林業経済学会シンポ~帝国日本が台湾で行った森林政策
先週3月24日に、林業経済学会の春季シンポジウムが開かれた。私は学会員でもないのだが、今回はオンラインで行う上、部外者もOKということから拝聴させていただいた。
というのも、テーマが「近代化と森林管理 : 知の普及に注目して 」だったからである。と言ってもピンと来ないかもしれないが、事例として取り上げたのが、日本の領有した期間の台湾における森林開発だった。
私は、植民地林業に面白さを感じていた。一般の理解というかイメージとしては「本国が征服者として植民地の資源を収奪したのだろう」と思ってしまうのだが、こと森林に関してはそうではないかもしれないのだ。森林開発に赴いた森林官は、母国ではできなかった「理想の林業」を植民地で展開した、という逆説が成り立つかもしれないと感じていたのである。
林業だ森林利用だというと、どこも長い歴史の間に地元住民と為政者によってがんじがらめの慣習や約束事ができてしまう。そこに近代的な科学知識に基づく林業理論を持ち込んだって、なかなか採用されない。それどころか反対されて追い出される。そんなところに「フォレスター症候群」と呼ばれるような、よそ者の森林官が机上の空論をぶって地元で浮いてしまう現象がある。
さて、日本の試みはいかがだったか?
シンポでは、2本の講演が行われた。
中島弘二(金沢大学) 日本帝国における森林の開発と保全―台湾を事例に―
竹本太郎(東京農工大学) 日本帝国における植民地森林官の思想と行動:齋藤音作の前半期の足跡から
実は、斎藤音作は赴任してすぐに玉山と阿里山に登っていて、その行程に私は興味を持っていたのだが、それはまたの機会に。
ここでは中島氏の森林開発の歩みに注目したい。
なぜなら常に森林の保全がテーマになっているからだ。ある意味、環境林業の萌芽が見られる。
そのための森林計画なども興味深いが、わかりやすい例として、造林がある。実は伐採より造林面積の方が圧倒的に広いのだ。
これは論文の中のグラフだが、まず樟脳を取るクスノキを絶やさないようにクスノキの造林を大々的にやっている。で、伐採を示す折れ線部分は、はるかに下の方。圧倒的に造林の方が多い。そうか、土倉龍次郎が行った1万ヘクタール借地による林業も、その枠の中に入っているのか。
実際、日本が領有した頃の台湾は、はげ山だらけだったらしい。焼き畑が多く、清国の野放図な伐採が続いていたからだろう。そこで日本は、せっせと木を植えたという。さらに先住民の森林利用の研究も行っていて、その智恵を収集した研究者もいた。おかげで現代の台湾人学者から非常に高く評価されている。う~ん、なんかこそばゆい(^o^)。
一方で先住民を弾圧したため、霧社事件などさまざまな反乱事件が起きたとされるが、少なくても森林官は、先住民の森に手を付けないよう頭を巡らせ、彼らの生活を守ろうと努力した跡も見受けられる。
ここに「理想の林業」を追求した日本の森林官を思い描けるのだ。もちろん、昭和に入って戦時体制が進む中で、その理想どおり進められたとは言えないのだが……。
ああ、日本の林業には絶望している私だが、どこか“植民地”で理想の林業を描いてみたい(⌒ー⌒)ヾ(- -;)
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