桜葬~悪貨が良貨を駆逐する
吉野山の如意輪寺と言えば、後醍醐天皇の墓所でもある。そこに桜葬墓地がオープンしていた。
奈良にも樹木葬墓地が増えてきたか……と思ったわけではない。むしろ頭に浮かんだのは「悪貨が良貨を駆逐する」だ。
もちろんどんな墓地をつくろうと、その墓地に入りたいと思う人がいようとかまわないのだが、少なくても桜葬は樹木葬とは似て非なるものである。そして、そんな樹木葬が圧倒的に増えており、本来の樹木葬が広がらないことを感じた言葉である。「悪貨」というのは私の描いた樹木葬(良貨)ではないという意味だ。
そもそも樹木葬の理念は、埋葬を通して森を整備して環境保全に役立てるという発想から始まっている。だから埋葬地はやがて自然に還るというのが基本だ。「緑の埋葬」ともいう。世界には、樹木葬墓地エリアが自然保護区に指定されたところもある。
ところが現在広がっているのは、環境や森のことを考えたのではなく、単に石の墓標を樹木に置き換えたものとなった。さらに石の墓標も残しつつ樹木を植えたものまで登場した。さらに樹木がない樹木葬墓地まで生まれている。その墓地内にある1本の木だけを墓標として、その周りに石墓が並ぶのだ。私が見て歩いた中には、遠い墓標は中心の樹木から50メートルくらい離れていた。もはや何をもって樹木葬と呼ぶのかわからないようになっている。
そして、その典型が桜葬なのである。
なお樹木葬の特徴としては、やがて自然に還るから、永代供養であることもあるが、樹木をサクラに限ったことで世話が欠かせなくなった。毎年花を咲かせるようにするには肥料もやらねばならないし、剪定も必要だし、毛虫の発生には消毒も求められる。石墓よりよっぽど手間がかかる。それを業者に任せたら金がかかる。
おそらく、こうした墓は、遠からず放置されるだろう。遺族も子の代、孫の代まではともかく、それ以上先になると被埋葬者の生前を知らない子孫となり、墓守を担う期待はできない。しかも人口減社会では遺族もいなくなる可能性が増えていく。本当の樹木葬は、それにも備える意味があったのだが、形骸化というか無視されてしまった。
これは樹木葬墓地の中につくった桜エリア。森の中に桜を植えた箇所があり、その周辺に埋葬する。これぐらいならいいかな、と思うが……。
ちょっと寂しい。私が入りたくなる樹木葬墓地は、いまだに奈良県内にはない。
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