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森と林業の本

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2023年1月

2023/01/31

奈良のシカ遺伝子はなぜ独自性を生み出したか

奈良公園のシカがほかのシカとは遺伝的に違う。

そんなニュースを見て、これは取り上げねば!と張り切ったら、なんと続々とテレビに新聞にネットに取り上げだしたではないか。出遅れた……。

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そしてYahoo!ニュースでも、よみうりテレビのニュースを転載していた。これに気付いたのが、夜になってから(泣)。

【速報】奈良公園のシカに他で確認されていない独自の遺伝子型 福島大学などが発表

これはイカン、とあわててコメントを付ける。ぜひ読んでほしい。

奈良公園のシカ(ナラシカ)は、これまでも周辺のシカ棲息地から孤立した群であることから遺伝子的に違うのではないかという意見が寄せられていた。今回はそれが証明された形だ。ナラシカの形態は他群と目立った違いはないが、体重などは一般的なホンシュウジカ(ニホンジカの亜種)より少なく30キロ程度。また栄養失調の傾向がある。……(後略)

ほかのコメントとは違うから(笑)。なんたって『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』の著者だよ( ̄^ ̄)。

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重要なのは、過去には紀伊半島全域にシカがいたはずだが、奈良の都以外では、どんどん狩りが行われて数を減らしたこと。その間も現在の奈良公園の範囲では保護が行われたこと。結果的に奈良公園だけが孤立した群が生き残ったので、遺伝子も独自性を高めたのである。

ところが近年はシカがどんどん増加して、ナラシカとは別の群のシカが奈良公園への侵入を始めている。つまりこの傾向が続けば、ナラシカの遺伝子は交雑して、再び周辺のシカと変わらなくなる可能性があることだ。

それにしても、このニュースが全国区になり、みんなが注目したことには驚いたぁみんな奈良のシカが好きなんだなあ。

 

 

2023/01/30

凶の年始め撮影は

今年の初詣で引いた御神籤が「凶」だったことは先に記したが、たしかに今年はついていない。まだ1カ月しか経たないが……。

父が亡くなったのは、ある意味昨年から予想されたことであったが、その後も何かと不吉なことばかり。

とくに痛手は、カメラを壊したこと。こう見えても十数万円の高級カメラを使っていたのだが、取材に行った先で、かがんだ際にほんの3,40㎝の高さから落としたのだ。それなのに修理に出すと、修理費10万円越え。。。 (゚o゚;) 。泣きそうになる。

それなら新品買うわ~!と修理を断って、4万円のカメラを買い直した(^^;)。まあ、通常の取材はこれで十分な性能がある。まさか取材先でスマホで撮影するのはみっともないからなあ。でも、馴染んだ愛機に未練が残る……。

不幸中の幸いだったのは、取材を終えてからの故障だったこと。で、最後の撮影したものはこれ。

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酒を仕込む桶である。今は木桶復活ブームらしい。でもこうした巨大桶となると、職人もだが、素材となる木がなかなかない。結局は吉野杉に行き着くのである。

ただ、話を聞いていると、桶の部材になるには、細かな条件があるそうだ。年輪が密で、無節で……というのは基本であって、ほかにもいろいろある。なかでも面白かったのは、心材と辺材の境目が重要だということ。これで4メートル材を取ろうとしたら、そりゃ、通常のスギでは厳しいだろう。

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写真に写っている白い筋のような赤身と白太の間の部分が板の中に走っていると、水がもれないらしい。これは、どうした原理だろう。白太は生きた細胞で、赤身はリグニンが沈着した死んだ細胞というが、それが桶にどういった作用をするのか。

ただ桶材は、かつての四方無地の価格で売れるそうなので、超高級材であることは間違いない。吉野林業復活の鍵は、桶にあり? 風が吹かなくても桶は儲かる、かも。

2023/01/29

「森林破壊に関係する商品販売禁止」法

世界の動き、メモ。

森林を破壊して作られた商品の販売は禁止する……ある国がそう宣言すると聞けば、どう感じるだろう。なんだか夢物語みたいで、「極端だなあ、無理でしょ」と思うのではなかろうか。だが、本気だよ、EUは。

「森林破壊に関係する商品販売禁止」法が成立したのである。具体的には、EUは森林破壊リスクのある農産物や畜産物などのサプライチェーンに規制をかける法律だ。森林を伐採した土地で生産される農産品やその加工品はEU域内に輸入できなくなる。EUを脱退したイギリスも、実はEUより先に法案を成立させた。現在は細則を練っている最中だというが、施行されたら、世界中に大きな影響を与えるだろう。

品目は、カカオ・コーヒー・パーム油・大豆・畜牛・木材の6品目。欧州議会は、さらに天然ゴムやトウモロコシなどを対象に含めて規制強化するよう求めた。

気付かれただろうか。木材が入っているのだ。つまり、森林を破壊して収穫した木材は輸入しなくなる。判定の方法は、サプライチェーン全体で森林破壊に関するデューデリジェンスを企業に求める。産物の生産地の位置情報や生産日、法令順守などを確認したうえで、衛星画像との照合などを通じて森林伐採や荒廃によって生産された農産品でないことの証明を義務付けられる。

対象となりそうなのは、やはり南米やアフリカ、東南アジアだろう。アマゾンを切り開いてダイズ畑やトウモロコシ畑、牧場をつくった大豆、トウモロコシ飼料、そして牛肉も輸入禁止。熱帯雨林をオイルパーム農場にしたヤシ油や、カカオを使ったチョコレートも輸入禁止。

ヨーロッパが木材輸入を止めたら、日本はその分を輸入できるんじゃね? と浅ましいことは考えないように。どうせ、時間をかけて世界標準になるのだから。批判が集中して、日本の商品だって対象になるだろう。

さて、どうする? 日本では誰も論じていないような気がする。

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地平線までアブラヤシの続く農園。マレーシアのサラワク州にて。これは対象になるかな。

2023/01/28

森林林業の棚の本を行方

大阪難波のジュンク堂に寄った。そこで見た、森林・林業棚。

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絶望の林業』と『フィンランド 虚像の森』の平積みというか平展示。有り難い……というか、『虚構の森』はどこ?とキョロキョロ(笑)。

しかし、この棚には森林や林業関係の書籍が並ぶのだが(もう1段隣にもある)、ここにある本の中には私がすでに持っている本が多い。ま、読んでいるかどうかは微妙だが。どうだろう、皆さんも確認してほしい。

私は,目についた森林本で新味のあるものはなるべく購入しておくことにしている。ちょっと中を覗いて、これはいらないと思う本は別だが、とりあえず森林関係の資料として手に入れておく。林業本もそれに準じているが、最近は買わなくなったかな。つまらないもの、二番煎じのものが目立ちだしたので。いや、基本的に私が興味を失ったこともあるだろう。

しかし、この手の本、あまり図書館にはないし、書棚から消えたら手に入らないのではないか。

実は、我が家には森林本は数百冊あるが、もう処分を考えている。資料として残すべき(つまり私の今後の執筆に使いそうな)本はほとんどなくなったのだ。そこで、どこか引き取り手を探している。これらの文献を元に新たな本を書く人が現れてもよいかと思う。
森林史、樹木葬関係、野生動物・獣害関係などは、すでに執筆に使ったもの。田舎暮らし関係はすでに処分した。まだ執筆のため残すのは、明治に関わるもので、土倉家関係だ。探検本も相当数あるが、こちらも残しておく。老後の楽しみに(^o^)。

誰か引き取ってくれないかなあ。条件としては、基本誰でも読めるようにしておくことだ。寄贈したのに段ボールに詰められたままというのは辛すぎる。(実は、そうした図書館はたくさんある。)私もこの先の寿命は短いと仮定して、今から終活として用意を進めたい。今すぐではなくてよいが、徐々に処分しよう。

本音を言えば、もう林業に興味を失ったということかもしれない。時代ごとに論じたい人が論じればいい。ただ業界誌記者のような、業界脳に犯された人は無駄と思う。林業より森林を大切に感じる人であってほしい。

2023/01/27

等方性大断面部材って何?

トレンドはグリーンイノベーションだが、NEDO新エネルギー・産業技術総合開発機構で新たな建材開発が謳われている。

「グリーンイノベーション基金事業/食料・農林水産業のCO2等削減・吸収技術の開発」

ここの研究開発項目には、
1、高機能バイオ炭等の供給・利用技術の確立
2、高層建築物等の木造化に資する等方性大断面部材の開発
3、ブルーカーボンを推進するための海藻バンク整備技術の開発

と並ぶ。気になるのが2番目の「等方性大断面部材」である。いっとくが、この言葉の意味はわかるのよ。どちらの方向から力をかけても同じ強度を保つ部材ということだ。木材は繊維方向には強いが横からの圧力や引っ張り力には弱い。それをなんとかしよう、ということだろう。

しかしだね。そうした建築材料として開発されたのが、まずは合板であり、CLTではないのか。そしてDLTNLT、MPPである。

知ってるかな?   合板の説明はいらないだろうが、丸太から剥き取ったベニヤ板を方向を変えて貼り合わせることで大断面をつくったもの。
CLTはベニヤ板ではなく、分厚い板(ラミナ)を直交させながら張り合わせたもの。
DLTは接着剤ではなくダボで、NLTは釘でラミナを固定したものだ。
そしてMPPは、超厚物合板。ベニヤ板を貼り合わせるものの、厚さを8センチ以上にする。

みんな、私はすでに紹介してきた。これらをまとめてマス・ティンバーと呼ぶが、どれも等方性大断面部材になる(DLTとNLTは等方でないものもある)。

それなのに、また新たなマスティンバーを開発するの? なぜ? CLTが役立たずだから?

一応、説明では「従来とは異なる層構成を持つ合板の試作を重ね、国産材を原料する支点間距離8m、耐火2時間の等方性大断面部材を開発する。また、その等方性大断面部材を商用生産するため、厚剥き可能なロータリーレース製造、短時間乾燥、選別、面内接着、積層接着等の工程を効率的に実行するための要素技術開発を行う。合板の製造技術をベースにした新しい木質材料「等方性大断面部材」の開発がグリーンイノベーション基金を活用して行われる。「等方性大断面部材」は、長さと幅の両方向からの荷重に強い特性を持つ世界初の木質材料で、工期の短縮化や設計・意匠の自由度拡大など多くのメリットをもたらすと見込まれている。2030年度までに社会実装(実用化)して、高層建築物等の木造化などに利用していくことが計画されている。」とある。

説明では、MPPに近いかな。でも、アメリカでは実用化しているものを改めて研究して「世界初」を謳えまい。平行でも直交でもなく、斜めにでも貼り合わせる?そうだ、寄せ木細工なんて どうだろう。

近頃、木造の高層ビル建設が世界中でブームになっているが、現行の建築部材ではイマイチの部分があるのかね。Mitsui_01_o

三井不動産の高さ70メートル、17階建て木造ビル。今年着工予定。

 

 

 

2023/01/26

カネノナルキの開花

我が家には観葉植物がかなり大量にある。毎冬、それを室内に取り込むのが大変だったので、昨秋に庭に温室を設置。そこに大半を収容するようにした。
この温室が、わりと大きく立って入れてなかなか心地よい。そこで中に椅子を設置して、温風ヒーターも置いて、お茶を飲んだり読書できるようにした。もはや温室というより私の隠れ書斎(笑)。

さて、昨日からの大寒波。さすがの温室も加温はしていないので、かなり冷え込んだようだ。そこで心配になり、そのうちの一つだけを室内に取り込む。

カネノナルキである。これ、通称かと思ったら、そのまま通じる植物名であった。正確にはベンケイソウ科とクラッスラ・ポルツラケアというそうだ。英語でもマネーツリー、ダラープラントというのだから世界共通。一応の和名は、フチベニベンケイ

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ほかにもあるのだが、これが一番元気だった。同じカネノナルキでも弱っているものがあって、それには花の蕾がついているのに枯らすのはもったいないと蕾部分を切り取って生けておく。

すると……花が咲きだした。冬に咲く花なのだ。

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実は、我が家は今、花盛りになっている。葬儀の花の残りを花束にして持ち帰ったほか、この前デカい胡蝶蘭が届いたのである。

なんだか賑やかである。

2023/01/25

板の原木の直径は何センチ?

大寒波である。雪である。ま、実は奈良はたいしたことなかった。少なくても平地は。ナラピュタの由縁である。

雪も昼過ぎにはほぼ溶けたのだが、一応今日は車を使って出歩かないことにした。とはいえ自宅にこもるのもつまらないので散歩に出る。家から直に散歩に出るのは実は久しぶり。車で歩く起点まで移動するのが常だったから。

できるだけ細い道、通ったことのない道を選んで進む。いったい自分はどこに行くんだ?と思いながら。すると本当に知らない道に出会うのだ。おや、こんなところにこんな路地が……という気分になる。それが散歩の醍醐味なのだ。

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そんな路地のコンクリートの高い壁には、排水路からシダが生えていたりする。

そして行き着いたのがお寺。その寺自体は前から幾度か出入りしていたが、今回は別ルートから侵入、て別に悪いことではないのだが。

そして本堂の縁側に目を向ける。

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こんな板を使っていた。縁側だから風雨にさらされていて、かなり傷んでいた。そのうち張り替えなくてはならないのではなかろうか。しかし、これだけの板を何十枚と揃えるのは大変だろう。と思って、板の寸法を計ってみた。もちろん尺は持っていないのだが、手持ちの道具で印をつけて家に帰ってから計測する。

すると厚さ5センチ、幅27,8センチある。長さは本堂の中まで伸びているから正確ではないが、少なくても3メートルは必要。枚数は本堂の周りだけで30~40枚はなくてはならない。そういや何の材か確認し忘れた。普通ならヒノキなんだろうが記憶を辿ればスギかもしれん……。

さて、ここで気付いた。その板の断面の木目を見てほしい。板目なんだが、ほとんど横に伸びている。丸みは弱い。そこで疑問がわいてきた。

この板を伐りだした原木の直径は何センチだろう。一応、真円の丸太として、幅28センチの板目材を切り出すのなら、単純には35センチもあればいいのでは……と思うのだが、木目にカーブがあまり見られないのだと芯からの距離はかなりある。さあ、誰か計算してよ(^^;)。

ついでに樹齢も想像してみてください。そんな木は今、手に入るだろうか。金額はどれぐらいになるか。

 

 

2023/01/24

ようやく?クリーンウッド法とメガソーラー

来年度の林野庁の施策を見ると、ようやくというか遅すぎるよ、と言えるものの、意味ある改正案が並んでいた。

一つは、クリーンウッド法。次期通常国会への「合法伐採木材等の流通及び利用の促進に関する法律(クリーンウッド法)」改正案の提出される模様だ。

これまで究極のザル法とも言えるのがクリーンウッド法だった。なにしろ登録した業者だけで適用とか、違反しても罰則なしだったので、世界中の違法木材が逆に日本に集まってくるんじゃないか、なんて言われたのだが、それを義務化することになりそう。すると罰則も可能になる。そのため第1種の登録制度は廃止し、第2種事業者については制度を維持する……とかなんとか、よくわからん(^^;)。

ちなみに主導するのは、農林水産省、国土交通省、経済産業省なのだが、問題は施行するのは2025年度からになるから、来年再来年度は駆け込み違法木材輸入が増えるかもなあ。それに輸入業者らに「合法性」の確認の仕方がどんなものかよくわからん。いくらでもでっち上げできそう。また国産材はどうするんだ、とも思う。

もう一つは、太陽光発電設備の設置を目的とした林地開発に関して、
太陽光発電設備の設置を⽬的とした⼟地の形質変更を⾏う場合、0.5haを超えるものについて知事の許可の対象とする。
許可を受けようとする者に対し、防災措置を⾏うために必要な資⼒・信⽤、能⼒を有することを証する書類を添付することを義務付け。

詳しいことは、林野庁のホームページで確認してほしい。林地開発許可制度の見直しについて(令和4年度)

かなり厳しくなったが、肝心の知事が推進派だったらザル法になるかも。。。それに防災措置の書類なんて、業者はいくらでも出すからね。ただその問題が発生したときには履行しないだけ……。

だからその直接の経営業者はペーパーカンパニーにしているのだ。黒幕はさっさと逃げる。

その点は奈良県平群町のメガソーラー問題を見ているとよくわかる。つくづく業者って、法律なんてどうにでもなると思っていることがよくわかる。そして行政担当者のクズっぷりも。忖度なんだか、上を向いて仕事をして言いなり状態。法律を破っても気に入られる答えを出すことしか考えていない。上司に反論する気概ぐらいを持てよ。オレなんぞは、勤め人時代、毎回上司と怒鳴り合っていたぞ。

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ここで違法伐採された熱帯材とか、森林破壊のメガソーラー開発地の写真を出すのがイヤになったので、我が家の火鉢の写真を張り付けておくよ。少しは心安らかに。

2023/01/23

Y!ニュース「イタリアが都市でもイノシシ狩り…」を書いた裏事情

Yahoo!ニュースに「イタリアが都市でもイノシシ狩りをする事情」を書きました。

実はこのネタ、昨年末に書こうと思っていたもの。ただ12月はほかにも多くYahoo!ニュース記事を書いたのでブログネタだな、と思いつつ、イタリアの話は日本にウケるかという思いとほかにもブログネタあるやん、と後回しにしているうちに年を越してまった。

ようやく落ち着いて調べ直すと、なかなか含蓄がある。イタリアと日本の事情によく似ていることに気付く。

実はもう一つ、花粉症ネタも考えていたのだが、そこでも思ったのは、日本ではスギの花粉症が広まって、これは日本独特の事情であるという認識が強いこと。戦後の拡大造林が花粉症を生み出した、日本は不幸だ(泣)という声が強い。だが、実は世界中に花粉症はあるのだ。日本より先に、日本よりひどい花粉症がある。

みんな日本を特別な国と思いたがっているんだな、と思ったら、イタリアのイノシシ事情もYahoo!ニュースに書こうと思ったのである。

あ、ここで触れてしまったけど、花粉症記事もちゃん書いておこう(^o^;)。

 

2023/01/22

奈良のイチゴ栽培はいつから?

朝日新聞の奈良県版に、こんな記事。

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近頃、奈良の農業ではイチゴが有名になってきた。生産量はさほど多くないのだが、次々と人気の高い品種を生み出してきたからだろう。あすかルビーに古都華(ことか)、珠姫(たまひめ)……いずれも甘さや旨味、そして巨大さなど自慢すべきイチゴ品種である。そのことについて紹介しているのだが、問題はいつから奈良県でイチゴ栽培が始まったのか、という点だ。

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この記述に、ん?と思ったのである。大正時代に栽培が始まったとあるが、その後の「でも、その前の明治時代から有名で」これはどこにかかるのだ? スイカのことではあるまい。つまり明治時代からイチゴ栽培をおこなっていたと言いたいのか。唐突にスイカと比べるのもどうか。作付けというのもイチゴのことか……古都華。読取りにくい悪文。

なぜ、この点にこだわるのかというと、土倉庄三郎である。今も出版に向けてラストスパートしているのだが、その中にイチゴに関する記述がある。

「吉野の山中とは思えぬほどのご馳走が出る。西洋イチゴやイチジクなど、まだ町でもなかなか知られていない果物が出て、和洋折衷の料理に灘の美酒が並ぶ。」これは、1903年発行の「吉野乃実業」という雑誌の記事から引用した。1903年は明治36年。おそらく土倉家では、その何年も前からイチゴを食べていたのだろう。しかも牛乳をかけて「イチゴミルク」にしていたらしい

ところが、現在栽培しているイチゴは、一般にオランダイチゴと呼ばれる品種で、日本に自生するノイチゴ系とは別種だ。オランダイチゴは18世紀にオランダで開発されたという。日本には江戸時代にもたらされたが、花の鑑賞用で食用としてはほとんど普及していない。(

現在に続く品種の食用イチゴ栽培は、1898年にフランスによってもたらされてから。新宿御苑の温室で福羽逸人農学博士は、フランスの「ゼネラル・シャンジー」という品種から国産イチゴ第一号となる「福羽苺」を作出したことから始まる。この新宿御苑の温室については、土倉龍次郎も後に関わってくるのだが、その点はおいといて、皇室御用達だった。(1872年、明治5年から栽培し始めたとウィキにはあるが、ちょっと早すぎる。途中で途絶したか。)

となると、土倉家で食べていたイチゴとは何か。はっきり「西洋イチゴ」と書かれているのだから、このフランス経由の「福羽苺」だろう。それはどこで栽培していたのか。生鮮品だから、たとえば奈良の農業地帯である盆地の辺りとすると、どうやって搬送したのかが問題となる。当時は自動車さえそんなに普及していないのだ。山を越えて川上村まで1日で届くとは思えないし、コールドチェーン(冷凍輸送)もない。

川上村、それも大滝で栽培していたのではないか。牛乳だって、わざわざ大滝で乳牛を飼育して絞っていたほどの土倉家だ。十分有り得る。つまり、日本に持ち込まれて数年以内に苗を取り寄せて栽培をしていたと思われるのだ。それは日本でも相当初期だろう。

日本のイチゴ史を書くとしたら、奈良県と土倉家は欠かせないよ。土倉家について調べると、イチゴに牛乳のほかにも、いろいろ新しいものに手を出していて驚くことが多い。小学生男子の洋服と女子の袴も、日本のファッション史で特異だ。

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古都華のかき氷があると聞いて食べに行ったが、デカすぎた……。

 

2023/01/21

『森林に何が起きているのか』を読む

森林に何が起きているのか 気候変動が招く崩壊の連鎖 』(吉川賢著 中公新書)を読む。

森林テーマの新書本は(私も含めて)時折出るのだが、これはタイトルどおり、現時点で何が起きているのかを追及している。サブにあるとおり、気候変動テーマだ。

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内容はワールドワイドで、北米やオーストラリアからシベリアタイガ、砂漠化、熱帯雨林、そして日本の里山……と世界と日本の森林を取り上げている。

目次

序章 多発する森林火災―失われ続ける森林
第1章 シベリアタイガの危機―温暖化の森林への影響
第2章 砂漠化と森林―森林の機能と人々の生活
第3章 脆弱な熱帯林―炭素隔離と森林利用
第4章 変貌する日本の森林―持続的な利用をめざして
第5章 これからの森林管理―林業が拓く森林の可能性

いやあ、全体としては知っているつもりだったのだが、ここで語られる事情は深い。単に火災で燃えて大変、というレベルから進んで、森林生態系は変化への耐性があるが、いったん崩れると元にもどりにくい脆弱さもあると指摘されると、一段と危機感が強まる。さらに呼吸消費に炭素循環と綿密な環境変化と植物の生理がひもとかれる。

たとえば温暖化が進むと、気温が上がれば植物にとっては成長に有利かと思いきや乾燥しやすくなって水分ストレスで枯れるものも現れる、日本のソメイヨシノは、当初は開花時期が早まるのだが、やがて早すぎて休眠打破が遅れて咲かなくなる……とか、予想以上の展開が訪れかねないのである。

そんなわけで感心しながら、さすが世界中で研究してきただけある(著者は岡山大学名誉教授)なあ、と思ってきたのだが。

最終章には引っかかった。林業を気候変動を救う可能性を展開しているのだが、その内容がバイオマス発電だったり、木材による炭素固定だったりすると……なんだ、と力が抜けた。それは林野庁も唱えている原理なのだが、現実の林業現場を見たらとてもその通りに展開しそうにない。いくら増えすぎた森林と雖も、燃料にしたとたんに禿山が広がるだろう。輸入燃料に頼るというのも、その時点で炭素収支は赤字になるし、海外の森林を破壊して日本だけが脱炭素を達成しても意味ない。

もちろん、輸入燃料の問題点や林業現場の非効率、ニーズに合わない商品……などにも触れているが、イマイチ現実と合わない。

バイオマス発電の燃料として使われる木材調達も、その手間とコストは莫大で、そのためのエネルギー消費などを勘定に入れると、もはや経済的に成り立たないうえ炭素収支は赤字だ。そもそも再生可能エネルギーという発想がFITの電力料金の高価格化によって成立した徒花である。FITの切れる20年後には確実に破綻するのだ。
太陽光や風力は、まだ20年過ぎても多少は続けられるが(ただし、設備の更新費用は出ないから、故障した時点でオシマイだろう)、バイオマス発電はランニングコストの7割は燃料費だからFITが終了したとたんに廃業になる。おそらく発電所は捨てられる。

また林業の在り方も、未だに法正林の発想では時代に遅れている。獣害対策にジビエというのも……。

どうも森林科学としての章は私を感心させてくれたのに、林業=経済・社会事情になったとたん絵空事になってしまったのだ。残念である。ちなみに林業の将来像としては、経営統合しつつ長期視点で管理すべきというのは、ソ連のコルホーズみたい、としつつも、なかなか含蓄のあるフレーズ(笑)。

ただし、文句は付けたものの、森林を語る際に気候変動の視点は、現代では欠かせない。その考察の一助になるだろう。

 

 

 

 

 

2023/01/20

「アリス展」で宣伝と著作権を考える

 大阪で開かれているアリス展に行ってきた。

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「不思議の国のアリス」との出会いは中学生のときに遡る(「不思議の国のアリス」そのものを読んだのは小学生の時だが、ハマったのは……という意味)が、その経緯はまたの機会として、今回は大人向きにルイス・キャロルが構築し世界中の芸術創作分野に展開したアリスの世界という位置づけだ。ちなみに観覧者の中にはアリス・ファッションの女子も見られたのだが、意外やおじさん率もそこそこあって、私一人が見て歩いても浮かなかったのであった。

ここでは展示されたアリス世界ではなく、展示のされ方が気になった。一言で言えば、部分的に撮影OKであり動画用の展示(ここで撮影してね!的なもの)もいくつかあったのだ。

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この写真も有名な「ティパーティ」会場なのだが、みんな動画撮影しとる(笑)。私も後でしたけど、このブログにはアップできないよ。

ようするにプロジェクト・マッピングの要領で会場の景色がどんどん変化するのだ。

かつて美術展も博物展も、みんな撮影NGばかりであった。今回も全部がOKではないのだが、かなりの部分は撮影できて(1点アップはだめで、部屋の景色としての撮影ならOKといった条件)、それをインスタにアップしてね!と宣伝しているのだ。

ようするにSNSの拡散による宣伝効果に期待している。時代は変わったのである。

まあ、イマドキの事情としてはSNS拡散がもっとも宣伝になるのはわかる。が、これまで依怙地に撮影禁止にしてきたのに、なんだよと思わぬでもない。
だいたいセミナーやシンポジウムのプレゼンも、撮影禁止が多いのはなぜだ。発表したくて、つまり人々に知ってもらいたくてプレゼンしているのに、その内容を撮影するなというのはアホちゃうか、と思ってしまう。もちろん写真などは複写さて別のところで勝手に商業利用されては困るんだが、発表内容を記録して後にゆっくり復習しようという目的まで否定するのは、だったら発表するなよ、と思う。著作権? だったら人の記憶やメモまで禁止するのか。

ちなみに私の講演は、全面的に撮影OKである。映し出した写真を複写されては困るが、文字などはどんどん撮ってくれ。後でかみしめてくれ。なかには後で気付く間違いもあるけど(^^;)。

展覧会が宣伝効果があるならOKというなら、講演も宣伝してもらうつもりで撮影させたらよい。脱線すると、著作権も作者のもので遺族のものではない。それなのに死後50年、70年も保護するというのはどうだか。

宣伝と著作権の間には、不思議の国のご都合主義が横たわっている。

 

 

2023/01/19

農林・林畜連携はできないのか

今、全国的に注目されているのが「耕畜連携」である。農業と畜産業の連携、具体的には減反や耕作放棄地で飼料作物を栽培して、畜産現場に飼料とかワラなどを提供し、ウシ、ブタ、ニワトリの糞を肥料として農業現場に提供する……という動きだ。

その背景には畜産飼料と化学肥料の高騰、輸入減がある。農業は採算が合わずに耕作放棄が進む一方で肥料不足、一方で畜産飼料の自給率は2021年度で25%(カロリーベース)に過ぎない。地域で両者が連携すれば、お互い補える。

これをイマドキの言葉で言えば「未利用資源の活用、循環」「輸入依存の肥料や食品を国産化」「環境負荷の小さい農業への転換」などなど、ポイントが大きいわけだ。農林水産省が推進する「みどりの食料システム戦略」とか、SDGsの考え方にも合致する取り組みなのである。

まあ、よいことである。

が、その前に脳裏に浮かんだのは、なぜ農林連携、林畜連携ができないのか、という点。

実は、山林を使えば、より簡単に農業に肥料、畜産に敷き藁など素材を提供できるから。

本当は山の を集めて堆肥を作ればよいと思うが、複雑な地形では落葉を一カ所に集めるのは難しいし手間もかかる。しかし、雑木や残材をその場でチップにすれば、積んでおくだけで堆肥になる。腐葉土などは海外から輸入しているが、簡単に生産できるはず。畜産の糞尿を山に貯蔵する手もある。わりと副業的に商品化できると思うのだ。しかも短期利益を得られる。

思えばほんの一昔、農業は山を持っていなければ成り立たなかった。落葉落枝、下草などを肥料にしなかったら、農業はできなかったからだ。ところが化学肥料の登場で、農林の分断が進んだ。さらに山地放牧も普通に行われていたが、放牧獣が植林苗を食べてしまうとか、広域放牧は管理しづらい……などの理由で林地と畜産の分断も起きた。

しかし、今ならもう一度結べるのでは、と思ってしまう。

だた農家や畜産家は多くが主たる生業としているが、林業そのものが副業的な面がある。山主と作業者が別という点も大きい。それが連携しづらさを生んでいるのかもしれない。

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雑木林の落ち葉を集めて堆肥にし、田畑に入れる……農林連携どころか農林複合、アグロフォレストリーだ。

2023/01/18

無印良品から考える書店のミライ

近くのイオンモールで「無印良品」の大規模なリニューアルがあったのだが、その一角に書籍コーナーが誕生していた。

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なかなか木づかいが目立つ一角であった。もともと無印の店舗には木装が進んでいたが、この書籍コーナーはとくに目立つ。テーブルも座り読みしろということだろうか。

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並んでいる本は、多少クセがあるというか、無印良品がらみのものもあり、なかには束見本みたいなものまで並ぶ。もちろん小説などの棚もあるが、木の本も目立ち、それがデザイン的に扱われている。

思えば、ヴィレッジバンガードは、もともと書店だったが、本だけでは売上が伸びないのでグッズを置き始め、それが拡張されてもはや雑貨店になっている。本はその中で雑貨に合わせたテーマのグッズの一つかのような扱いだ。私も最初、雑貨店だと思っていたら、中に入ると本が置いてある!と感動した(笑)。ただ最近は、本をおかない店舗も増えて、いよいよ書店部分は切り捨てかけている。

が、無印良品は反対のベクトルを狙っているらしい。もともとグッズ店から家具や衣服へと幅を広げてきたが、とうとう本も扱いだしたか、という気がする。今後どう展開するかわからないが、雑貨・家具と同じ地平で書籍や雑誌を扱っていくのだろう。書籍の表紙や中に含まれる情報も、部屋のデザイン、彩りなのだろうか。

この20年、書店は全国で半減している。出版物の売上も半減と言ってよい。ネットメディアは拡大しているが、そのビジネスモデルは広告主体だろう。メイン・メディアは、新聞や雑誌、書籍、放送、そして書店からネットのまとめサイトと化してしまった。(ここでいうメディアとは、情報などの作品コンテンツを流通させる媒体と位置づけている。)

とはいえ、まだリアル書店や紙の本に愛着を持つ人は多い。だからなんとか生き延びさせるためにあの手この手に挑むケースもある。無印良品もその一つだと思いたい。どんどん異業種が本を届けるメディアに参入したら新たな試みも登場するだろう。

私もコンテンツ=本の製作者としてリアルな価値の交換ができるメディアの生存を願う。

 

2023/01/17

葬儀の中のお仕事(^^;)

先週末、父が身罷りました。通夜、告別式と済ませて、ようやく落ち着いてきたところです。まだ厄介な雑用が溜まっていますが。

当然ながら葬儀社にお願いしたのだが、今回は大手に任せた。おかげでスムースというか流れるようにことが進む。完璧なシステムが作られているので、楽である。

とはいえ、何かと打ち合わせは必要である。式場に赴いて、必要事項をてきぱきと伝えて選択すべき点は即決していく。おかげで後半は雑談になった(^^;)。私の仕事を尋ねられたので、森林ジャーナリストの名刺を出す。そして森林科学や林業ばかりではなく、樹木葬だってテーマにしているんですよ、とつい口を滑らす。担当者はそんなに詳しくなかったので樹木葬のなんたるかを伝えて、現状の名ばかり樹木葬を批判し、ついでに『樹木葬という選択』の紹介も(⌒ー⌒)。

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さらに参列者への会葬返礼品を選ぶためパンフレットを見ていると、「長寿箸」なるものがあった。これは、塗り箸か? というわけで私は割り箸の話を口走る。ちょうど吉野の割り箸を取材したばかりだったのだ。割り箸の作り方から始まり現状を嘆き、いかに吉野の割り箸が優れ物であるか、使い捨てなんかじゃなく、何度か洗っても使えるし、いかに割り箸で食べると食事が上手くなるかを語り……とうとうバックの中に入れていたマイ割り箸を披露。これは最高級らんちゅうである。そしてプレゼント。もちろん、返礼品に長寿箸は選ばない。
『割り箸はもったいない?』出版から16年、今も割り箸への思いは高いのだ。

しっかり布教活動をしたのであった(⌒ー⌒)。

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ところで、今回の葬儀の導師をお勤めいただいたのは、奈良市の浄教寺のご住職であった。我が家に菩提寺はないので、探していただいたのだが、奈良県内の浄土真宗本願寺派としては中本山クラス。創建は鎌倉時代だそうである。奈良県としては新しい(^^;)。

ただ、この寺に決まったと聞いて「覚えがあるな」と感じた。そして簡単に由緒を調べると、フェノロサが登場した。アーネスト・F・フェノロサは、アメリカの哲学者にして美術愛好家で、明治時代に来日して、日本美術の素晴らしさを訴えた人である。廃仏毀釈などで寺院や仏教美術の廃棄が進んでいた奈良で講演をした。一部では有名な「奈良の諸君に告ぐ」である。それが元になって国宝制度が誕生する。

そう、私が年末年始に進めていた山林王・土倉庄三郎の本に登場するのである。庄三郎もフェノロサの影響を受けていたのかもしれない。だから記憶にあったのだ。このことは、ご住職はもちろん、参列者にも紹介した。

この土倉新伝の本は、3月末に出版予定。皆さん、その時が来たら、ぜひ手にとって、どこに浄教寺が登場するかご確認ください(^-^)/ 。

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2023/01/14

お休みのお知らせ

基本、毎日記しているブログですが、身内に不幸が出ましたので、しばらくお休みします。

再開は、身辺が落ち着いてからです。

2023/01/12

ノルウェーのEV率

昨日のノルウェー産サバ推し、で思い出したのだけど、ノルウェーのEV率がすごい。

今や世界中で電気自動車(EV)への急速な移行が進んでいる。ところが日本では、電気自動車の普及率は低い。昨年11月の深謝発売自動車の中でのEV率は2%に過ぎない。ところが中国は25%、ドイツは20%、韓国は9%……とどこもどんどん置き換えられている。なかでもノルウェーは昨年一年で79.3%、12月が単月では82.8%だったというのだ。そして2025年までに乗用車は100%をEVにするという目標さえ立てている。

ノルウェーのEVシェア、昨年8割に

サバやサケばかり見ていると見落としてしまうよ。ノルウェーは漁業大国でありつつ、EV大国でもあるのだ。今年はフィンランドからノルウェー推しに変わろうかね(^^;)。

実は、私にとってノルウェーは、スイスとともにヨーロッパで行ったことのある数少ない国。両国の共通点は、どちらもヨーロッパで1、2位を争う物価高国だ。よりによって、なんでその2国に行くかなあ。。。

が、実はそれ以上に驚いたのが、ノルウェーではフツーに電気自動車が走っていたこと。私の行ったのは2017年だが、すでに町の中は半分以上が電気自動車だった記憶がある。

載せてもらった時は、静かでスムーズな走りだった。高速道路ではぐいぐい飛ばす。ガソリン車と遜色はない。リアシートが狭すぎて苦しかった点を除けば……。

町の駐車場には、すべて充電装置があって、そこで充電するとタダなのだそうだ。だから夜の間に駐車して止めておくらしい。ほかにも電気自動車を購入すると消費税が免除されるとか、道路に電気自動車専用レーンがあるとか、国上げての優遇措置で普及に力を入れている。おかげで増えすぎたのか、肝心の充電スタンドが足りずに充電難民車が生まれて困っているそうだ。

3_20230112213501こんな感じ。

なぜ、こんなに力を入れているかと言えば、やはり気候変動を身近に感じているからだろう。氷河が溶け、氷が張らなくなると、ツンドラ地帯がぬかるみで動けなくなる。温かくなっても喜べないのだ。

ちなみにノルウェーの発電は、9割以上が水力発電だそう。まさに再生可能エネルギーだ。日本も、もう少し水力に力を入れるべきだと思う。ダムを新たに作らなくても水力を強化する方法はあるのだから。

 

2023/01/11

サバとスギ

最近、焼きサバが食べたいと思ったときに頭に浮かぶのは「ノルウェー産はないかな」ということ。もはや国産サバよりノルウェー産サバの方が大きくて美味しいようなイメージになっている。同じことはサケでも思う。ノルウェー産アトランティックサーモンが美味い。

そして国内漁業では、サンマやサケが記録的不漁が続く。イカも獲れないらしい。というわけで、漁業について調べてみた。

まずイワシやサバ類、カツオ、スケトウダラなどの漁獲量は堅調のようだ。すべての魚種が獲れないわけではない。

ところが農水省の用途別出荷量調査によると、イワシの「生鮮食用向け」は、14.1%にすぎない。「魚油・飼肥料向け」が40.8%で最も多く、次いで「養殖用または漁業用餌料向け」が34.4%となっている。(2022年10月)
サバの「生鮮食用向け」は13.8%と低く、「養殖用または漁業用餌料向け」が45.3%、缶詰用が27.6%。

これだけ低いとはびっくりなのだが、実は「イワシとサバの生鮮食用向け」は、冷凍して海外へ輸出されている量も少なくないのだという。アフリカ南部の国では、日本のサバが家庭料理として好まれているらしい。そして日本は、ノルウェー産サバを輸入しているわけだ。ちなみに魚介類の自給率は2021年度が59%。これは養殖も入る。

小さなイワシやサバは魚市場では買い手が付かず、缶詰原料や冷凍加工品に回す。魚価は安くなる。そこで漁師は、たくさん水揚げすることに血眼になる。安い魚価を量でカバーしようというわけか。でも資源が枯渇して、もはや量も獲れなくなってきた。
国内水揚げ魚類は小さくて味もイマイチで、価格は安い……このイメージがついてしまったか。

ところで漁業のサバと似ているのが、林業のスギだ。

国産材のは中でもスギは、今や建築材や家具用材にはならず、合板やバイオマス燃料のように安い用途ばかりになっている。高く売れる建築や家具用の木材は輸入に頼る。だって品質が違うもの。ノルウェー産の魚の方が美味いと思うのと一緒だ。

一方で林業家は、材価が安いから大量伐採して日銭を稼ごうとする。まあ、そのうち資源は枯渇して伐る山がなくなるかもしれないけれど。ただ雑木ばかりが太る。それを森林飽和と呼ぶ。ただ雑木を高級材として使う頭はなく、またバイオマス燃料用か。イワシやサバを飼料に回すように。水産業と林業は似ていると言われるが、双子のようだ。(ただし、漁業の方が一歩先を行く。)

年初から、暗い話題を振っておきました(笑)。

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魚市場のセリの様子は見ていて楽しいんだけどねえ。

 

 

2023/01/10

今年の朝拝式

朝拝式。天皇が新年の拝賀を祝う式典とされるが、奈良県の吉野では少し意味が変わる。

後南朝の偲び、遺蹟に礼拝する儀式である。

有名なのは川上村で2月5日に行われる。金剛寺に納められた自天王(尊秀王)を祀る。これまでは秘祭として村民もなかなか参拝されずに550年続いてきたが、今から16年前に一般にも解禁になる。(私は、その前から覗きに行っていたが。)

そこで今年はツアーが組まれるようだ。ホテル杉の湯による企画だ。

川上村御朝拝式見学付宿泊プランー後南朝の歴史を体感ー 

悲運の最期を遂げた後南朝の自天王を偲び、毎年2月5日に自天王の遺品(兜、鎧袖、胴丸鎧、太刀、長刀)を御魂代として礼拝する御朝拝式。1454年から一度も途絶えることなく受け継がれています。
前日に、後南朝や御朝拝についてのミニ講座と川上村朝拝式保存会の方のお話を伺い、当日は第566回となる御朝拝式を見学していただく宿泊プランです。
哀しくもロマンあふれる歴史に触れてみませんか?

最小催行人数:5名
定員    :10名

 

私も、今年は土倉庄三郎伝の出版を控えていることから、参拝させていただこうと思っている。朝拝式に連なる後南朝は、庄三郎が最後の最後まで心を砕き、病を押して上京した問題でもあった。アポもなく首相官邸を訪れると、当時の大隈重信総理を呼び出したエピソードがある。すると大隈は飛んできて、庄三郎の椅子を引いて座らせ、自らは直立していたそうだ。

このツアーには参加は?だけど(^^;)。ひっそりと行きますよ。

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ちなみに南朝の朝拝式は、ここだけでなく天川村でも行われている。南朝遺臣がつくる位衆伝御組が行うものは、後醍醐天皇の即位を祝うもので、700回を超えているとか。

 

2023/01/09

初詣とブックオフ

高齢、いや恒例の初詣は、やっぱり生駒大社と宝山寺。

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で、御神籤は……末吉と凶。すげえな。宝山寺は毎年、私に凶を出すよ。もはやルーティンと化している。これほど日常的にお参りしているのに半端なく厳しい仕打ち。来世も恨むぞ、て、神社や寺院を恨むとどうなるのか。

そして、ブックオフを訪れた。新年は全品20%オフだというから。そして見つけた。

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とうとう、『絶望の林業』も古書ルートにも乗ったか。誇らしい……わけない。まあ、ブックオフに回るということは、よく売れて、読み終えたら他人に分け与えようという気持ちの表れなのだろう。もちろん、買わない。

 

 

2023/01/08

恒続林という言葉考

メモ。恒続林という言葉について考えた。

私が恒続林を知ったのはいつからだろうか。

学生時代に読んでいたと思うから、少なくても20代には意識していたはずだ。それを文章にしたのは、2011年発行の『森林異変』が書籍では最初だろう。最後のまとめで取り上げた。その前から記事にはしていたと思う(講演でも話していた)ので、2000年代始めには勉強をし始めたと思う。『森と日本人の1500年』では、もっと詳しく触れた。

もちろん、基本はアルフレート・メーラーの『恒続林思想』である。ただこの本は「思想」と訳本タイトルにつけた通り、森と林業に対する一種の考え方、哲学に近いと思っている。具体的な施業技術ではないのだ。実際、さまざまな流派があるようだ(笑)。

私自身は、文字通り「恒(常)に続く森林」と捉えていて、「森の状態を壊さずに木材生産をする林業」と大枠で捉えている。メーラーの思想や、その前からの森林美学(ザーリッシュ)、ガイヤーの生態学的林業など中欧で培われた森林管理技術と林業形態はもちろんよいが、そうでなくても森をなくさない林業は各地にある。日本にもある。というか、日本では近世より行う地域はあった。

たとえば吉野林業は皆伐を行うが、一カ所の面積はそんなに広くない。江戸時代は1畝、2畝単位だし、せいぜい1町歩までではなかったか。なぜなら人力でそれ以上広く伐り搬出するのは大変だったからである。それゆえ山林土地の所有も細分化していた。
そして、すぐに植え付けしたから森は再生に向かった。それもスギとヒノキを混交させて植えた。だから広い範囲で見れば、伐採は森の中の一部であり、吉野も森林状態を維持する林業だった。
また広葉樹もかなり多く残していたようだ。全部伐らないのである。それは広葉樹も必要だったから。当時の道具や建築には広葉樹材も使われていたためだ。それに広葉樹を生やすことで森林土壌を豊かにして森林を守る技術でもあった。

さらに雑木林を交えた林業も、抜き切りが基本だから恒続的な森林維持的林業だった。針葉樹と広葉樹の混交は普通に行われていた。また樹種転換を世代ごとに行う林業もあって、最初はマツで、次にスギで、最後にヒノキ……かと思いきや、間に広葉樹もかさんでいたりする。

さらに今はアグロフォレストリーという概念になった農林畜産複合だって、実は森林持続を前提としている。森の中で農作物を栽培し、牛豚などを飼育するのだから。

そうした多種多様な草木を育み、森の状態を壊さないように森から幸(木材のほかにもいろいろ)をいただく林業を示す言葉として「恒続林」を使いたい。ただ「恒続林」では森の形態と勘違いする人もいるので、林業の一つという意味では「恒続林業」とした方がよいかもしれない。

そんな広い意味で私は「恒続林」という言葉を使うのだが、こうした「大枠としての恒続林」は、今後林業の主流になっていくと思う。ならねばならないとも言える。SDGsに則したテーマでもある。

それを完膚なき状態まで破壊したのは、戦後の林野行政だと思っているが、それでも現在も各地に頑固に守っている、あるいは新たに取り組んでいる林家はいる。ただ本人たちは、それを恒続林だとか認識していない例も多い。自らの思う森づくりを進めた結果なのだ。

ただ世間には狭義の、というかガチガチの信者的に「恒続林?それはメーラーの唱えた林業技術だ」と決めつける人もいる。だから、ほかの独自流派の「恒続林」を認めない。一神教である。そういう人の描く林業世界を、カルト林業、世界統一恒続林協会(教会)と呼んであげよう(笑)。

また「林業とは、皆伐して一斉造林するのが正しい姿」と時代遅れの法正林を金科玉条とする林家も日本には多い。たかだか戦後生まれなのに、これが正しいと思う林家もカルト林業家だ。

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林野庁の示すこの「循環型林業」図も、実は全然循環していない。皆伐して、その後植え付けても森らしくなるには20年はかかっている。伐期を60年としても3分の1が森でない状態だ。これで循環? 20年間の非森環境の間に、動植物の生態系はかなり崩れただろう。残りの40年で元通りになるか怪しい。どんどん劣化していくだろう。つまり螺旋階段を降りていくような林業。

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イメージ的には、こんな森林。見事に混交しているが、植えたスギは100年生だ。放置林ぽい? そう見えるとしたら、あなたもカルトに犯されている(笑)。

 

2023/01/07

混交林づくり

新年の朝日新聞に、こんな記事が載った。

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同じ内容の記事は昨年にも掲載されたかと思うが、その裏話か。ここで紹介されているのは、秋田県の「清太郎さんの森」である。佐藤清太郎さんが、3本巣植えという植林方法を編み出したのだ。簡単に言えば、植える本数を減らして切り捨て間伐をしないため、3本のスギ苗をかためて植える。すると、そのスギはお互いを助け合って育ち、また周辺は空間が空くので広葉樹が侵入して来る。結果として針広混交林が出来上がるのである。

私は、この木材生産のできる混交林づくりという点で興味を持っていたのだが、秋田は遠い。と思っていたら、なんと同じ方法を大分県の国有林で試しているという。ならば、そちらにお邪魔するかと昨秋行ってきた。臼杵林業の後藤さんのおかげでアポイントも取れたのである。

こちらは混交林づくりというより風害に強い森づくりの発想で真似たそうだ。

すると、こんな感じ。まだ10年程度だ。

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うーん、残念ながら混交林ではないし、成長もイマイチね(^^;)。根元付近を覗き込むと……。

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思うに、九州だから成長がよくて、間隔が狭すぎたのだろう。同時に、植えた人が目的をよく理解していなかったのではないか。急峻な地形だから3本をまとめて植えるのも難しかったうえに、3本の苗の間隔や配置を十分に計画を意識して行わなかったように思える。

針広混交林づくりは、植えてつくろうとすると難しいと言われる。放置したら勝手にできる例はたくさんあるのだが。

これからは混交林林業の時代が来ると私は勝手に思っているので、これからも事例を追いかけていくよ。

 

 

 

 

2023/01/05

大木の森は不健全。人は?

年末年始の世間を見ていて、以前より思っていたことを記そう。

世の中には大木が好きな人が多いが、それは老木が好きとも言うことになる。老木でも元気で成長たくましいのならいいが、ときとして瀕死の枯死寸前の大木もある。

人は、大木が林立する森を見て感動する。長く生きた樹木に浪漫を感じる。だから瀕死でも、大木ならありがたがって、そんな森を保護する。だが、大木ばかり(老木ばかり)の森は健全ではないのだ。樹冠は天を覆い、日射を遮り、地表に生きるものを追いやる。次世代の稚樹を育てない。結果として生物多様性も失う。気象変動にもひ弱で、一斉に倒れると、森は壊滅する。本来は、大木なんて、せいぜい数ヘクタールに1本あればよい。各世代が満遍なく育つ森が生態的には強靱なのだが……。

日本が衰退していると言われて久しいが、その原因を求める識者の論説は多種多様だ。人口減だからとする指摘もあるが、私は進む高齢化に求めたい。正確に言えば、高齢者の社会的地位にある。リーダー的地位にしがみつく。「年の功」というのは現状維持には向いているが、新規の取組には抵抗する。
昔の「古老」は60代だったそうだが、今や80どころか90歳を過ぎても社会の中心に座り続けたがる。

身近に見ていて如実に感じるが、高齢になると、明らかに社会的感度が鈍る人が多い。新しい視点を取り入れるのが億劫であり、過去の経緯にこだわり、より保守的になる。判断力も狭い範囲で行う。身の回りのことにこだわり、将来への座視を失う。ぼけているのに。それでいてリスクを負わない。不安感が強く、今の地位に恋々とする。ぼけているのに。より問題なのは、その判断を省みることもなくなり、自分を絶対視することだろう。若いときはできた客観的な視点と論理がぶっ飛んでも平気になる。それでいて、承認欲求は強くなる。ぼけているのに。

現代日本の抱える宿痾を、この老害に当てはめると見事にハマる。

テレビ番組で、そんな人がMCをしていると見るに絶えない。多選首長・議員が止め時を失い立候補を重ねる姿も痛々しい。そんな社会(政府・自治体、会社など)はおぞましく顔を背けたくなる。80代になってもトップを続けたいという発想自体がぼけている。哀れだ。とくに政治家なんて将来を考え厳しい判断を迫られる職業なのだから、70歳超えては危険すぎる。
恐ろしいのは、比較的若い人々も、そんな高齢者に引きずられがちになること。老人の論理に染まり、代弁者になりがちだ。若者もリスクを負わない。反旗を翻せない。だって、下手に動くと老人に潰されるから。

例外的な高齢者もいるにはいるが、そんなのは数万人に一人。大木は、広い森に1本だけあるのがよい。そうした人は、後身を育て「陰徳を積む」。目立たぬよう徳を活かす。

高齢者が増えるのが別に悪いのではない。社会を牛耳るのが問題なのだ。

個人的なイメージでは、日本社会では60代に入ったらセミリタイヤを進め、70代で指導的地位を捨て、80代で完全引退しなさい。「老人に優しい社会」を標榜するのは、大木の保護というのは同じで美しく聞こえるが、その前に未来のあるべき姿を想像してほしい。そして稚樹を植えなさい、撫育しなさい。今より未来の世界を築くことに尽力するのだ。

さて、私は? ふん。若い者には負けてたまるか( ̄^ ̄)。わしの頭は冴え渡っておる。心も身体も柔軟。だいたい最近の若い者は知識も知恵もなくて発想が貧弱すぎる。従順で、覇気がなさすぎる。だからわしが、長年蓄えた経験と知識こそは社会の財産、それを活かすためにもまだまだ頑張らねば。。。。。え? それが老害だって? 黙れ!若造。馬鹿を言うでない、わしにたてつくなど100年早い。出て行け!!

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