土器が引き起こした森林破壊
j栃木県益子町から採取した土壌に含まれる花粉の種類と個数を調べ、8~10世紀に盛んに行われた須恵器生産のため、植生が変わったという研究が好評されている。
栃木県南部益子地域における過去1400年間の植生変遷と人間活動の影響
具体的には、アカガシ亜属(アラカシ等)やコナラ亜属(コナラ等)の樹木は減少し、代わってクリ(クリ属)が増加したという。
ちなみに須恵器は、朝鮮半島から伝わった土器で、日本古来の縄文式土器や弥生式土器、そして土師器よりも焼成温度が高くて窯の温度を上げるのに燃料を多く使ったから……と推定している。ま、みんなブナ科じゃねえか、と思うと、この差がわからんのだけど。アラカシやコナラばかりを土器を焼く燃料にしたってこと? クリだって燃料にならないわけはない。クリを燃やしても温度が上がらないのか。
ただ地元の生駒山も、須恵器や黒色土器、そして平城京の瓦などを大量に焼いたことで植生が変わったという報告が出ている。ただ、益子焼の生産が開始された19世紀中頃以降における樹種構成の変化はほとんど認められなかったそうで、その理由に益子焼は少ない燃焼材で生産可能であったため。また化石燃料が用いられるようになったことも要因として考えられる……としているのは解せんなあ。
生駒山の某所で私が盗掘した土器(^^;)。窯跡が見つかっている近くの灰原で発見。
益子焼に関しては、ウィキペディアによると、
江戸時代末期、嘉永年間に常陸国(現笠間市)で修行した大塚啓三郎が益子に窯を築いたことにより始まったとされる。益子焼の陶土は、豊富にあるものの肌理が粗く精巧な器を作るには向かなかったため、当初の益子焼は主にみずがめ・火鉢・壺などの日用品として製作されていた。その後1927年から創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。
とのこと。
益子焼は、陶器であるから土器より高温で焼いたのではないか。それなのに少ない燃料で焼けたのか? さらに磁器となるとさらに高温ではないのか。幕末ともなると、すでに石炭が燃料として使われていた時代だが、栃木県で入手可能だったのか。
ところで、こちらは信楽から伊賀地方の粘土鉱山。グーグルで見たとおり、ごっそり山を削っている現場。まだ現役の鉱山だ。主に長石を掘っているらしい。磁器の原料だ。
これも、そのつもりで見ると大変な森林破壊であり、植生の変化をもたらしているねえ。見たところマツが多いのは、やはり土壌を剥いでしまったからか。もともと古琵琶湖の湖底だったから比較的平坦だけど、粘土を掘り取ることでより平地を増やしたかもしれない。
部分的に国有地もあったようで、森林管理署が植林していた。何の木かわからないが……。それにシカが多いので、食われちまっているようだ。
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