板垣退助の洋行費と、土倉庄三郎
先日の「英雄たちの選択」(NHKBSプレミアム)では、板垣退助と自由民権運動を取り上げていた。
私的には自由民権運動から秩父事件までの流れは、わりと興味のある部分なのだが、問題はなぜ自由党が瓦解し運動も挫折したのか、という点だ。番組では、板垣退助がヨーロッパ視察、いわゆる洋行に出てしまったことを指摘している。この洋行は、政府側が仕掛けて、費用も政府が出していたと言われ、「明治最大の疑獄」扱いとなり、それによって民心が離れるとともに一部が過激化したとされる。
なぜ板垣は政府の金と知りながら受け取ったのか……と番組では展開する。MCの磯田道史は、「板垣は、自分はまだ政府の一員という意識が抜けられなかったのだろう」と言う。それは違う。
なぜなら洋行費は、土倉庄三郎が出したからだ。政府の金ではなかった。
そもそも運動に飽きた後藤象二郎が、政府にこの陰謀(板垣を洋行に行かせて、運動をつぶす)を働きかけるのだが、そこで政府は三井銀行に2万円出させている。それを蜂須賀子爵を経由して後藤が受け取った。しかし、板垣のところにその金は渡っていないのである。おそらく後藤が着服したとされる。
また板垣も、政敵から金を受け取るわけにはいかないことぐらいわかっている。そこで土倉翁に出資を求めた。
その証拠の5000円と3000円の領収書が見つかっている。残りの1万2000円の領収書は行方不明なのだが、もしかしたら証書なしで寄付したのかもしれない。
面白いのは、庄三郎自身の手による寄付の記録だ。私の発掘( ̄^ ̄)。
赤字のところに、板垣伯洋行費用として1万円と記されている。あれ、2万円じゃなくて1万円だったの?
しかし、土倉家内では2万円渡したと伝わっている。次男龍治郎の嫁リエが直接聞き正した記録があるのだ。
……ここの詳しいところは謎だ。ただ、上記の寄付目録は、板垣洋行費の出所を語る際に欠かせない発見で論文にしたっておかしくないのだが、いまだに学者の誰も借りたいと言ってこない(笑)。
先の「吉野山の桜」といい、今年は何かと土倉庄三郎の逸話の裏側が浮かび上がりつつあるのだが……庄三郎生誕180年である2020年も暮れていく。
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