大木の森は不健全。人は?
年末年始の世間を見ていて、以前より思っていたことを記そう。
世の中には大木が好きな人が多いが、それは老木が好きとも言うことになる。老木でも元気で成長たくましいのならいいが、ときとして瀕死の枯死寸前の大木もある。
人は、大木が林立する森を見て感動する。長く生きた樹木に浪漫を感じる。だから瀕死でも、大木ならありがたがって、そんな森を保護する。だが、大木ばかり(老木ばかり)の森は健全ではないのだ。樹冠は天を覆い、日射を遮り、地表に生きるものを追いやる。次世代の稚樹を育てない。結果として生物多様性も失う。気象変動にもひ弱で、一斉に倒れると、森は壊滅する。本来は、大木なんて、せいぜい数ヘクタールに1本あればよい。各世代が満遍なく育つ森が生態的には強靱なのだが……。
日本が衰退していると言われて久しいが、その原因を求める識者の論説は多種多様だ。人口減だからとする指摘もあるが、私は進む高齢化に求めたい。正確に言えば、高齢者の社会的地位にある。リーダー的地位にしがみつく。「年の功」というのは現状維持には向いているが、新規の取組には抵抗する。
昔の「古老」は60代だったそうだが、今や80どころか90歳を過ぎても社会の中心に座り続けたがる。
身近に見ていて如実に感じるが、高齢になると、明らかに社会的感度が鈍る人が多い。新しい視点を取り入れるのが億劫であり、過去の経緯にこだわり、より保守的になる。判断力も狭い範囲で行う。身の回りのことにこだわり、将来への座視を失う。ぼけているのに。それでいてリスクを負わない。不安感が強く、今の地位に恋々とする。ぼけているのに。より問題なのは、その判断を省みることもなくなり、自分を絶対視することだろう。若いときはできた客観的な視点と論理がぶっ飛んでも平気になる。それでいて、承認欲求は強くなる。ぼけているのに。
現代日本の抱える宿痾を、この老害に当てはめると見事にハマる。
テレビ番組で、そんな人がMCをしていると見るに絶えない。多選首長・議員が止め時を失い立候補を重ねる姿も痛々しい。そんな社会(政府・自治体、会社など)はおぞましく顔を背けたくなる。80代になってもトップを続けたいという発想自体がぼけている。哀れだ。とくに政治家なんて将来を考え厳しい判断を迫られる職業なのだから、70歳超えては危険すぎる。
恐ろしいのは、比較的若い人々も、そんな高齢者に引きずられがちになること。老人の論理に染まり、代弁者になりがちだ。若者もリスクを負わない。反旗を翻せない。だって、下手に動くと老人に潰されるから。
例外的な高齢者もいるにはいるが、そんなのは数万人に一人。大木は、広い森に1本だけあるのがよい。そうした人は、後身を育て「陰徳を積む」。目立たぬよう徳を活かす。
高齢者が増えるのが別に悪いのではない。社会を牛耳るのが問題なのだ。
個人的なイメージでは、日本社会では60代に入ったらセミリタイヤを進め、70代で指導的地位を捨て、80代で完全引退しなさい。「老人に優しい社会」を標榜するのは、大木の保護というのは同じで美しく聞こえるが、その前に未来のあるべき姿を想像してほしい。そして稚樹を植えなさい、撫育しなさい。今より未来の世界を築くことに尽力するのだ。
さて、私は? ふん。若い者には負けてたまるか( ̄^ ̄)。わしの頭は冴え渡っておる。心も身体も柔軟。だいたい最近の若い者は知識も知恵もなくて発想が貧弱すぎる。従順で、覇気がなさすぎる。だからわしが、長年蓄えた経験と知識こそは社会の財産、それを活かすためにもまだまだ頑張らねば。。。。。え? それが老害だって? 黙れ!若造。馬鹿を言うでない、わしにたてつくなど100年早い。出て行け!!
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