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森と林業と田舎の本

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2021年5月

2021/05/31

街角のスギ、6年の成長

昨日は、パソコンで泣かされた。朝、電源を入れたらWindows10の画面は出たものの、ブラウザもメールソフトもワープロソフトも立ち上がらない。一瞬、初期画面が出たかと思うと消えてしまう。こりゃ、ウイルスにやられたのか? やばい、締め切りの原稿がある。

メールはスマホで確認できる。さらにモバイル用ノードパソコンを立ち上げる。こちらは快適。ネットはこれで見ることにする。ただし、原稿を書くのには向いていない。キーボードがJISボードなのだ。メールや検索ぐらいはいいのだが……(このあたりの説明は省略。)

そこで古いパソコン(Windows7)を立ち上げる。こちらも古いから時間がかかるが、まあ、普通だ。ただ「7」だから、ネットにはつないでいない。
これで原稿を書いていてたら、なんと「10」の方のブラウザが立ち上がった。これでパソコンのメーカーのサポートセンターに連絡。混んでいたが、チャットがつながった。これで診断をしてもらうと、Windowsアップデートが始まっていて、それが渋滞している???わからんが、ようするにアップデートが終わらないうちは、ちゃんと動かないよ、とのことであった。

ひたすら終わるのを待つと今朝になった…… (゚o゚;) 。。

今朝、ワープロソフトが立ち上がったと喜んだものの、なんと文字を打つ(昨日の原稿をUSBで移設)と全然デタラメだ。あああ、またメーカーのホームページで調べると、キーボードのドライバーがアップデートで機能しなくなったとかで、入れ直し(泣)。

泣きの涙の悪戦苦闘の末に、なんとか蘇ったのであった。

……しかし、パソコンはどんどん面倒くさくなっていないか。セキュリティーがどうの、アップデートがどうの、と。過去と同じ動作をするのに必要なクリックの回数が増えた気がする。パソコンの世界でも「くそどうでもいい仕事」(ブルシット・ジョブ)が増えていないか。本来の機能から離れた約束事が増えている。パソコン旧世代としては、だんだんついていけなくなりそう。そのうちメモリーのほとんどを、そうした仕事に食われてしまうのではないか。

 

さて、長い前書きの後だが、生駒市内で見かけた裏道にあったスギの写真。

2015

なんと、根っこをセメントで固められているのだが。家を建てる際に伐らずに残したものの、これでは成長できないだろう。でも頑張っているなあ、と思って撮った写真だ。撮影日は2015年9月15日。

たまたま、同じ場所を再び散歩で歩いた。

2021

この撮影日は2021年5月30日。ほぼ6年経っている。幹は少し太くなった。ただ背丈はあまり伸びていない。いや、少し縮んだかもしれない。ちと枯れている枝があるし、梢が折れた?枯れた? なんか樹勢が落ちてへたっている様子。なんか、パソコンと同じだ。

6年の歳月の間、この不遇なスギは、いかなる成長をしたのかねえ。。。

2021/05/29

根っこさまざま

さて、問題です。

この木の幹と根っこはどこからでしょう。太さは下から上までかわらんが、写真中央のところで、いったん根を横に広げている。

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多分、道の法面が崩れて根っこが剥き出しになったので、その根はさらに下に伸びたのだと思うが、空気にさらされた根は太く成長したのかねえ。この根の細胞はどうなっているのか気になる。

もう一つ。

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これは芦生の森で見かけたのだが、2本の大木の根が地表を這っていて、結合している。どちらがどちらに癒着したのかわからないが、見事に手をつないだ状態。仲良くv(^0^)。

 

2021/05/28

アイデア勝負か、4パーミル認証制度?

以前、4パーミルイニシアティブと「地中の森」づくり という記事をアップした。

ここで山梨県の研修会の取組を紹介したのだが、なんと、その後山梨県は認証制度を作り上げたようだ。単に「研修」で済まさず、施策に綱崖のだから、立派。

まず「4パーミルイニシアチブ」を改めて説明しておくと、世界の土壌中に含まれる炭素量を年0.4%増やしていけば、経済活動などで排出される大気中のCO2を実質ゼロにできるという考えで、2015年にフランスが提唱した。山梨県は、この運動に参加していたが、果樹園で発生する剪定枝を炭にして土壌に埋めて炭素の量を増やす取り組みを考え出した。そして認証制度を創設したというのだ。もちろん全国で初めてだし、世界的にも認証制度まで広げたのは珍しいんじゃないかなあ。

もちろん山梨県が脱炭素社会に貢献しているという宣伝効果があるが、同時に果実のブランド化にもつなげる魂胆だろう。

認証の対象は、4パーミルに従って作られたモモやブドウなどの県産果実で、生産の開始時と開始後の2段階で発行する。そして
①申請から3年後に土壌炭素量の増加が見込まれる計画の提出
②1ヘクタール当たり1トン以上の年間炭素貯留量を確認
を条件とする。認証を取得した農家は、県が発行する認証ロゴマークをつけて果実を販売できる……という仕組みだそうだ。また農家に、無煙炭化器など専用機材の購入費用を補助するようにもする。

問題は、どのようにCO2削減量を計算するかだろうか。農家が木炭をどれだけ土中に埋める(散布?)したかの計測も裏付けが必要かも。

もちろん、現実にどの程度のCO2削減効果があるか怪しいし、前回も記したが、炭にするなら埋めずに熱利用を考えてもらいたい。むしろ効果としては、土壌改良効果の方ではなかろうか。炭によって土壌バクテリアがよく発達するから。

ユニークであることは間違いない。だいたい4パーミルイニシアテチブを日本で注目している人・組織は数少ないだろう。

本来は木材関係でもこの手の発想を取り上げてもらいたいものだ。森林内の土壌に枝葉とか落葉を溜め込むとかするだけなら簡単だ。農業以上に意味がある。

もはやCO2削減手段と、その実行を自身のアドバンテージとするアイデア勝負の時代なのかもしれないなあ。

 

2021/05/27

デジタル旧世代

女子大生からメッセージが来た。それが、なんとInstagramからである。

いや、インスタでもダイレクトメッセージのやり取りができるぐらい知っておりますよ(^^;)。ただ、滅多に来ないから。しかも初めての人だったから。ああ、時代はインスタなんだ、と思った次第。

そもそも私は、インスタを真面目に使っていない。撮ったけど使い道のない写真を、この際だからインスタにでもアップするか、程度に利用しているだけ。またフォローもかなりいい加減に、ああ美しいな、可愛いな、と思ったらクリックするだけ。おかげで、開くと美人画か動物(シカ、ネコ、ウサギ、金魚……)なんかが並んでいて目の保養になる。

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ツイッターもフェイスブックも、ブログからの転載が中心。「いいね」も「シェア」も滅多にしない。ようするに私にとってSNSは拡散用ツールとして利用しているようなものだ。最近は、たまには他者の投稿に「いいね」を押さねばとか、コメントつけようかなとか、前向きに取り組んでおります(^^;)が。


このところ、デジタル弱者という言葉がよく登場する。ようするにデジタルを指すのはパソコン・スマホ関連のツールなんだろう。その点、私は1日何時間もパソコンの前に座っているし、SNSも一応代表的なものは全部使っているから弱者だとは思わない。
このところ、毎日「貴方のPCを乗っ取りました。身代金として17万円を……」というメールが来るが、鼻で笑って削除している。騙されないよ。その程度のリテラシーはあるのだ。

が、明らかに先端デジタル社会からは取り残されているように感じる。発信メディアはブログから動かない。SNSも脇扱いだし、noteもclubhouseもやらない。キャッシュレス社会だというが、私の使うのはほぼクレジットであり、スマホ決済なんてわけのわからないことは手を出さない(⌒ー⌒)。電子マネーもめんどくさい。

それにしても相互通信機能を持っているのは、メールのほかmessengerにLINEにInstagram、ショートメールと数多くなってきた。さすがに最近はツイッターのDMはこなくなったし、携帯のメールもほぼ消滅しつつあるが、いっぱいありすぎて一体誰と何を使ってやり取りしたのかわからなくなる。メールなら検索機能もあるし、長く書けるが、1行しか表示されないSNS系のDMは書きにくいことおびただしい。

スマホ自体は見る・読むのに利用するが、あまり書き込みには使いたくない。だって最近、スマホ指になって親指が痛いのよ(^^;)。

私の世代は、ウィンドウ95をきっかけとしてパソコンを扱いだした。イマドキのスマホとSNS中心世代と同じデジタルと言っても隔絶感がある。いわばデジタル旧世代だ。デジタル弱者だけでなく、こうした世代間格差にも気にかけてくれ。

今後、パソコンは親指シフト入力(これを知っている人も少なくなった)が使えなくなるようだが、その時私は原稿を書けなくなるのではないか、とおびえている。それこそ引退しどきかなあ。いまさらJISのキーボードを使える自信がない。

ちなみに冒頭の女子大生には、メールにしてくれ、と返信した(笑)。メールでは、たっぷり長文を書く予定だ。

 

2021/05/26

フィンランドの木質繊維材料

時折フィンランドより、プレスリリースが届くのだが……今回は木質繊維を開発しましたよ~というご案内。

「フィンランドの持続可能なスマートテキスタイル、 森林から循環型ソリューションへ」
今後、木造建築や、 製品、 容器に使われるプラスチックの代替となる木質材料、木質繊維材料などが注目されると予測されます

とあって、フィンランドのメッツァグループと伊藤忠商事が共同開発したのが、新しいセルロース系繊維「Kuura」だそうだ。森林から既製品を作り出し、廃棄まで製品のライフサイクル全体を研究しているそうである。
まず繊維産業は、毎年、世界で約9200万トンの繊維廃棄物を発生させていると環境へのマイナス面を訴えている。その上で木質繊維には、それを打ち破るソリューションとなるという。

肝心の繊維の製造法などは示されていないのだが……昔懐かし?レーヨンとか、日本で開発された紙にしてから紡ぐ手法の「木糸」繊維があるが、それとは違うようだ。

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まあ、写真からは木繊維を綿のように紡ぐらしいことはわかる。
ただ最後の写真、アチラでも杼(ひ。織機の道具)をつかうのだな、という別の関心が。日本に一人しか職人はいないのだが。

リリースでは、
フィンランドは、 木質製品を使った低炭素ソリューションや気候変動対策で世界をリードしています。 原材料を十分に確保することができます。 フィンランドの森林は責任を持って管理されており、木材を伐採する際には自然環境を尊重するよう求められています。
フィンランドでは、 森林の大部分は個人所有されており、森林の所有権は家族の財産の重要な一部であると考えられています。

と、いかに環境に優しく持続的に生産している繊維かと強調している。本当にそうか、フィンランドを視察させてくれ~と、前も叫んだような気がしますが(^o^)。
そして木質系繊維は林業にとって重要な新しいビジネスチャンスを生み出す可能性があるとする。たしかに、木材を木材のまま活かす需要は世界的に頭打ちだろうし、すでにだぶついて価格下落傾向にある。かといって燃料のような安価な使い道も願い下げだ。繊維というのは一つの道かもしれない。テキスタイルは商品によっては高値をつけられる。消費量も莫大だ。ただ、原料としての木材は高く買い取られるのかどうか、ちょっと疑問だが。

また繊維産業と生産ラインを変えるには、 国籍を超えたグローバルな協力が必要、と訴えているのは日本と協力しようという意図だろうか。

そのほか、フィンランドが世界初の「循環型経済への国家ロードマップ」(2016-2025)」を作成したことも記す。ほかにもLVL建材による建築なども紹介しているが、そこではこんなものも紹介しているよ、とのことである。

バイオベースで堆肥化可能なSulapac社のカトラリー
スタイリッシュなNiimaar社のリサイクルステーション
 PureWaste社の産業廃棄物やペットボトルをリサイクルして作られたパビリオンスタッフの服
 Dolea社の持続可能なストロー、
Cireco社のストーンレメント石製品
 Siparila社の木製インテリアパネル
 Nikari社、 Made By Choice社、Woodnotes社、 Lundia社、 Iittala社など、フィンランドのトップデザインブランドが提供する持続可能な形で製造された多くの家具や製品

熱心だなあ。日本の林業・木材産業界も、これぐらいのリリースをしないとダメだなあ。いや、リリースする内容を持っていないか。

 

2021/05/25

捨てネコ対策の看板

我が家の仕事場のベランダから庭を見ると、木の上に何かが。柿の木の高さ3メートルくらいの枝の上だ。

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目が光っているが。クロネコであった。
最近、ノラネコが庭を闊歩している。単に歩くだけならよいのだが、餌をねだる。そこで私は野菜の切れ端を投げつけて食べさせようとする。ネコの草食化計画だ。草を食べるようになったら、ノラネコも安泰なのに。。。

それはともかく、生駒山の森林公園を歩いていると、ニャアニャアうるさい。斜面上を見ると。

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ここにもノラネコがいた。まだ人になついているところを見ると捨てられて日が浅いのだろう。ノネコになりきれぬノラネコだ。
実際、ノラネコが増えている。この公園に捨てる人が増えたのだろう。ちなみに公園といっても、何ヘクタールもあって、巨大なため池が広がり、大部分が急傾斜の山林地帯だ。姿はほとんど野生化しているが、かろうじて人間を怖がらないところを見ると人に飼われた記憶の残るノラなのだろう。

そして看板があった。「ネコを捨てないでください」「餌をやらないでください」「連れて帰って家で飼ってあげてください」といろいろ書いてある。そもそもノラネコは冬を超すのは難しいこと、餌を求めて小鳥や昆虫を襲って食べていること……ネコも鳥も、どちらの命も大切なのです、と切々と訴えている。

が、これじゃあ、効果はないな。と私は判断した。優しく書きすぎ。みんな大切な命、というのは簡単だが、ネコ好き、というよりネコ馬鹿連中はネコにしか興味を持っていないのよ。もっと、きっちり書かねば。

私ならどう書くか。頭の中で反芻する。こんなのはどうだ。

「そんなにネコが嫌いですか。そんなに小鳥が嫌いですか。
あなたが捨てたネコは、飢えて栄養失調になっています。
生きるために小鳥やリス、森ネズミなどを襲って食べています。

カラスやタカに襲われるネコもいます。
でも、寒い冬を越せずにほとんど死にます。
なかには餌をもらって生き延び、子ネコを産んだネコもいました。
でも、その子ネコはみんな死にました。
それは、あなたが捨てたネコです」

こんな感じかな。これにガリガリに痩せてふらついているネコの写真を載せる。これぐらいしなくては。

この文は、無償提供する(笑)。

ACジャパンのテレビコマーシャルにも「(親切な人に拾われてね、と捨てるのは)犯罪者のセリフです」というのがあるが、なかなかよくできている。ぜひ、見てほしい。

2021/05/24

来るか、山岳居住の時代

タナカ山林を訪れると、森の中に渓流ができていた。

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ここ、本来は里道だったのだが、廃棄され藪に埋もれている状態だった。ただ土地の境界線でもある。そこに水が流れこんで、長年のうちに地面を削って渓谷になっていたのだが、先週の大雨続きで新たな渓流が誕生したらしい。

見ると、わりと急流も深みもあり、滝までできている(高さ1~2メートル)。思わず引っかかっている枯れ木をどけてやると、水はあふれて別の方向に。自分の森の中に渓流のあるのはいいなあ。と、喜ぶわけにもいくまい(-_-;)。

だいたい、水はいつまで流れているのか。ここ数日は晴れたが、また降り出すだろう。

ちょうどテレビで水害の番組を見たのだが、川が増水⇒洪水⇒流路拡大⇒流路変更……という状況を説明していた。河川津波という現象もあるそうだ。蛇行する河川がつくった平坦地に築かれた住宅地がいかに危ないかわかる。

そこで大和川の亀石を思い出した。写真の右下方である。

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奈良盆地に降った雨と川の水は、すべて大和川を流れて大阪湾に注ぐのだが、もっとも狭い部分を亀ノ瀬という。この瀬にある亀石が動くと、地すべりが発生するという伝説があるのだ。
実は近代になっても幾度も地すべりは発生。鉄道のトンネルを埋めてしまったり、大和川自体を土砂でふさいだこともある。その度に上流部は水が貯まり、即席の湖が出現する。で、決壊すると今度は下流の大阪平野を水浸しにするという……。

300万年~1万年前まで奈良盆地には巨大な奈良湖という湖があった。この亀ノ瀬が詰まっていたのだろう。かなりの面積で古琵琶湖の水も流れ込んでいたほどだ。もしかしたら奈良県は、滋賀県のようにど真ん中に巨大な湖を抱えた県になったもかもしれない。

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(別冊宝島「竹村公太郎の「地形から読み解く」日本史より。)

そこで古代人は盆地には住めず山麓や高地に住居を築いていた。つまり、現在なら一等地である平坦な土地は人が住む場所ではなかったのである。実際、古代人の遺跡はおしなべて山間の高台部にあるのは全国的な傾向だ。

そもそも平野というのは氾濫原で湿地帯が多いうえ、見通しが利かないから住むのに適していなかったのだろう。稲作も、最初は谷地田といって扇状地につくられたはずだ。たとえば関東平野なんて、長く人の住めるところじゃなかった(笑)。今があるのは、江戸幕府が開かれてからだ。家康はは堀を掘り、埋め立てしたり堤防を築いて、関東平野の氾濫と水没する土地を減らして、ようやく住めるようにした。今や平地こそが人間社会の中心になってしまっているが、歴史的には極めて最近。

しかし気候変動で、もはや人間の力で水害は防げなくなる時代が来るのではないか。あと30年もすれば、人知の及ばない豪雨大風が日常茶飯事になる。そうすると再び関東平野に暴れ川が出現し、下町は水没するかもしれない。
しかし力付くで水害を防ぐ時代ではなくなってくる。ウォーターフロントは危険地帯となり、居住地の見直しが必要になる。その時、めざすのは山岳地帯かもしれない。高原地帯を空路で結び、斜面を楽に行き来できる乗り物を活用する。科学技術は、低地を埋め立てるのではなく、山岳地を住みやすくするように使った方がよいと思う。(そう思えば東北沿岸部は、先を行っている。)

代わりに氾濫原となった平野部に森林を造成する。津波を防ぐのにもよい。そして林業は平地で。重機も使いやすく搬出も楽。

来るか、山岳居住と、平地林業の時代。

2021/05/23

『絶望の林業』7刷、タイ記録!

先日、大阪のジュンク堂書店梅田本店を覗いた。で、やっぱり確認したのは……。

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絶望の林業』、まだ平積みじゃねえか(笑)。しかも、かなりの部数が積まれていた。

報告したかどうか、5月25日付けで7刷が発行されることになっていてる。もう、出ているけど(^^;)。

私の本の中では、タイ記録だ。前回の7刷まで言ったのは『「森を守れ」は森を殺す!』である。当時は今より本が売れる時代だったので、部数も伸びたし、その後文庫化もされた。今の世情は激変(出版界の売上が半減)しているが、ともあれありがとうございます<(_ _)>。

この本出して、林業界と縁を切るはずが、そうもいかなくなったのは、誤算というか不思議ではある。
気がついたのは、「林業は~こうするべきだ」的な提言しても無駄であり、しない方がいいのではないか、ということ。むしろ「ここまでダメダメだから、もうどうしてもダメ」と突き放した方がいい。なかには自分でなんとかしたいと考えるのかもしれない。これって教育論みたいだ。突き放して、それで諦めるようでは、元からダメな人材なんだよ( ̄∇ ̄) 。
驚いたことに、この本を読んで林業界をめざす気になったという若者までいるんだから、世の中捨てたもんじゃない(笑)。まあ、リスクは自分で取ってください。

もちろんハナから反感つのらせる人や、全否定で入る人もいる。でも、そこで示す反論が、あまりに拙くて……。いかにも自分の方が実情を知っているとか、自分のやり方が絶対成功するとか鼻高々(笑)なんだが、それ自体が林業界ダメダメ説の証拠かも。こうした人がいることも、社会を俯瞰するネタにはなるが。

ともあれ、新記録8刷をめざそう。

2021/05/22

今日は「国際生物多様性の日」だった

毎年5月22日は、国際生物多様性の日なんだそうだ。

国際連合が制定した記念日(国際デー)である。国連では、この日の午前10時(現地時間)に森林破壊の解消のため「植樹を行なおう」と呼びかけており、これに呼応して各国・地域ではいっせいに木を植える「グリーンウェイブ」と呼ばれる植樹イベントが開催されているとか。だから、多少は林業界でも知られてよいかと思うが、多分ほとんどの人が認識していないだろう。私だって知らなんだ。

日本では、何か行われたのだろうか。今のところ、全然ニュースにはなっていないと思うが。

ところで、そもそも論なんだが、なぜ生物多様性は必要なのか、維持しなくてはらないと考えられているのだろうか。

まあ、その点については多くの意見・発言がされているから、それを総ざらえするつもりはないのだが、そこで思い出したのが、かれこれ20年以上前にネットで起きた議論である。その頃はブログもなければSNSもない時代だ。ただニフティサーブのようなパソコン通信があって、これは今のSNSのコミュニティに似た機能があった。同好の士?がそれぞれ部屋を造って意見交換していたのだ。

その中で「なぜ生態系はあるのか」と問題提起した人がいて、それは「生物の数が増えるのを抑えるためだ」と論を展開した。いわゆる弱肉強食とか食物連鎖とかいった用語から連想して、一種類だけが増えないようにするという発想だ。そこそこ賛同者もいたように思うが、私はそこで「いや、生態系は生物・環境の関係を立体化して、数も種類も最大限に増やす仕組みだ」という論を述べた。

当時の理屈をここで再び展開するのは億劫なので省略するが、空間とエネルギー(とくに太陽光)を最大限に活かして、各生物間で物質のやり取りをして無駄を出さないように循環させることで潜在的に可能な生存数を確保する……という考え方である。そのためには、他者が廃棄したものを活かす別の生物種が登場する必要がある。結果として生物多様性を広げていく。人間社会でも、職業を分化させて社会を重層的にすると扶養人口は増やせる。

まあ、あのやり取りをもっと深めたら面白い論考になったかもしれないと思わないでもない。ちなみに、これは生物学とか生態学の議論ではなく、いわば哲学みたいなものである。あえて振り返ると、私も若かった、ということだ(笑)。

ちなみに、こんな図というかロゴがある。生態系はどちらの形が正しいでしょう?と比べたもの。

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アメリカ国務省の発行「特別調査報告書」によると、19世紀末までは4年間に1種の絶滅スピードだったが、20世紀には1年間に1種、現在は1時間で8種の生物が失われているという。

2021/05/21

先んじられた?木造人工衛星

今年1月に木造人工衛星がめざすものという記事を書いた。

ようするに京大と住友林業が一辺10センチほどの小型人工衛星を木でつくり、2023年に打ち上げるというものである。

ところがフィンランドの企業が、年内に木造人工衛星の打ち上げを発表した。計画の責任者は「年内にニュージーランドからこの衛星を打ち上げる予定だ」と述べた。もちろん、世界初となる。日本は抜かれたのである。

目的は、日本の場合は、宇宙環境における木材の物性に関する研究、宇宙環境における樹木の育成に関する研究などを掲げている。
一方でフィンランドの方は、宇宙空間で、木材の適性を検証するのが目的という。こちらの衛星は10センチの立方体だというから、日本の計画したものと似ているが、合板でできているという。

フィンランドの方が具体的で実利的。真空で、宇宙線の飛び交っている空間に耐える合板を製造するつもりのなのだろうか。

いずれにしろ、このところ日本は常に抜かれるねえ。。。しかもし2年も早くとは、どう考えても計画はフィンランドの方が先にあったのではないか。抜かれたというより日本の物真似と言われかねない。

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ところで、私はニュージーランドに宇宙空間にロケット打ち上げ基地があったことを初めて知った。実は別の記事で、北海道大樹町が、ロケット発射場などを整備する「北海道スペースポート(宇宙港)」構想を掲げて、町の委託で関連施設の管理運営などを担う新会社「SPACE COTAN(スペースコタン)」を設立したというニュースもあった。2025年度までにロケット打ち上げ場2カ所の完成を目指すとか。

こちらも抜かれているみたいだが(^^;)、それでも打ち上げ基地というビジネスを模索しているのは面白い。ロケット自体は、あまりに先端技術すぎて誰でも参入できるものではないが、地理的条件が適しているのであれば、宇宙港を建設するというのは地域起こし的には目のつけどころがいいかも。今後、絶対に需要があるのだから。

 

2021/05/20

『大麻の教科書』と工芸の危機

日本人のための大麻の教科書」(イースト・プレス刊 大麻博物館著)を読んだ。

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妙な本である(笑)。これまで大麻と言えば、マリファナなどの向精神薬の素材であり、その麻薬としての危険性を説くか、あるいは無害だと言いつつスピリチュアルな方向にハマってしまうか、いずれにしろ面倒な代物であった。……そもそも著者は大麻博物館というのが面白い。栃木県の一般社団法人の経営だとあるが、どんな博物館なのか興味がわく。

私が以前取材した田舎の移住者の一群の中に、大麻栽培を行った人物がいて、その後逮捕されたニュースを聞いている。もしかして私も、それを目にしていたのかもしれない。田舎暮らしをめざす若者の中には、そうした世界に走りがちなメンバーもいるのだった。

とはいえ、この本を読んで意外な誤解を知る。
たとえば約1万年前の遺跡から大麻の種子が出土していること。(だから帯文には「私たちは、米より先に大麻をつくっていた。」とある) 
また本来は麻(アサ科)のことを大麻と呼んでいたこと。ところがその後リネン(アマ科)、ラミー(イラクサ科)を麻と法律で定めたため、これまでの麻を示す言葉がなくなり大麻に落ち着いたらしい。もともと麻の尊敬語?が大麻だったというのだが。

なお日本の大麻に向精神性の成分は含まれていず、昔から繊維製品であった。かつて奈良時代の租税だった租・庸・調の調とは麻の布のことだったとか、神道の宗教的儀式に欠かせないものだったとか。横綱のまわしは大麻製だとか。また大麻模様というデザインもあって、「鬼滅の刃」の竈門禰豆子の来ている着物の模様がそうだとか。。。。

気になったのは、大麻から糸をつくる技術が忘れられ絶滅寸前だったこと。栽培から繊維の取り出し、糸をうみ(つなぎ)、布にする一連の技術を持った人は、たった一人だけになっていたのだそうだ。それを博物館で把握したことから、その一人(会津の女性)のところに10年間通って技術を習得したという。また講習会を開いて技術を広げた。肝心の大麻の糸をつくれる人がいなくなりかけたのだ。ちなみに大麻を織って布にするのも、いまだに機械化できずに手作業だけだ。

これこそ、日本の伝統工芸あるあるだ。表に出ている工芸品は評価されて、なんとか伝承しようとする人はいるが、その前段の素材を生み出す技術は人知れず消えていく。

たとえば漆芸も、漆を塗る職人はいる。わりとアートとして漆器づくりに取り組む人はいるのだ。ところがウルシノキを栽培する人も少なければ、幹を掻いて樹液の漆を採集する人は極めて少ない。さらに精製過程をできる人・企業もほとんどない。
和紙も、紙漉き職人はいるのに、コウゾやミツマタ、あるいはトロロアオイなどを栽培する人は消えつつある。栽培しても、そこから繊維を取り出す手間が大変で取り組む人は少ない。
陶芸では、土をこねて陶器を造りたがる陶芸家・職人は多いのに、陶土の生産には目を向けない。
日本刀の刀鍛冶は人気でも、たたら製鉄や、その前の砂鉄の採掘は忘れられてしまっている。

そして水口細工と呼ぶ葛織物も同じだ。一時期、完全に技術が途切れてしまった。素材の植物のどの部分からどうやって繊維を取り出すかもわからなくなった。編むための縦糸の植物名もわからない。だから復活までは大変な苦労があったのである。葛細工は伊勢神宮の遷宮にも必要とされるのに、危うく消えかけていた。それについては、こんな記事を書いている。
「幻の葛細工」が消えた意外な理由

日本人というのは(いや世界中で同じかもしれないが)、工芸の最終製品づくりはまだ興味を持って保存運動も起きるが、その前の素材の生産には力を注がない性質があるのではないか。

そういや、木工とか木造建築には興味を向ける人はまだまだ多いが、その手前の木材生産つまり林業とか、木取り技術は軽んじられやすくないか? 木工職人あるいは木彫りアーティストとか、建築家・インテリアデザイナーは憧れの対象だけど、森を育てる林業家とか、丸太の木目を読んで銘木を切り出す木取りの職人はどんどんいなくなっている。

大人気に見えるアニメーションもその一つに入るかもしれない。アニメを製作すると言えば、キャラクターを創造して、ストーリーと絵コンテなどを考えて……と思ってしまうが、現場で絵を描き塗る技術は忘れられがち。今に作業の全部がCGに置き換わって自分で絵を描かなくなるかもしれない。


ちょっと脱線したが、大麻もよく似た状況に加えて、麻薬のイメージが色濃くて、栽培や研究も法律でがんじがらめの免許制のため簡単に生産できなくなっている。だから輸入品が増えている。

本書は、過剰に大麻に肩入れすることなく、淡々と歴史や現状を描いている。ここで大麻解禁の是非を論じる前に、基礎知識を知っておいても損はないだろう。

2021/05/19

CO2排出46%削減への道・林野庁編

菅総理がいきなり宣言した、CO2の排出を13年度比46%削減(2030年度)。これまでは26%だったのだから異常な上方修正だ。

もっとも目標を掲げて、そこへ至る手段を考えるというのは悪くないと思っている。いわゆるバックキャスト思考になるのだろうが、未来の目標に向かって今やることを決める方が真剣味が増す。現状を見ながら、どこまで積み上げられますかねえ、なんてうだうだ言っていると進まないのは目に見えているのだ。
とはいえ「私は目標を決めた。後は任せた」式のリーダーシップほど怖いものはない(^^;)。官僚の皆さんは、泣きながら右往左往しているだろうなあ。

というわけで、林野庁も森林吸収量の目標を約3割引き上げることにしたらしい。政府はこれまで「26%減の目標に対して森林による吸収は2%分」としていたのを2.7%分まで引き上げる。森林吸収量をCO2換算で約1000万トン上積みし、約3800万トンとするというのだ。いやあ、思い切った数字だが……。

しかし、森林という生命体の吸収量を人間が勝手に上げるにはどうしたらいいのか。それを人工林を伐採して再造林することや、木材利用をより増やすことで確保するという。再造林は、現状の年3万ヘクタールから同7万ヘクタールまで拡大する。

この施策は、その大前提に「年数が経過した(50年~60年)人工林はCO2の吸収量が減少するから若木に植え替えた方がよい」という考え方がある。
これが嘘っぽい。なぜ、そうなるの? だいたいスギやヒノキの寿命は通常でも200年以上ある。50年60年ぐらい若い木で生長量(CO2吸収量に相当)が落ちるとは思えない。最低でも100年ぐらいまでは生長旺盛のはずだ。伐るなら300年以上の天然記念物級の大木だけにすべきだろう。

それに同じ面積に育つバイオマス量は、どんな森でも一定であるという法則からすれば、間伐はもちろん皆伐して植え直すことも、吸収にはならない。むしろ現時点で炭素を貯蔵している森を伐採したら、その後同じ量だけの炭素を蓄えるまで最低50年はかかることになり、その間はCO2超過だ。そして、その後も吸収量は増えない。単に元にもどるだけ。むしろCO2を排出してしまう。

いや伐った木を木材として長く使うことで保管すれば、その間は炭素を貯蔵していることになる、と反論が来そうだが、それなら国産材は最低でもバイオマス発電と製紙には回してはダメ。燃やせば瞬時に炭素は大気中にCO2として出て行くし、紙もほとんどが数年以内に破棄されるだから。この二つを除くと、国産材の用途の3分の1は消える。木材需要全体ならば、炭素貯蔵に回る分は半減してしまう。それに合板だって50年も使い続けるだろうか。国産材の合板用途割合は、2割ぐらいある。
肝心の建築材も、以前日本の家は29年で建て直すという統計もあるが、これと比べると60年伐期の半分以下ではないか。

再造林に植えるのも、生長が早くCO2の吸収能力が高い「エリートツリー」だというが、品種開発から苗木を供給できるようになるまで10年程度かかるよ……。ついでにいうと無花粉スギの苗木だって求められている。無花粉エリートツリーという難解な品種を作り出さないといけない。

ようするに人工林の伐採でCO2の吸収量を増やすというのは、ほとんど絵空事だ。

理論的にも、森林面積を増やす以外に森林がCO2を吸収して貯蔵する量は増えない。できることと言えば、現在の皆伐地のうち再造林しているのは2~3割というから、まずはここをしっかり押さえることだろう。ほとんど焼け石だろうけど。



2021/05/18

Y!ニュース「樹木が排出するメタンガス……」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「仰天!樹木が排出するメタンガスが地球を温暖化していた?」を執筆しました。

このニュースというか研究内容は少し前にネットで読んでいたのだが、それは興味深いと思いつつもYahoo!ニュースに書こうとは思わなかった。ところが先日、芦生の森を訪ねて、見事に研究現場を見てしまったものだから、よし、と色気を出してしまう。

ただ、この記事は、そんなに注目されないだろうと思っている(笑)。その前の「ウッドショック」とは大違いだ。こちらは、私がたまたま情報を早くキャッチしたことで書いたものの、とくにイチオシではなかった(^^;)。林業とか木材の情報なんて、そんなに興味持つ人がいるのかな、ぐらいの気持ちだったのだが、なんだか連鎖的に情報が拡散されている。

森林ジャーナリストとしての私は、このところ科学情報とか環境問題に興味を向けている。というか取り上げることが増えた。

しかし、やはり世間的には科学上の新発見とか、気候変動の仕組みとか、ようするに小難しく、自分には直接関係ない(と思っている)話題には食いつかない。それに比べてウッドショックは、別に家を建てる予定などなくても木材価格が上がったいうのは産業・経済的に興味が持てたのだろうか。

もう林業なんかキライだ! と叫んでいるのに、なかなか足が洗えないわ(-_-;)。

お口直しに、せっかくだから新緑の芦生の森の写真を。中央にあるのが、カツラの巨木。胸高直径340センチ、樹高38・5メートル、樹冠の広がりは30メートル四方ぐらい。ドローン撮影である。(撮影は私じゃないよ)

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2021/05/17

「流域治水関連法」を知っているか

なんと5月中旬で梅雨入りしたそうだ。あまり大きく報道されていないが、流域治水関連法が先月28日に成立している。今年11月までに順次施行するそうだ。正式名称は「特定都市河川浸水被害対策法等の一部を改正する法律」、かな?

また林野庁の「豪雨災害に関する今後の治山対策の在り方検討会」も、治山対策に関する報告書をまとめた。

どちらも昨今の激甚化する気候災害を意識したようだ。それだけに、ざっと目を通しただけだが内容はよく似ている。

まず前者は、河川法など関係する法律9本を一括で改正している。調べてみると、9本とは特定都市河川浸水被害対策法、河川法、下水道法、水防法、土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律都市計画法、防災のための集団移転促進事業に係る国の財政上の特別措置等に関する法律、都市緑地法、建築基準法だった。
かなり大規模な改正だろう。ただ全部、国交省関係だけど(^^;)。

具体的には、自治体や企業、住民が協働して河川の流域全体で治水の実効性を高めることを謳い、浸水被害の危険がある地区の住宅や福祉施設の建築や盛り土を許可制・届け出制とするなど規制も伴う。そして避難対策が柱だ。これまでのような、ひたすら堤防だとか建造物で自然の力を押し込めようとするのは諦めたようだ。

またリスクの高い河川流域に農地など河川沿いの低地を「貯留機能保全区域」に指定して貯水機能を持つ場所を整備する。河川の氾濫をなんとしても防ぐというより、あふれても遊水池に受け止めることで、被害を最小限に抑える発想を取ったのだろう。

江戸時代の水害への対処法は、基本的に低水管理(あふれる水は流して貯水、人は避難する)だった。それが明治になって高水管理(堤防やダムで増えた水を抑え込む)へ転換した。被害は一切出さないゾ、という発想だ。ところが昨今の激化した水害は、もはやコンクリートを使っても抑え込めなくなっている。そこで、再び低水管理を取り入れるようにした……ように感じる。

これは治水に関して法律というより方針そのものの大転換ではないか? 役人に聞いたら「そんなことない、昔から両輪でやってきた」というに違いないが(笑)。

 

後者の林野庁の検討会では、「流域治水」に加えて山の保水力向上が、流域全体の洪水被害抑制につながると指摘している。これは提言だが、今後法律改正に結びつくことはあるのかどうか。

面白いのは、「木の本数や高さ、密度などを調べ、対策の必要性が高い地域を把握する」という発想か。
また森林整備と組み合わせて、土壌を流れにくくする「筋工」や「柵工」などを行うというのは、まだ崩れていない山に、この手の工事を行うことになる。ほかに小規模な治山ダムを階段状に設けるとか、砂をためる治山ダムを設置するべしとか……治山ダムとあるが、これは国交省からすると砂防ダムのことだろうなあ。山の景観としては喜ばしくないが……。

さらに流木になる危険性の高い木を事前に伐採することを提唱している。森林経営管理法にあって災害等防止措置命令の適用のことかもしれない。

とまあ、いろいろ想像してしまう。もはや気候変動に伴う豪雨災害には、従来の力の対策では間に合わないと方針転換をしたのか。それは結構なことだが、砂防だ治水治山だと言葉の違いを乗り越えて取り組んでほしい。

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生駒山にある、コンクリート部分を木材で覆った砂防ダム。

 

2021/05/16

「周辺と根幹」を考える論説

朝日新聞5月13日の「科学季評 環境問題は技術のせいか 根幹は人間の「文化」に」(山際寿一)を読んだ。有料だが、登録すれば5本まで無料で読める。

ちょっと昨日の「正義のミカタ」に関して私が考えたことの応用編みたいに感じたので、紹介する。

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この中頃の文章で、私が引っかかったのはここ。

戦後の復興で建材の需要が高まり、日本の各地で大規模な造林が進み、広葉樹林がスギやヒノキの針葉樹に置き換えられた。その計画は安価な外国材の導入により宙に浮き、針葉樹林は間伐などの手が入れられないまま放置された。それがシカやサルなど野生動物のすみかを奪って畑地や里に侵入させる結果を招き、花粉症の原因となり人々を困らせている。戦後の土建国家政策は、全国に道路網を敷き、河川に大小のダムを建設し、海岸にコンクリートの防波堤を張り巡らせた。その結果、川の流れがせき止められ、森に十分な水や栄養が行き渡らず、保水力が落ち土壌は崩れやすくなり、森里川海の循環が断ち切られた。それがかえって災害の規模を拡大させ、漁場の劣化にもつながった。

これ、どう思うか。安価な外国材……うんぬんのところはよくある言葉なのでスルーとして、針葉樹林(つまり人工林)を増やしたことが、野生動物が農地に出てくる原因か。あるいは花粉症の原因か。大小ダムを築いたことが森林に十分な水や栄養を行き渡らなくする原因になるだろうか。

山際さんと言えばゴリラ研究の第一人者で、私もよく本は読んだが、野生動物には詳しいはず。ただ日本の事情をどこまで把握しているか、だ。日本の森は有史以来、非常に豊かになっている。すみかを奪われたどころか生息域を拡大している。それにダムは下流域に影響をもたらすが、上流の森には関係ないだろう。

が、私はここで科学的にはどちらが正しいかを問うているのではない。私なりに疑問を持った点を記したものの、正直、枝葉末節である。どうでもいい。もしかしたら、もっと大きな視点で人工林やダムが物質循環に与える影響を指摘しているのかもしれない。

むしろ本質的なのは
どんな環境で暮らしていても、人々はより大きな幸福を求めて新しい生活を選ぶ権利を持っているからだ。ただ、その変容によって何が起こるかをあらかじめ予想し、対策を打っておくことが不可欠となる。」
「人工的な構造物で人々の生活圏を取り囲んだのは、ひとえに安全・安心で快適な暮らしを実現したいという人々の願いだった。それは文化の問題だ。」

などかと思っている。そして技術は「適用を間違えると悪影響が瞬くうちに地球をめぐり、思わぬ災禍を引き起こしてしまう。科学者はそのプロセスに敏感でなければならない。」という部分が根幹なのだろう。こちらは全面的に同意する。

昨今のマスコミの発言やSNSで炎上する案件というのは、こうした根幹よりも枝葉末節にかみつく人が多いから起きるように感じる。昨日のテレビで言えば、高橋洋一氏のコロナ禍を「さざ波」と言った発言もそう。

今回は、事例ということで、枝葉末節にいちゃもんつけてみたが、本来はやっちゃいけないことですよ(笑)。

そのうえで、さらにいちゃもんつけるヾ(- -;)と、科学者だって、すべてのプロセスに敏感になれないだろうし、いくら慎重に影響を予測しても想定外の反応だって起きるだろうなあ、ということである。

 

2021/05/15

「正義のミカタ」に出演して

関西・東海ローカルのニュースバラエティ『正義のミカタ』(朝日放送・土曜日朝9時半~11時)という番組に出演した。生放送である。

MCは芸人の東野幸治で、今回のテーマは、コロナ禍とオリンピックのほか、サイバーテロ、そしてウッドショック。そこに私が森林専門家なる肩書で座っている。……と、ここまで調べたら、なんとフルヴァージョンがユーチューブにアップされていたよ (゚o゚;) 

せっかくなので、台本の一部を紹介。(私の冒頭部分)

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少し、順序を追うと、まず出演依頼があって、OKすると電話で取材を受ける。その時は1時間半はしゃべった。また、その製作者は『絶望の林業』を読んでくれていたので、その内容にも触れる。実際、「ウッドショックより林業自体のことがやりたい」というので、後半はそちらに偏ったかもしれない。

そして、その日の深夜に早くも台本が上がってきた。それを私がチェック。若干の修正もするが、とくにパネルに示す部分に気をつける。それを翌朝会議にかけて、スタッフの意見も入れて、また修正。それを私が受け取ったのだが、そこで再び今度は自分の発言内容を考える。正直、てんこ盛りの内容だったので、全部は話せないと焦点を絞るように考えていく。

研究者や真面目な書き手(笑)に多いのだが、一つとして間違いのないようにしたがる人がいて、「この場合はこういう例外もあって……」とか「こーゆーケースもあります」「全部が全部そうではない」なんて言いたがるが、私はばっさりカット。そんなにみっちり書きたかったら本一冊書いたらええやん、多くの人が関係して作り上げる番組(や雑誌)では、自分が使える時間(文章量)内に視聴者・読者の記憶に残るように工夫したフレーズを放つべきなのよ。

で、本日朝にテレビ局へ。

そこで完成した台本を渡される。控室で目を通しつつ、チェック。なんとか、ここでこの話題を……とか思いつつ、共演者と話し込んで余計な話を(^^;)。

さて、本番。自分の番が回ってくると、とりあえず台本通りに展開するつもり……だが、東野さんもそうそう真っ直ぐ進めないし、レギャラー陣が常に突っこんでくるから、そんなに台本通りにしゃべれない。私も頭を切り換えて、臨機応変に応じた。先に話し損ねた部分を後にねじ込んだり(話のつながりがおかしくなるが、かまわない)、レギュラー陣のコメントに言い返したり。
ちなみに私が言わなくても、みんなが日本の林業に対して「絶望」「絶望的」といったフレーズを口にしてくれるので有り難い。少しは『絶望の林業』の宣伝になっただろう(⌒ー⌒)。

で、改めて振り返ると、最初に(電話で)話したことの5分の1以下だろうか、話せたのは。台本に書かれた分量の半分くらいになる。一応30分近くの時間が取られて「たっぷり話せますよ」とか言われていたが、なんのなんの、放送されるのは用意した分の上澄みだけみたいなものだ。

ただ、その中で自分なりに外せない部分はギリギリ押さえたかと思っている。これで十分だ。

これまたマスコミを論評したがる輩には「あらかじめストーリーをつくって誘導するマスゴミ」といった下品な口舌を垂れ流すが、そもそも自分の思い通りに話せる、自分に都合のよい番組にしたいと思うこと自体が思い上がりだ。甘ったれるな、と言いたい。さまざまな人の都合と意見で成り立っているのだから、ストーリーに乗せられるほうが悪い。丁々発止にやり合わねば。

コミュニケーションの基本は「相互誤解」にあり、というのが私の持論だ。絶対に、完全な形では伝わらないのだ。それを前提に伝える努力をしなければならない。付随した情報・意見は誤解されても、肝だけは押さえる、というような。そもそも相手が記憶に残さねば、どんなに完璧なものを話そうと(書こうと)無意味なのである。

幸い、レギュラー陣に加えて、本来は専門外の人々(ほかのテーマで発言予定の人・宮崎哲弥、木村もりよ、藤井聡、高橋洋一……)まで口をはさんできた所を見ると、林業の話題は新鮮だったみたい。本番以外でも、なんだか熱く論じたのだよ。

生放送は久しぶりなんで、ちょっと疲れたが、それなりに新しい経験として楽しめた。

それに私はゲストの坂下知里子さんを肉眼で見られたから満足だ(^o^)。わりとファン。本番中に雛壇の上から写真をパチリと撮ったけど、これは公開したらまずいので、CM中のスタジオの雰囲気を。

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2021/05/14

生きたササの垣根の効用

矢田丘陵を歩いて、ちょっと里におりてきたら、こんな垣根を見かけた。

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わかるだろうか。生きたササで作られているのである。ササを編んだ柵ではなく、ササを密生させている。この側を歩いていると、一面のササ原と思ってしまう。中に農地があることに気づかない。
ここまでササを密生させつつ、薄く維持するのは手間がかかるような気がするが……。

ただ大きく出入り口を開けているところを見ると、別に獣害避けでも中を隠しているわけでもなさそうだ。そもそも内側は、農地ではあるが、何も作付けされていなかった。どういう意図でササを垣根にしたのか。

ただ私は、いいなあ。と思った。これなら中が見えず、その内側に何かあると想像すらされない。

これをタナカ山林でも試せないか。山林内を市道が貫いていることもあり、ハイカーが多く通る。その時に森の中で私がなんらかの作業をしていると見られてしまうのだ。いや向こうは気づかないか興味もないかもしれないが、私が覗かれるような視線を感じてイヤだ。かといって頑丈な塀をつくるのも景観が悪いし、そもそも大仕事。
もしササが密に繁って中が見えない状態なら、単に手入れのされていない山林と思われるのではないか。そして誰も中に人がいるとは思わないだろう。

どうしてもこの季節は、タケノコや山菜を狙って勝手に入ってくる輩……さらにゴミを捨てていく輩(だいたいハイカー)がいるのだ。だから道沿いは繁らせて、あえて荒れた森に仕立てようとしている。
そして内側に入ると、アジサイなどの花が咲く、“秘密の花園”ぼくしたいのだが。そこで焚き火をしようがキャンプをしようが見えなければ文句は出まい。ただ出入り口を上手く隠す必要があるかなあ。

この生きたササの垣根はいいぞ。

2021/05/13

コロナ禍と割り箸

久しぶりにラーメン屋に入った。これまた久しぶりに、こってり豚骨ラーメンを選ぶ。胃にこたえませんように……。

で、こんな張り紙が目の前にあった。

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通常使われているのは塗り箸とあるが、ようするにプラスチック箸である。が、割り箸があるなら、当然そちらを選ばねば。

というわけで店員に割り箸を要求した。ちゃんと箸袋入りの割り箸が出てくる。まあ、白樺製の元禄箸、中国製だろうが、プラ箸よりはまし。だいたいぬるぬるのラーメンを食べるのにプラスチックでは食べにくいでしょ。ずるずるすするには木の割り箸に限る。

食べ終わって改めて張り紙を読んだのだが、「当店では塗り箸を使用しておりますが、新型コロナウイルス感染拡大防止対策としてアルコールでの消毒を徹底しています。」とある。
それで気がついた。割り箸を注文する人は、コロナウイルスを警戒しているということか。私は、普段からある限りは割り箸を要求するようにしているが、あまりコロナウイルスと結びつけたことはなかった。それでも世間では割り箸の方がウイルス付着の心配がないというイメージが強いのではなかろうか。

ならば、コロナ禍の今こそ、割り箸使用拡大運動を展開できないかなあ。「割り箸は、貴方が割るまで誰も触っていません!」と呼びかけて。

それにレジ袋やストローまで追放するプラスチック排斥運動を行っているのに、箸だけがプラでいいというのはオカシイ。SDGsを持ち出してレジ袋の代わりに紙袋を使うのだから、プラ箸から割り箸へという声を盛り上げたい。

 

アルコール消毒のような手間をかけるのは、コスト高だから店側も歓迎ではないか。

2021/05/12

シカが最後に残した草は

先週、芦生の森に行った。いわずと知れた京都大学の研究林(演習林)である。
入山には何かと手続きがいるので行きづらかったのだが、地元南丹市の企画で入る人々にお邪魔虫させてもらう。

いろいろ見どころはあったが、まずはサクラがまだ咲いていた(笑)。考えたら標高は700~800メートルあって、かなり涼しい。

次に林床が裸。これは、かなり激しい。でも、生えている草もあった。

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何かわかるかなあ。バケイソウ、もしくはバイケイソウ。これは毒を持つのだ。だから、シカも食べずに残ったのだな。。。

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あれ、食べられている。バケイソウを食べるとは……。この回りに糞がいっぱい落ちている。よほど腹を空かせているのか。考えてみれば奈良のシカもアセビを食べるからね。腹を空かせたら毒も皿まで食う。

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もう一つ、食べられないで残っている草があった。わかるか?

トリカブトだ。さすがにこちらの毒は食べたらすぐ死ぬ。最後に残る林床の草はトリカブトであったか。

10年ぐらい前に来たときに林床は草に覆われていたという証言もあったので、その後シカの生息数がどんどん増えておいしい草から食べ尽くし、残ったのがバケイソウとトリカブト。だが、いよいよバケイソウも食べだしたという状況か。そのうちトリカブトも食べて平気なヤツが出てくるかもしれない。鹿賀食べない草を植えるなら、トリカブト(^o^)。

ともあれ、ここにヤバい草が生えていることは覚えておこう。いつか使えるかも(  ̄▽ ̄)。ヾ(- -;)

2021/05/11

Y!ニュース「木材価格急騰!ウッドショック……」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「木材価格急騰!ウッドショックから見える日本林業の脆弱さ」を執筆しました。

これ、Yahoo!ニュースにアップする気はあんまりなかったのだね。そもそも3月にブログに書いてしまったから。その後も雑誌記事などにも書いている(まだ発行されていないけど)。ところが日経新聞やらさまざまなメディアが書き出している。ならば私も先に唾つけて書いておこうかと。(プログは個人的なものなので、公的記事としてはYahoo!なのだ)。

とうとうテレビ局から出演依頼まで来た。世間は林業のことをほとんど知らないから、スタジオで好き放題言っていいそうだ(笑)。『絶望の林業』が7刷、Kindle版も出た記念として、宣伝してこようかな。。。

というわけで、Kindle版で『絶望の林業』を読み返し始めた。へえ~、そうなのか、と思うことしばしヾ(- -;)。

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2021/05/10

スギの 「花」が満開

4月5月は花の季節だ。さまざまな草花、木々に花が咲く。スギやヒノキも花盛り。えっ (゚o゚;)

だって、紫の花がスギなどの樹冠を覆っているではないか。

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先日、京都府南丹市を訪れた。このデカい自治体の北の端・美山町は茅葺きの里で有名だが……。ここでも満開。
スギの花でも売り出したらいいのではないか(笑)。ヒノキの花も咲き頃だ。

そして……とうとう電信柱まで花を咲かせていた。なかなか優雅……でもないか。

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もちろん、実際に咲いているのは、フジの花である。フジの花は単体で見ると美しく、それが名所になっているところもあるのだが、他の木に巻きついて伸びると嫌われる。しかし、よくよく見れば緑一色の針葉樹やコンクリートの電柱を彩っているではないか(笑)。

フジの花が咲くスギ林は、やっぱり手入れ不足扱いかね。どうせ金にならないから景色をよくしているんだ、と開き直ってはいかが。

2021/05/09

『絶望の林業』発売!

渾身の『絶望の林業』、アマゾンで発売が開始されました!

……というと、何をいまさら、と言われるかもしれないが、実はこちら。

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おわかりいただけるだろうか。こちらは『絶望の林業』は『絶望の林業』でも、Kindle坂『絶望の林業』だ。
価格は、紙版と同2420円ですが、電子本なので、もしポイントを貯めているならその分だけお安くなります(^o^)。ちなみに私の場合、表示のように24ポイント貯まっていたらしく、86円引かれています。なお、この本を購入することで、またポイントが貯まります。

5月25日発売、と記されていますが、なぜか先行発売開始。

内容は変わりません……が、誤字のほか、読者指摘の数字の間違いなどを修正しているので、実質新しいかな。そうそう紙版も7刷することが決定していたっけ。

ともあれ、パソコン、タブレット、スマホに入れておいて読みたい方、どうぞ。ちなみに私も、買わないと読めないのだろうか……。

 

 

2021/05/08

アオキの森

アオキは、生駒山に多い。タナカ山林も、一時はかなり覆っていた。

正直、そんなに好きな木ではない。暗緑色の葉はちょっと陰気だし、低木でみっちりと繁ると通り抜けられないし。そこでヤッタメタラに伐っていたこともある。

しかし、山頂へ向かうあるコースで、まさにアオキの森があることに気づいた。かなりマイナーコースなのだが、一面アオキなのだ。

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どうもアオキは生駒山の土にあっているようだ。それと、モミの木もなぜか大木が目立つ。モミは珍しい。私の勝手な推測だが、生駒山の原生植生はモミとアオキではないか。

面白いことに、日本の樹木数としては、全国9位になっている。(琉球大学久保田研究室調べ

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吉野林業では、倒したスギの皮を剥くのに、アオキの木のヘラを使うと剥きやすいと聞いたことがある。弾力がある材質がよいのだろうか。
アオキの森を抜けると、なんだかアオキが素敵に見えてきた。そのゴツイ感触が森を下支えしているかのようだ。見直してみようか、という気になる。

タナカ山林に一面、アオキを生やす。逆に面白い林相になるかもしれない。アオキの木の実を好む鳥もいるしなあ。

2021/05/07

蔦屋書店の『鹿と日本人』

奈良にも蔦屋書店ができた。いや、以前からTSUTAYAはあるが、大型店がコンベンションセンターに付設してオープンしたのである。

まあ、デカい。広さだけなら奈良県内で一番かもしれない。本の数はそうでもないが……。ただ品揃えが特徴的で配置も独特。だから、たまに面白い本を見つけることもある。それが目当てで、ぶらぶら見て歩くための書店。最初から何かの本を探そうと思っている時は、行かない(笑)。そんな時はジュンク堂書店でしょ。

今回、郷土本コーナーを眺めていると、目に入ったのが『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』。

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もちろん拙著だが、実はここに並んでいることは珍しい。『鹿と日本人』は、奈良のシカを通して、日本の野生動物と人とのつきあい方を歴史的に俯瞰しようという魂胆であった。ある意味、奈良のシカ・ナラシカと奈良人の関係は、人類の見本となり得る( ̄^ ̄)。
その一環で最近の獣害問題も扱っていて、『獣害列島』の先駆的な面もある。ただ本の表紙や帯には奈良のシカを扱っているとは一言も触れていないのである。

それは版元の戦略でもあり、奈良のシカに焦点が当たるとローカルな内容になって全国で売れない、と睨んだからなのだが……そのためか、動物・生物コーナーに置かれることが多い。奈良本コーナー(というのがあるのだ)にはなかなか置かれない。これって、痛し痒し。

なぜって、奈良のシカファンも全国に多いのだよ。奈良の人もしくは奈良ファンはなんだかんだと言って奈良のシカには興味を持っているわけだが、その人たちにこの本は気づいてもらえない。奈良の歴史、奈良の雰囲気が好きな人は相当するいるし、その中には奈良のシカへも興味を持つ人が少なからずいる。次の段階、ナラシカからシカという動物、さらに(ペットでない)野生動物全般に興味を広げてもらう作戦が発動されていない。。。

ところがこの蔦屋書店。見てくださいよ。郷土本の棚の中に二ヶ所も『鹿と日本人』の平積みがあるのだぜ(⌒ー⌒)。

これは、さすがに初めて経験。そんなにオシてくれるなんて(感涙)。ま、単に棚の空きを埋めるためかもしれないが。

 

なお、蔦屋書店である。本ではなくグッズコーナーも充実。そして奈良のお土産として、こんな棚もある。

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奈良の木工品コーナーである。ワッパなどもあるが、やはり注目は下の段の割り箸だ。なかには、3膳で550円(税込み)という高値も……これって磐城高箸の「希望のかけ箸」と同じ(^o^)だ。強気だなあ。売れるのか。

 

2021/05/06

生駒山にスズラン?

タナカ山林は、いうまでもなく生駒山系にある。

そこで、こんな植物を見かけた。

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なんだ? スズランに似ているが……こんなところに生える植物か。そもそも場所が、土砂を積み上げた法面なんだよね。

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アップしてみたが、花は蕾だ。葉っぱも小さめである。ちょっと同定しにくい。スズラン以外のよく似た植物を考えるが、思いつかない。もし知っている人がいたら、ご連絡を。

だいたいスズランとは中部以北の涼しいところに生えるのではなかったっけ。奈良県では大和高原の都祁村に群落が自生していて、珍しいので保護されていることは知っているが、生駒山に生えるとは聞いたことがない (@_@)。

まてよ、真正スズランではなくて、ドイツスズランかも。園芸品種ぽいのなら、生えられるか。こちらは丈夫で増えすぎて困るほどと聞いている。それでも、どこから種子が飛んできたのかわからんが 
たいたいスズランとドイツスズランの違いがわからない。どこを見て区別するのか。

そういや、生駒のケーブルカーに「スズラン号」という名前があったな……。(関係ない)

 

2021/05/05

隠れ仕事シリーズ⑤本の行商……

先日、ラジオに出演して、そこで紹介した『樹喜王 土倉庄三郎』に注文が殺到した話をした。

実は、その後も『樹喜王 土倉庄三郎』の注文が入っている。これらはもうラジオと関係なしだ。4月だけで20冊を超える部数が売れた。ある意味、勢いがついたというか時流に乗ったというか、偶然というか……。おかげで残部は20部を切っている。

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ま、このように自分の本を自分の手で販売するのも仕事なのだよ(´Д`)。正直、全然利益は出ずに手間隙ばかりかかるのだけどねえ。メールのやり取りぐらいはともかく、振込確認と梱包と発送と……。
今の時代、著者は書くだけ、後はお任せ、という時代ではないのです。自分で宣伝も販売も手がけていかないといけない。出版界も迷走しているというか、多分制度疲労している。たとえば、かつてはマスコミに書評が載れば売れるのは当たり前だったのに、今は案外影響力がなかったりする。一方で、テレビで評論は素人だけど有名人が紹介したら売れたり、SNSの拡散力が響いたり。でも、いつもじゃない。どんなにSNSで拡散しても、効果が見えないこともある。読めない。

……と、愚痴ぽくなったが。
ちなみにクローゼット(押し入れ)には、こんだけ本が詰まっている。

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たくさんあるなあ(笑)。とくに『絶望の林業』と『獣害列島』が大量に。
私は、出版したらある程度買い取って手元に置いておき、講演などで出かけた際にコツコツ販売しているのだが、『絶望の林業』は出してからも講演依頼が極めて少ない\ (@_@)/。内容か内容だからか。そして『獣害列島』はコロナ禍の中の刊行で講演依頼がほぼない\(-_-;)/。オテアゲ

というわけで、結構手元に残っているのである。そのほかの本も、通常2~3冊から10冊ぐらいはストックしてあって、何かの際に蔵出しする予定。今後も出張先にも担いで行って、コツコツ売っていく所存です(ー.ー)。

 

2021/05/04

隠れ仕事シリーズ④みどりの日には緑の……

今日はみどりの日だそうである。それから連想したのだが、みどりの党、緑の党を思い出した。

今やヨーロッパの政界は、緑の党抜きには語れない。とくにドイツでは第一党になるかもしれない勢いだし、EU各国の国会には多数の議員を送り込んでいる。環境政党といったワンイシューの党から多様な政策を語る総合政党へと脱皮もしている。

日本にも緑の党があるのはご存じか。たまに参議院選挙の比例区などに候補を立てるほか、各候補者の支持や推薦を出すこともある。知られたところでは令和新撰組の山本太郎を応援したこともあった。また地方議会には独自候補を立てており、たしか何人か議席も取っていたはずだ。

Photo_20210504225701緑の党のHP・トップページ

正確には緑の党グリーンズジャパンというらしいが……この党の林業政策づくりに関わったことがある。正確に言えば、2年連続勉強会に呼ばれた。これも私の隠れ仕事である。

勘違いされないよう念押ししておくと、あくまで勉強会の講師だ。私が政策をつくったり提言したりするわけではない。環境政党だけに森林問題には熱心なのだが、では林業というと深く知っている様子はない。そこで政策づくりのために勉強する会を催されて、私が呼ばれたのである。

ちょうど『絶望の林業』を出版していたし……といっても、私は林業ダメ出しばかりしたのではない。むしろなぜダメになるのか、改革されないのかという裏事情も語っていて、いわば当事者の言い訳の代弁者(^^;)になっている。「改革できない理由」を乗り越える政策提言をしなくてはならないのだが……果たして役立っただろうか? 基本、林業は産業であって、環境政策では成り立たないこと。利益を出る形にして、それを環境保全と結びつけないといけないのだが……。

政策というのは、コチラを立てればアチラが立たず、というものが多く、一方的な見方だけでは成り立たない。入念に練って何がどう作用するか見極めないと失敗する。その点、政府の苦労が少しはわかるのだが、残念ながら与党の政策も近年は薄っぺらで、練った様子が見られない。とくにここ数年は、思いつきの域を出ないものが増えているのはどうにかならんかと思う。

弱小の緑の党がどのような政策を掲げても、国政に及ぼす影響は小さいだろう。ただ見方を変えれば、林業政策をまともに掲げている政党はほとんどない。マニフェストでも触れていないか、林野庁が片手間に代行してつくったような内容を並べているだけのものばかりだ。あまり与野党変わらん。そこに斬新な政策を掲げたら、提携次第で採用されるかもよ。

ちなみに念のため(笑)記しておくと、私は仕事上の支持政党はない。もし私の林業論森林論を聞いてくれるなら自民党でも共産党でもOK。ただしマジに考えるつもりはあるかな? 

大昔に(旧)民主党の林業ワーキンググループに呼ばれて話したことがあるが、その時は「林業は産業だ。儲けなアカン」という話をしたら、ポカンとされた。環境のため補助金をもっと出せというと思っていたみたい。当時のメンバーの多くは、自民党に寝返ったり首長に転出したり、落選したりしたが……その後、いきなり「林業は産業」と言い出して「森林・林業再生プラン」などを立ててきた。だがその頃の私は「環境を破壊する」と反対した。「世は人につれ、人は世につれ」である。

 

 

2021/05/03

隠れ仕事シリーズ③目黒駅前の探索

これまでも触れてきたが、土倉龍次郎について調べている。土倉庄三郎の次男である。

その足跡を追うと、なかなかの引っ越し魔であることがわかる。川上村から幼年時代に京都に移って同志社に通ったのはよいとして、そこからいきなり台湾に渡る。(その前に川上村にはもどっているが。)若くして台湾にわたって事業を立ち上げるのだが、本家の危機に台湾の事業を処分して帰国する。そして住んだのが東京だ。

東京のどこに住んだのか。最初は大磯(神奈川県か)で療養したようだが、その後は転々としている。それらを追跡しているのだが、なかなか全容はつかめない。同志社名簿などから住所を探ると、芝公園四号-四という住所が出てくるが、これは現在のどこだろうか。公園内ではあるまい。このままの番地で検索すると、東京タワー近隣になるが……。御成門駅の前で運動公園があるらしい。
次に大崎町上大崎に移っている。ここが長かったようだ。そこは小川も流れていた広大な土地で、温室をいくつも建てて、という。

というわけで、上大崎がどこか探したら、なんと目黒駅の真ん前ではないか。

そこで当時の地図を探すと、1917年の東京府の地図があった。この年は大正6年であり、庄三郎が亡くなっている。ちょうど龍次郎が上大崎に住んでいた頃だ。

1917

目黒駅のすぐ側に広い野原が描かれている。ここか。ここに龍次郎邸があったのか。広い。もし今も所有していたら、どれほどの財産になっただろうか (@_@)。その後、操車場になったとか、さらにバスターミナル?都電の駅?になったとか聞く。ちなみに現在は、Brillia Towers 目黒 サウスレジデンスというタワーマンションが建っているよう。超高級マンション&ショッピングセンターらしい。

いまさら当時の痕跡もないだろうが、付近を歩いてみたいと思っていたらコロナ禍で東京に行けなくなった。

その後、林業試験場の近くに移っている。これは現在の「林試の森公園」の近くということだから、ここも閑静な住宅街だよなあ。はっきりした住所がわからないのだが、目黒不動尊もある。

なお臨死の森、じゃない林試の森には以前足を運んでいる。その点については、以前、龍次郎も紹介しながらこんなことを書いていたなあ。

目黒の龍次郎

次に目黒を訪れたら、土倉邸跡地のタワーマンションで食事をしてみたい。(一人では寂しいか。。。)

 

2021/05/02

隠れ仕事シリーズ・奈良のジオパーク!

ゴールデンウィークとはいうものの、世間はコロナ禍で沈滞しているし、私も出歩く予定はないのだが、なんとなくブログも止まらん(^^;)。
そこで昨日に延長で、私の仕事紹介シリーズをしようかと思う。つまり2回目になるかな。できるだけ、世間があまり知らないものを(^o^)。

まず森の話が飽きたから(笑)、最近は地質の話題に足を踏み入れている。

毎日新聞奈良県版で連載している「大和森林物語」は奈良県民しか読めない(ネットならどこでもOKだが有料)。この最新シリーズは「奈良のジオパーク」。ブラタモリなみに地質マニアぽく書こうと思ったのだが、それでは読者ウケしないなあ、とちょっぴりオカルトぽく、「ムー」仕様で仕上げたのがこの記事。

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奈良の超古代には、飛鳥時代に先立つ知られざる巨石文明があった! と書きたいところなんだが、新聞的にはアレなので、真面目に地質学的にまとめたが、なかなか不思議な世界なのだ。紡錘形の巨石が、縦に並んでいるのだよ。これが結構な数ある。

もっと注目してもよい地形ではないかな。「ムー」編集部は何をしている(笑)。

新聞に掲載したのとは違う、巨石の写真を披露しておく。

5_20210502115301 3_20210502115301

なお、第2回目は聖火ランナーとか連休が間に挟んで間が開くが、11日を予定している。今度は『森は怪しいワンダーランド』的探検話にする予定だ(⌒ー⌒)。

 

2021/05/01

『かがり火』の森林ファクトフルネス

雑誌『かがり火』にインタビューを受けた。(といっても、昨今事情によりZoomによるのだが。)

この雑誌は、ヒューマンネットワークマガジンと掲げているが、地域づくり的なネタを扱っていると言ってよいだろう。購読者も、地方などの行政担当者が多いと聞く。相関は1987年で、編集人は内山節さんだった。今回は198号。ただ200号を持って休刊するそうだから、あと3号となった。別に経営危機からてはなく、発行人(菅原歓一さん)が高齢で、後継者がいないかららしい。

Img002_20210501163401

 

ちょっと私が登場する記事を紹介したいと思うのは、その冒頭で「森林ファクトフルネス」として森林林業に関するデータの真偽を問うているからである。7つの質問に対して3択で応えるわけだが、さて本ブログの読者はどれだけ正解するだろうか。若干あいまいな設問もあるが、挑戦してほしい。

Img001_20210501163401

インタビューは、この後ページにわたって掲載されている。内容は、もちろん『絶望の林業』に則したことだ。

紙の雑誌受難の時代だが、媒体がなくなっていくのは、やはり書き手にとって残念なことである。その分、ネットが興隆しているとはいえ、どこか違うのだ。私自身も文章の書き方を変えるし、また読者層も違いがあると感じる。同じ人でも、紙の記事とネットの記事は読み方が変わるのだろう。

ともあれ、連休を持て余している人は、お試しあれ。

なお、この雑誌はなかなか書店では手に入らない。一応、連絡先を記しておく。

◆『かがり火』編集部メール kagaribi@ruby.famille.ne.jp
◆『かがり火』編集部FAX 03-5276-1050
メール、FAXとも、お名前のほか、ご住所、お電話番号、メールアドレス、開始号をご記入ください。

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