土倉祥子は国民義勇隊の隊長
朝、国民義勇隊が結成された時の資料が見つかった……というニュースが流れていた。1945年6月に本土決戦のために義勇軍を結成させるための法律が制定されたのだが、大政翼賛会・大日本翼賛壮年団・大日本婦人会などを吸収・統合した組織である。
まあ、すでに軍に動員する人材(若い男性)もないので、中高年男性と女性を動員してつくろうとしたものである。そして竹槍訓練をしたそうな……。
それで思い出したのだが、『評伝土倉庄三郎』を執筆した土倉祥子。彼女はこの隊長に任じられていたらしい。なんと東京の女性義勇隊1万1000人を率いることが内定していたとか。。。
そのことを土倉祥子に町内会長が伝えてきた。勝手に決められて、あっと言う間に終戦になったらしい。
本人も笑い飛ばしているが、終戦直前にこんなドタバタがあったということか。ちなみに土倉祥子は、奈良県五条市の島本家出身で本名は祥。祥子はペンネームみたいなものだ。本人によると男と区別がつかないから子をつけたとか。
庄三郎の次弟の孫梅造と結婚して土倉家に入ったが、なかなかの女丈夫で知られる。終戦後は戦災孤児の養護施設に食料を提供したり、施設をつくるためアメリカ軍のポータブル兵舎を払い下げ交渉をしている。戦争未亡人のための託児所をマッカーサーに手紙を送って、援助を取り付け184棟建てたりもした。
その後は実業界に入ったかと思うと大和タイムスという新聞の記者というか寄稿者を務めていた。
肩書としては、日本建設株式会社社長、日本木造船舶輸出株式会社社長、SKマリンコーポレーション取締役副社長アジア支配人など歴任。ほかに神戸財団理事とか、奈良社会福祉協議会奈良社会福祉院常務理事、奈良女子大学付属高校同窓会会長なんてのもある。
その交遊関係は、政治家も多いが、右翼もいれば左翼もいる。アメリカ軍政府とも通じていたようだ。タイの王族に船を売った話も出てくる。この人物自体も、相当興味深い。
私は土倉家お付きの伝記作家ではないのだが、次々とおもろい人物が登場するなあ。
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