スキー場が潰れた理由
今日は早朝より1400m級の山に昇ってきた。これ、日帰りはきついよ……。
面白いのは、その山にはかつてスキー場があったこと。なんと森林を皆伐した跡にスキー場をつくろうと思い立ち、いきなり300人収容できる山荘を建てるわ、リフトも完備するわ。奈良県にそんなデカいスキー場があったとは感動もの。
もちろん昭和30年代の話だが。スキーが日本で広がり、ブームになると睨んだのだろう。この開発会社の社長、なかなか鋭い。その読みは当たった。たしかに、それから10年ぐらいすると日本中にスキー場がつくられるようになったのだ。奈良は先んじていた?
昭和39年にオープン。 が、5年後に閉鎖される。なぜか。それが笑える。雪が降らなくなったとか、ではない。
そこまで開発したのに、スキー場までの到着する道がつくれなかった\(^o^)/。だからスキーヤーは歩いて山を昇らなくてはならなかった。
ちなみに私は、最寄りの駐車スペースから1時間50分でたどりついたが、なかなかの道であった。渡河すること何回か。ロープを伝わって渡るのだ。そこに梯子を昇ったり、崖に設置された橋を渡るのだが、どちらも腐っている……。かなりの急難コースだろう。道そのものはしっかりあるので迷うことはなかったが。これが夏の場合。雪があれば何時間かかるのか。
でも、5年間は登ってたどりつくスキーヤーがそこそこいたらしい。当時のスキー好きはたくましい。
当時は、もう少しマシな道でも着けていたのだろうか。しかし、ゲレンデとなる平原まで周りは急斜面ばかりである。山荘を築くのに資材搬入の道は入れたのだろうか。あそこに車で登れる道路をつくるのは当時も今も、かなり難関だろう。
リフト跡か。残骸が各所にある。
伐採跡地をスキー場に、という先見の明はともかく、開発の順番が間違っとる。
目先ではなく、先を読むこと。流通ルートが大切なこと。どんな事業にも当てはまる。なんだか今もありそうな開発である。
« 「主伐するとカーボンニュートラル」理論・林野庁版 | トップページ | 「無断伐採」届け出のむなしさ »
「森林学・モノローグ」カテゴリの記事
- 阪神大震災、改めて思い出す(2025.01.17)
- 雪化粧。そして、うぴ子(2025.01.12)
- ジビエ嫌いのジビエ・ビジネス(2025.01.11)
- 森の奥で根っこを張る(2025.01.05)
- 不入の森、不入の神社、最凶スポット(2024.12.25)
コメント