メモ。恒続林という言葉について考えた。
私が恒続林を知ったのはいつからだろうか。
学生時代に読んでいたと思うから、少なくても20代には意識していたはずだ。それを文章にしたのは、2011年発行の『森林異変』が書籍では最初だろう。最後のまとめで取り上げた。その前から記事にはしていたと思う(講演でも話していた)ので、2000年代始めには勉強をし始めたと思う。『森と日本人の1500年』では、もっと詳しく触れた。
もちろん、基本はアルフレート・メーラーの『恒続林思想』である。ただこの本は「思想」と訳本タイトルにつけた通り、森と林業に対する一種の考え方、哲学に近いと思っている。具体的な施業技術ではないのだ。実際、さまざまな流派があるようだ(笑)。
私自身は、文字通り「恒(常)に続く森林」と捉えていて、「森の状態を壊さずに木材生産をする林業」と大枠で捉えている。メーラーの思想や、その前からの森林美学(ザーリッシュ)、ガイヤーの生態学的林業など中欧で培われた森林管理技術と林業形態はもちろんよいが、そうでなくても森をなくさない林業は各地にある。日本にもある。というか、日本では近世より行う地域はあった。
たとえば吉野林業は皆伐を行うが、一カ所の面積はそんなに広くない。江戸時代は1畝、2畝単位だし、せいぜい1町歩までではなかったか。なぜなら人力でそれ以上広く伐り搬出するのは大変だったからである。それゆえ山林土地の所有も細分化していた。
そして、すぐに植え付けしたから森は再生に向かった。それもスギとヒノキを混交させて植えた。だから広い範囲で見れば、伐採は森の中の一部であり、吉野も森林状態を維持する林業だった。
また広葉樹もかなり多く残していたようだ。全部伐らないのである。それは広葉樹も必要だったから。当時の道具や建築には広葉樹材も使われていたためだ。それに広葉樹を生やすことで森林土壌を豊かにして森林を守る技術でもあった。
さらに雑木林を交えた林業も、抜き切りが基本だから恒続的な森林維持的林業だった。針葉樹と広葉樹の混交は普通に行われていた。また樹種転換を世代ごとに行う林業もあって、最初はマツで、次にスギで、最後にヒノキ……かと思いきや、間に広葉樹もかさんでいたりする。
さらに今はアグロフォレストリーという概念になった農林畜産複合だって、実は森林持続を前提としている。森の中で農作物を栽培し、牛豚などを飼育するのだから。
そうした多種多様な草木を育み、森の状態を壊さないように森から幸(木材のほかにもいろいろ)をいただく林業を示す言葉として「恒続林」を使いたい。ただ「恒続林」では森の形態と勘違いする人もいるので、林業の一つという意味では「恒続林業」とした方がよいかもしれない。
そんな広い意味で私は「恒続林」という言葉を使うのだが、こうした「大枠としての恒続林」は、今後林業の主流になっていくと思う。ならねばならないとも言える。SDGsに則したテーマでもある。
それを完膚なき状態まで破壊したのは、戦後の林野行政だと思っているが、それでも現在も各地に頑固に守っている、あるいは新たに取り組んでいる林家はいる。ただ本人たちは、それを恒続林だとか認識していない例も多い。自らの思う森づくりを進めた結果なのだ。
ただ世間には狭義の、というかガチガチの信者的に「恒続林?それはメーラーの唱えた林業技術だ」と決めつける人もいる。だから、ほかの独自流派の「恒続林」を認めない。一神教である。そういう人の描く林業世界を、カルト林業、世界統一恒続林協会(教会)と呼んであげよう(笑)。
また「林業とは、皆伐して一斉造林するのが正しい姿」と時代遅れの法正林を金科玉条とする林家も日本には多い。たかだか戦後生まれなのに、これが正しいと思う林家もカルト林業家だ。
林野庁の示すこの「循環型林業」図も、実は全然循環していない。皆伐して、その後植え付けても森らしくなるには20年はかかっている。伐期を60年としても3分の1が森でない状態だ。これで循環? 20年間の非森環境の間に、動植物の生態系はかなり崩れただろう。残りの40年で元通りになるか怪しい。どんどん劣化していくだろう。つまり螺旋階段を降りていくような林業。
イメージ的には、こんな森林。見事に混交しているが、植えたスギは100年生だ。放置林ぽい? そう見えるとしたら、あなたもカルトに犯されている(笑)。
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