無料ブログはココログ

森と林業の本

« 新生活?新緑浴? という新言葉 | トップページ | 森林・林業白書~特用林産物・漆で考えた »

2020/06/17

Y!ニュース「潜在自然植生の森を人がつくる危うさ……」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに『「潜在自然植生」の森を人がつくる危うさを橿原神宮で感じる』を執筆しました。

これは知っている人は知っている、毎日新聞奈良県版で連載している「大和森林物語」で取り上げたテーマを整理して、改めて考えてみたもの。

連載では5回かけて橿原神宮の森(58~60)と神武天皇陵(61)、そして畝傍山(62)の植生を成り立ちも含めて紹介した。ようするに、いずれも人がつくったもの、それも明治時代に行ったものであり、太古の自然のままじゃないよ、ということだ。

もともとの意図は、奈良にだって明治神宮みたいな人工でつくった豊かな森がある、ということを知らしめようというテーマであった。ところが取材で現地を訪れて驚いた。橿原神宮の森、大丈夫? 状態だったのである。そして隣の御陵の森を覗くと、あら意外や豊かじゃないの。同じ時期に同じようにつくったはずなのに……と疑問を持った。それを連載の記事に記したのである。

このシリーズの連載は今日で終わったわけだが、改めて感じたのは、人が森をつくる際の樹種の選定の危険性。

明治神宮は本多清六を始めとする林学界の錚々たるメンバーが参画してプランニングしたが、橿原神宮を手がけたのは、その下で働いた造園家の田坂美徳だった。政界からも「早く万葉の森を」という要求があった(たった2年半で作れ、だった)。本多が大隈重信首相の意見に逆らってまでつくった森とは違う。

そして「理想とする森の形を最初からつくるために植える樹種を選ぶ」という発想は、アノ「潜在自然植生」の植林と同じじゃない? ということだ。たしかに、潜在自然植生の木を最初から植えた土地では、みんな不健全な森になって……いや、森にもなっていなかったりする。

はっきり言って、宮脇昭にケンカを売っている(笑)。

 

さて、来週からの新シリーズ、何を書くか? 取材も急がねばならんのになあ。

20200617_190750_20200617235201

« 新生活?新緑浴? という新言葉 | トップページ | 森林・林業白書~特用林産物・漆で考えた »

取材・執筆・講演」カテゴリの記事

コメント

潜在自然植生の植栽が悪いことだとは思っていませんが、初期の手入れだけであとは勝手に生育していくものだと思ってるから危うい山になっていくのだと思います…白神山地のブナ林などもそうですが、いわゆる原生林が極相的な構成でありその前身となる森林があったから存在できるということを森作りをする人は知っていてほしいものです。

森は、予想通りになかなか遷移しません。放置したら豊かな森になる場合もあれば、いくら手を入れても想定外の状況になる場合も。
やはり、ずっと見守っていかないといけません。
ちなみに白神産地のブナ林は極相ではないでしょう。もともと伐採跡に成立した二次林ですし。今後、どのように遷移していくかわかりません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 新生活?新緑浴? という新言葉 | トップページ | 森林・林業白書~特用林産物・漆で考えた »

September 2024
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

森と筆者の関連リンク先