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森と林業と田舎の本

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2022/12/09

土倉伝で新装書き下ろし!

東京から帰って来て、今週はマジメに仕事している。天気がいいのに山にも行かず……。

取り組んでいるのは、土倉庄三郎伝

そう、10年前に出版した『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』の新版である。最初は増補版とか改訂版をイメージしていたのだが、書き出したら新しい事実が次々と出てくるので、もはや8割方新しい書き下ろしとなった。だから書籍としてもまったく新たな本になると思っていただきたい。分量的にも3割増しぐらいになりそうだ。

どこが、どんな新しい情報があるのか全部明かせないが、ちょっとだけ枝葉瑣末な部分(^^;)を紹介しよう。

●土倉家は、明治初年時から牛乳を飲む生活を続けていたが、その牛乳は川上村大滝の山の上、太刀屋というところで牛を飼って採乳をしていたとされる。この乳牛飼育の記録、どうも日本でも最初期らしいのだ。もちろん牛は飼っていたから、牛乳の存在は知っていたのだろうが、それを人間が飲むことは少なかった。牛も役牛であった労働のために飼っていた。農作業や荷物運搬などである。肉も飢餓に陥らねば食べない。子牛が生まれたときだけ絞れる乳に注目することはほぼない。飛鳥時代には飲んでいたというけどね。

日本で近代酪農が始まったのは、明治2年、1869年だ。築地牛馬会社が設立され、新宿二丁目や下高井戸に牧場を持って牛乳を絞っていた。バターやチーズを製造販売した記録もある。土倉家の牛乳も、おそらくそれに近い年代のはず。子どもたちに牛乳を飲ませていたらしいのだから。

日本の酪農史として、驚異的だ。東京のど真ん中で行った酪農と山深い山村のさらに山の上が並ぶのだ。奈良県内でも最初だろう。

ちなみに小学校の制服が洋服だったのも、日本で最初期。1876年に横浜で縫わせて、男子児童たちに提供している。女子児童には袴。これも珍しい。当時、女性は袴を身につけなかったからだ。

●日常的にイチゴミルクを食べていた。しかし日本に現代のイチゴ(オランダイチゴ)が初めて栽培されたのは、1898年(明治31年)なのだ。それも栽培が広がったのは戦後である。いったいどうして、土倉家にそのイチゴが届いたのか謎。ほかにも中東原産のイチジクも食べていたらしい。ついでに言えば、土倉家では、和洋中華、どんな料理もつくれる厨房だったそうである。

●ほかにも、アフリカ原産のオクラを栽培したのも川上村とか……和名はドクラから取ったというんだけどね、これはガセネタ(^^;)。

Photo_20221209174201

せっかくだから、こんな写真も。前列の真ん中に座っているのは、西太后。その左隣が土倉庄三郎の次女政子である。清朝の女帝に、ここまで接近した外国人はほかにいない。

出版は来春予定だから、乞う、ご期待。

 

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