土倉庄三郎の「吉野の桜」
吉野の金峰山寺に行ってきた。東大寺の大仏殿に次ぐ大きさの木造建築とされる蔵王堂で有名だ。
かつて金峰山寺と言えば、吉野山全域から大峰山まで広大な面積を寺領として抱えていた。今は、蔵王堂周辺と、大峰山の山頂を含む一部になってしまったが……。ただ、広い境内の各所に桜は植えられていたようである。
さて、そこで聞いた話。
明治初年時、廃仏毀釈で廃寺となった際に、桜を伐って売り払う計画があった。それを押しとどめたのが土倉庄三郎。大阪の商人に売った500円に加えて500円を渡して、これで桜を守れ、受け取った代金は返せ……と言った逸話が伝わる。だから、吉野の桜は実は土倉家のモンだと言うのだが……。
本日、聞いたのはちょっと違っていた。
たしかに庄三郎から500円を受け取ったのだが、すでに村人は桜を伐ってしまっていたというのだ。今で言う中千本、上千本の桜は伐ってしまい、下千本(千本と書いてちもと、と読むらしい)だけしか残っていなかったと。。。。
おい、それじゃ騙したことになる(笑)。先に受け取った500円を大阪の木材商に返したのかどうか怪しい。もっとも、庄三郎はしょっちゅう吉野山に通っていたらしいから、そんなことは百も承知なのかもしれない。今となっては笑い話である。
なお日露戦争後に、今の中千本(中腹)に傷痍軍人らによって植えられ、さらに昭和になって上千本(尾根)にも植えられたというから、意外と現在見ている桜の歴史は浅い。下千本はともかく、吉野全山が桜に埋もれている……という形容が成り立つのは戦後なのかもしれない。ちなみに戦後は奥千本が植えられている。
蔵王堂。やはり大きい。それにゴツゴツしていて、木材の地を感じる。建設年代は、現在の大仏殿(江戸時代)より前。おそらく豊臣秀吉の寄進らしい。
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