十一面観音像と国宝制度。そこに土倉翁
10日夜のNHKの番組「歴史秘話ヒストリア」で奈良県桜井市の聖林寺の十一面観音像を取り上げていた。国宝第1号とも言われる仏像だ。
小さな山寺に奈良時代の至宝がなぜ隠されていたのか。そこには廃仏毀釈など、明治初年に吹き荒れた嵐があって、多くの仏教文化財は破壊された。ただ壊されないよう隠された宝もあったのである。その一つが十一面観音像だった。
それをアメリカ人のフェノロサが見出し、この価値を広く世間に知らしめるとともに保護するために運動して、日本に国宝制度ができたという。1897年(明治30年)のことだ。これは旧国宝制度だが、成立すると最初に指定された国宝の一つが十一面観音像なのである。なお1951年6月の新国宝制度に移管されたが、その第1回の国宝にも選ばれている。
私も、この寺を訪ねたことがある。もっとも十一面観音像を拝観したい……といった深い思いはなく、通りがかったから覗いていこうか、ぐらいの気持ちであった(笑)。ほんと山の中腹の小さなお寺なのよ。そしたら結構なものがあるじゃないの。ふらりと小さな寺に寄ると、国宝や重要文化財があったというのは、わりと奈良ではよくある出来事v(^0^)。生駒市にも国宝、重文のお寺はいくつかあるのだよ。
聖林寺は山の上にあり、周りが高い石垣の積まれた古刹だが、たいして大きくもない。ただ眺めはよかった。
本堂もさして広くないが、そこにあるの仏像群がすごい。なかでも私は、本尊である子安延命地蔵菩薩(石仏)が気に入ってしまった。巨大な1枚岩を彫った地蔵さんは見事なものである。「3人の石工が数日かけて完成させたと伝わります」とあるが、数日で.彫れたの?と驚いてしまう。
が、しばらく前に座って眺めていたら、肝心の国宝を忘れてしまうところだった。十一面観音像は、別の収蔵庫に安置されているという。そこまで長い階段を登って……。
仏像の写真はとれないのでパンフレットを紹介しておく。
この仏像をフェノロサが“発見”したのは、明治20年(1887)だそうである。そして国宝制度が誕生したのは、1897年。この間、国宝だけでなく神社仏閣、そして仏像など文化財を守れと運動したのは、フェノロサや岡倉天心などを始めとする中央の人だけではない。奈良にもあった。その中心にいたのが土倉庄三郎である。
1896年(明治29年)1月、『古社寺保存ノ請願』を貴族院議長や衆議院議長に提出しているのだ。その文面の一部を紹介しよう。
奈良の45社寺連名で、その価値を訴えて、欧米諸国の文化財保護の実態も紹介しつつ請願している。奈良県も頑張ったのだよv(^0^)。こうした運動が奈良にもあったことも知っておいてほしい。
なお、この文書を発掘したのは大和高田市の医師・吉絛久友氏である。
また新たに始まる大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一と庄三郎は親しく交わっていたこともお忘れなく。
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