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森と林業の本

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2021/11/08

曽爾高原のススキの秘密

思わせぶりなタイトルだが、先日の森のようちえん全国交流フォーラムは、奈良県の曽爾高原で開かれた。ここにある国立曽爾青少年自然の家を会場としたのだが……そこからはすり鉢状に広がる高原のススキ風景が見渡せた。

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ちょうど見頃だったので自慢の美しい風景が広がっていた。関西圏では有名だし、また2~3月に行われる野焼きも名物。若草山の山焼きと並ぶ行事も、ススキを生やすために行われるとされる。

そこで草原ジャーナリストの血が騒ぐのだが、一般にはススキ野原は日本の原風景とされる。曽爾に限らず、日本の野山はどこも樹木は少なく草山化していたのだ。その方が田畑に入れる堆肥もつくれるし、茅葺き屋根の材料を調達できる……。だが昭和30~40年代、どんどん植林が進められて、周辺はみんなスギ林になっていった。だが、曽爾高原はずっと守ってきたと伝えられる。

が、それに疑問がわいてきた。新たな情報を得たのだ。

何を隠そう、ネタ元は青少年の家にあった(笑)。

それによると、大正時代から徐々に道が整備されて、観光開発が進んできた。昭和45年には、この地域を含む室生・赤目・青山国定公園に指定される。そこで自然景観を保護整備することが検討され、その結果、ススキを植栽することにした……と記されていたのだ。

もちろん、それ以前からそこそこススキは生えていたのだろうが、あえて観光のためにススキ野原をつくろう、と植えたのだった。つまり、現在のような一面のススキは50年くらい前に計画的につくられた?

案外、日本の景観と呼ぶものは、そんなものなのだね。比較的最近つくられたり、逆に変わってしまったり。江戸時代以前からの景色はあまり残っていないのではないか。

実は、最近そのススキも衰退が進んでいて、数年前には背丈も低くなり本数も減って「ススキ野原」ではなくなりつつあった。そこで、改めてススキを植栽するとともに無人ヘリで肥料を撒いているという。その甲斐あって、今年は結構見映えのするススキがもどってきたという。

そういや奈良の若草山のススキも衰退著しい。そくに今年は山焼きもちゃんとできなかったので、見すぼらしくなったようだ。こちらも何か手を打たないといけないかもね。さもないとシカさんの餌が足りなくなるよ。

 

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