石の時代から木の時代へ
関西以外の地域でどれほど話題になっているかわからないが、今年は高松塚古墳発掘50周年である。つまり、あの彩色壁画が発見されてから50年が経った。
一時はカビが生えて壁画が消えかかるという失態を見せて大騒動になったが、なんとか修復は終えて作業室に保管されている本物が来月から一般公開が始まろうとしている。で、私も一足先に……。
もちろん本物ではなく(^^;)、壁画館にある模写されたレプリカである。
ちなみに私が興味を持ったのは、高松塚より中尾山古墳。近年発掘が進んで、八角形をした古墳だとわかり、これこそ文武天皇の墓ではないかと言われ始めた。今ある文武陵はどうなるの? と思わぬでもないが、飛鳥時代終末期の小さな古墳が新時代を表す。
もともと古墳とは、その巨大さで人々を圧倒し権威づけするのが目的の一つと言われた。だから「仁徳天皇陵」のような世界最大の面積を持つ人工墳丘をつくったのだ。いわば土と石の時代。
ところが飛鳥時代から奈良時代へと移る頃には大きさは気にしなくなった。なぜなら権威づけは仏教寺院へと移っていくからだ。木材を使って巨大寺院や宮殿をつくることに力を注いだのだ。ここから木の時代へと入る。
もし日本を木の文化の国というなら(私は疑問を持っているが)、その出発点は、終末期古墳に見られるように石が力を失い、木の建築が力を持ち始める奈良時代に求めてはどうだろう。
明治以降は、金属とレンガ、コンクリートに見られるように再び「(疑似)石の時代」となっていた。もし現代に再び木の文化を謳い上げ「新・木の時代」を築きたいと思うのなら、象徴となる存在は何があるのだろうか。まさか、CLTの木造ビルだというんじゃないだろうな?
ちょっと脱線。
飛鳥時代は、石の文化をつくったといえるように石造物が多い。なかでも異色なのが、猿石だ。日本のほかに例のない造形の石造物である。
一般には明日香村にある4体を指すが、猿ではなく「女」「山王」「法師」「男」と名付けられている。
これは「法師」だったかなぁ。「山王権現」か。
では、この猿石は?
この猿石をご存じだろうか。実は、明日香村ではない。隣の高取町、もっと言えば、高取城の登城口の一つニノ門の外側に設置されているのだ。
どうやら明日香村から運ばれてきた……有体に言えば盗まれてきたらしい。もっとも盗難というよりは城づくりの過程で、石垣用の石を集めるときにこの手の石造も混ざっていたのではないか。が、これを石垣にしちゃマズいんじゃないの?呪われるぞ、と建築責任者が感じたのか、そのまま登城口に設置して守り神にしちゃった……とまあ、これは私の推測も交えた想像である。
ほかにも京都の料亭に、明日香村の石造物があったりして、これも戦前に売られてしまったものとされる。案外、あちこちに力を失った「石の時代」が四散しているのかもしれない。
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