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2021/08/15

落下傘部隊が下りたチモール島の植生

8月15日。今日が本当の終戦記念日……だが、ある戦場では、その3日前に日本が降伏したことを知っていたという。

なぜか。第3弾は、ちょっと毛色を変えてみよう。

その前に、その「戦場」の占領時の話。戦場とはチモール島のことだ。

インドネシアの大スンダ列島の東端に位置するチモール島。(今はティモール島と表記)

ここは西チモール、東チモールと分かれていて、戦前は西がオランダ領、東がポルトガル領であった。戦後は東がインドネシア支配下から21世紀最初の独立国になったことは記憶にまだある人もいるだろう。ただ戦中は、どちらも日本軍が占領していた。ボルトがルは中立国だから、後に若干の国際問題になってしまう。

チモール島の東端にクーパン(現クパン)という街がある。州都だ。私はここに飛行機で訪れたのだが、上空から見える景色はちょっと感動した。なぜなら東南アジア的な熱帯雨林ではなく、サバンナが広がっていたからだ。私にとって、初めての景色だった。

1_20210815164901

ここは乾燥地帯なのである。実際、見渡す限りの平原で、そこを馬で行く現地の少数民族の姿は、西部劇ぽかった。
ちなみに現地住民の中には、黒人がいた。おそらく古マライ系先住民かと思うが、東チモールにはポルトガルがアフリカから連れてきた黒人もいるというから、ちょっとわからない。またアラブ系の人も見かけて、国際色が豊かというかちょっとアジアとは外れた感覚に浸れた。

さて日本軍は、クーパンを占領するために海軍の落下傘部隊を投入した。1942年2月20日のことである。もちろん正面から陸軍も上陸したのだが、クーパン飛行場を無傷で手に入れるため背後に空から奇襲したのだ。

日本軍の落下傘部隊は、最初が海軍のスラウェシ島のメナド、次に陸軍のカリマンタン島のパレンパンが有名だが、実は3番手としてクーパンがあるのだ。戦記マニアでなければ知らないだろうから紹介しておく(^^;)。1番も2番も知らないよ、と言われたらそれまでだが。
結果として、あまりクーパンの落下傘部隊は成功しなかった。戦車に襲われて苦戦したし、飛行場も破壊されてしまったから、余計に有名でなくなったのかもしれない。

その記録写真を私は手に入れている。

1_20210815165301 2_20210815165301

ただ海軍提供とはあるが、本当にクーパンのものであるかどうかはわからない。報道用のものは、わりと事前に準備した練習中のものを使うことが多いからね。なお、実際のニュース映画映像は、ユーチューブにアップされていた。

さて、私が見た地上の風景は、こんな具合。

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湿地が写っているが、雨期だったのだろうか。こんなところに落下したらたまらんな。

クーパンの街には、海辺に古い建物があったが、それが戦前のものかどうかはわからない。

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ここで日本軍は終戦までの3年半、占領し続ける。そして1945年8月12日を迎える。
ここで敵の電波傍受を続けていた部隊は、驚くべき情報を入手した。日本が無条件降伏したというのだ……。

さて、続きは別の機会に。※拙著『チモール知られざる虐殺の島』(彩流社)参照のこと。

 

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