道なき道の山で発見した
運動不足で身体が重い。平坦なところを歩いてはダメだ。
というわけで、今度は山登り。当然、生駒山。とはいえ、私がフツーの登山道を登るわけはない。道のないところを登るのだ。
道路から、わずかな藪の裂け目を見つけて潜り込む。冬は草が枯れているから木々の間を抜けるのに都合がよい。人の道の通ったルートは避けて、いかに道のないところ、それでいて通れるところ、そして山頂へ向かうルートを見つけるか。
基本は稜線を中心に進むが、少しでも藪が薄いところを狙う。途中、幾度か山道に合流したが、横切る程度にして、できる限り避ける。あくまで道のないところを進むのだ。
すると、意外なところで人の痕跡に出会う。
倒木の下をくぐって……と思うとその前の木に黄色のテープが巻いてあった(゚д゚)。
さらに落葉に埋もれた急斜面をすべりつつよじ登ると……空き缶に出会う。
なぜだ。測量でもするつもりで入った人がいるのか。それともかつて人が通った道があったのか。いや、道がなくても、そこを突破しようと思うと無意識に通りやすいところを選ぶので、同じようなルートになるのかもしれない。本当はゴミだから捨てるなよ、と思いつつ、なんだか「ここに来たのは、オレだけじゃない」という気持ちにさせられる。
さて、無事に山頂に着いた。生駒山の山頂は遊園地である。
休園中だけど。無人の遊具が折からの強風で揺れていた。。。なんか、幻想的でいい感じ。
さて、下りも道なきルートを探すが、登りのような目標地点がないから難しい。下りで詰まったら撤退できずに危険でもある。
そこでわずかな人の痕跡を踏まえつつ、森を分け入る。不思議なもので、そこでも私が「このルート!」と思って進んだところにビニールテープの印がある。誰か先に通ったのか……。
やがて、どこからか湧きだした水が沢になり川になっていく。そこに沿うように下っていくのだが。なんと!
ぎょえ、石造りの遺跡だ。古代遺跡発見! と言いたいところだが、これ、滝に打たれる行場ではないか。こんな人里から離れた山の中に行場があるとは。周りは道があるようでないような、廃道レベルなんだが。おそらく戦前か戦後すぐぐらいにつくられたのだろう。神の山・生駒山には宗教施設がたくさんあるが、これもその一つだと思うが、完全に廃墟。
その後、結構下ってなんとか下の道に出た。いやあ、夏になったら、この行場にもう一度たどりついて滝に打たれてみようか。そんな気持ちにさせられたのである。
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