハマりそうである。ただ、龍次郎の台湾時代を追いかけるヒントになるかもしれない。……て、こんな記事を書かしてくれるところはない。締切りのある記事は、何をテーマにしよう。。。
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