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森と林業と田舎の本

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2022/05/05

新島八重の子ども? 

私が先月末に東京に行ったのは、書店巡りや街歩きのためではない。それなりに仕事もしたのだ。

そんな関係で帰って来てからも若干の資料整理やら確認事項がある。その時にストックから見つけ出した写真。「こどもの日」にぴったりかも。

Photo_20220505195001

明治の10~14年頃に取られたものだ。写っているのは誰かわかるだろうか。

真ん中の婦人は、新島八重。そう、同志社を創設した新島襄の妻にして、戊辰の会津戦争では狙撃手として戦った八重である。大河ドラマ『八重の桜』の主人公でもある。そして右側が土倉龍次郎。左が亀三郎。土倉庄三郎の次男と三男だ。年齢は11歳と6歳と記されているのだが、これは数えかもしれない。また二人の子どもの生年月日がちょっと怪しい(資料によって違う)ので、余計にわかりにくい。

ようするに土倉家の幼子は、この時期に同志社英学校に預けられた。一応は入学という形をとっているが、この年で英語の勉強をしたというよりは、養育されていたというべきだろう。世話を見たのは、同志社女学校の生徒ということだが、亀三郎は宣教師の女性パミリーに引き取られたという。パミリーはアメリカへの手紙に写真を添えて「My little  boy」と裏書きしたという。そして、たまに校長の家に遊びに行って八重に可愛がってもらったようだ。

庄三郎は、息子も娘も幼いうちに大阪や京都の学校に寄宿させている。当時はわりと大胆だったのだなあ,と驚く。この年に外に出してしまうというのは、現代から見るとちょっと早すぎるように思うが、実家だとボッチャン・オジョウサン扱いされてしまうからかもしれない。

そして龍次郎は、その後同志社を卒業?する20歳ぐらいまで京都で暮らしたよう。そして大滝に帰ると、南洋を夢見て、台湾へ雄飛する。
亀三郎は、卒業を待たずに伊勢の瀧野家に養子に行った。それが何歳なのかわからないのだが。そこで名前は「三郎」に改名した模様。当時は、養子とともにわりと簡単に改名したようだ。ただし正式な養子になったのはずっと後のようだが……この当たりも謎が多い。なお瀧野家も大山主の家系だ。かつては瀧野村をつくるほどであった。この瀧野家を逼塞させたのも三郎なのだが(^^;)。

そんなこんなで、こどもの日に幼子の写真を見つつ行く末を想像するのも悪くはあるまい。

 

 

 

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