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2022/12/31

分水嶺に立つ

分水嶺について考える。

今年は27日でブログ更新は終わるつもりだったのだけど……長年の習慣で、次何を書こうかといつも脳裏を刺激してしまう(^o^)。

そこで分水嶺。分水嶺について考察してしまったのだ。
きっかけは平群町のメガソーラー計画だ。申請書に数々のデタラメがあるのは先に記した通りだが、その中に分水嶺の変更がある。5万枚以上のソーラーパネルを並べるために森林を伐採して、尾根を削り地形さえ変えてしまうのだが、すると分水嶺が変わる。雨などの降水が流れる方向がこれまでとは違ってしまう。

動かす分水嶺の長さは、数百メートル。動くのも横に数十メートルぐらいだろう。伐採した面積は30ヘクタール程度だから、尾根筋の距離にするとたいしたことない。地味で、それがどれぐらい重要なことかすぐには思いがいかない。しかし、その分水嶺の変更によって雨の流れる方向が変わる土地は、約6ヘクタールにもなるそうだ。

尾根が変わると降水の流れる方向が変わる。流れ込む谷が変わる。川に流れる水の量が変わる。

Dsc00100

それが、どれぐらいになるか計算できるだろうか。日本の一般的な年間降水量を1500ミリとすると、単純に1・5メートルの厚さの水だ。1センチ四方に降る雨が高さ1センチで1グラムだから、1・5メートルなら150グラム。1メートル四方だと1500キログラム。100メートル四方(1ヘクタール)だと15000トン。それが6ヘクタールだから90000トン。それが600メートル×100メートルの土地に降る水の量だ。(これで計算は正しいかな?)9万トンの水とは、どれほどか想像できるだろうか。

これだけの水の流れる方向が変わる。下流の水量は大きく変わるのだ。それを下流に住む人々、とくに水利権を持つ人々の知らないまま行われるということはどうなる? いや土中の水分量も変わるから、植物や微生物にも影響を与えるだろう。減れば川や池が枯渇する。増えたところは土石流の発生だって考えられる。

見た目は小さな地形の変化が、実は周辺の環境を大きく変える行為になる。

思えばここ数年、とくに今年は、世界中が分水嶺に立って、その位置を巡って争っているように思えた。自分の都合のよいように、わずかに分水嶺を動かす。物価高、電力不足、3年間コロナ禍で我慢したからちょっぴり贅沢……目の前の情勢に合わせて少し動かす。たいしたことないじゃないよ……と主張しがちだが、その影響は末広がりに大きくなる。

目先のルールの変更は、時代を超えて巨大な地球環境にも影響を与える。

そんな時代の分水嶺に生きているんだと思う。私自身も自らの人生の分水嶺に立つ。どちらに水を流すのか。それが今ではなく、将来に何をもたらすか。真剣に、深く洞察しなければならない。

 

 

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コメント

大晦日のトレンドランキング1位に
斜面崩れ
山形県鶴岡市で
気になったので見てみたら
ニュースのテレビ画面、山形県と鶴岡市の位置を示した地図だけ
考えてみたら深夜で真っ暗、その中で住宅10棟が
奈良県平群町、他人事ではなくなりそう

おそらく全国で起きていることです。
でも、何年か先に重大事態が起きても、その分水嶺には遡らない。気付かない、気付かないふりをする。

人生の分水嶺に立つ…ですか、上手い事言いますね〜分水嶺は右に流れるか左に流れるか二つに一つです。これまでも、これからも色々な事で右から左かの選択をしなければなりません。年末に相応しいお題です。さて、分水嶺を変えると言うことは、集水域の面積が変わります。谷が浅く、今まで災害が起きた事の無い地域に経験の無い多量の降雨が流れ込むかも知れません。下流域に与える影響は計りきれないのです。

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