無料ブログはココログ

森と林業の本

« 「GBO5」って、知ってる? | トップページ | 奈良県フォレスターアカデミーの概要公表 »

2020/10/03

土倉庄三郎の「吉野の桜」

吉野の金峰山寺に行ってきた。東大寺の大仏殿に次ぐ大きさの木造建築とされる蔵王堂で有名だ。

かつて金峰山寺と言えば、吉野山全域から大峰山まで広大な面積を寺領として抱えていた。今は、蔵王堂周辺と、大峰山の山頂を含む一部になってしまったが……。ただ、広い境内の各所に桜は植えられていたようである。
さて、そこで聞いた話。

Dsc05922 山伏もマスク姿。

明治初年時、廃仏毀釈で廃寺となった際に、桜を伐って売り払う計画があった。それを押しとどめたのが土倉庄三郎。大阪の商人に売った500円に加えて500円を渡して、これで桜を守れ、受け取った代金は返せ……と言った逸話が伝わる。だから、吉野の桜は実は土倉家のモンだと言うのだが……。

本日、聞いたのはちょっと違っていた。

たしかに庄三郎から500円を受け取ったのだが、すでに村人は桜を伐ってしまっていたというのだ。今で言う中千本、上千本の桜は伐ってしまい、下千本(千本と書いてちもと、と読むらしい)だけしか残っていなかったと。。。。

おい、それじゃ騙したことになる(笑)。先に受け取った500円を大阪の木材商に返したのかどうか怪しい。もっとも、庄三郎はしょっちゅう吉野山に通っていたらしいから、そんなことは百も承知なのかもしれない。今となっては笑い話である。

なお日露戦争後に、今の中千本(中腹)に傷痍軍人らによって植えられ、さらに昭和になって上千本(尾根)にも植えられたというから、意外と現在見ている桜の歴史は浅い。下千本はともかく、吉野全山が桜に埋もれている……という形容が成り立つのは戦後なのかもしれない。ちなみに戦後は奥千本が植えられている。

Dsc05947

蔵王堂。やはり大きい。それにゴツゴツしていて、木材の地を感じる。建設年代は、現在の大仏殿(江戸時代)より前。おそらく豊臣秀吉の寄進らしい。

 

« 「GBO5」って、知ってる? | トップページ | 奈良県フォレスターアカデミーの概要公表 »

土倉家の人々」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「GBO5」って、知ってる? | トップページ | 奈良県フォレスターアカデミーの概要公表 »

December 2024
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

森と筆者の関連リンク先