朝日新聞・明治30年の「殖林行賞」記事
わけあって、明治30年の朝日新聞を読む必要となり、図書館に存在を確認してから足を運び、オンラインで読んできた。そして紙面をプリントアウトするまで、泣かされた。・゚゚・(>_<;)・゚゚・。のだが、なんとかやり遂げる。
しかし、A3版にプリントしたものの、字が小さすぎて、それをまた拡大コピーをするという面倒くささ。当時は文語体であるのに加えて、句読点もなく、また行替えも極めて少ない。さらにタイトルでさえほとんど級数を上げない。もちろんゴチック太字にするとかの配慮もない。そもそも印刷もかすれているし……辛いわあ。
ともあれ、これからコツコツ読むつもりだが、ふと目的の記事の並びにあった記事に目がとまった。
気になる人は、読みにくいだろうが、頑張って読んでくれ(笑)。
小さな見出しとして、「殖林行賞」とある。当時は殖の字を使っていたのだ。(土倉庄三郎もそうだった。)それとともかく、記事によると香川県のニノ宮村の森小八郎の亡父は、山が荒れて土砂流出・河川の氾濫などの災害を引き起こすので、一念発起して「山林培養」に取り組むのだ。共有林100数十町歩のうち42町歩に樹植を断行する。……これらの言葉遣いも面白い。
が、ここで私が注目したのは、「頑民」の攻撃容易ならざる、という点だ。そして苗を抜き焼いてしまう……というところ。頑なな村民、という意味か。
これ、今の世の中だとピンとこないかもしれないが、一般に植林は嫌われた。草地のままにしておいた方がよいという発想があったからだ。なぜなら草は刈り取って家畜の餌になるほか、堆肥にできるのである。また雨が降ったら、すぐに水がたまるのは、草山の方だ。樹木が生えていると水は減ってしまうことを経験則で知っていた。だから山林より草山の方がよいという思いが「頑民」にはあったのだろう。だ。そこに木を植えることは許せない行為だったのだ。
現在なら、植林と言えば善、正義。山に森ができたら水が増える「緑のダム」だとか言いがちだが、実は科学的には疑問がある。樹木より草の方が生長がよい(生産力が高い)し、水の総量を増やすには、木が生えていないほうがよい。昔の方が正しい知識を持っていたことになる。
それでも山林をつくることは、土砂崩れを防ぎ、木材や木の実という商品価値のあるものを生み出す。獣も増える。結局、小八郎の父は苦労して植え続けて、とうとう山に森を作り出した。すると土砂防止の効果も出てきて、木材生産の利益も出て、とうとう表彰されたというのであった。木杯一組を下賜された、とある。これが「殖林行賞」か。
森林に対する理解も、時代によって違うことを古い新聞記事で読み取るのも一興ではないか。
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