奈良のイチゴ栽培はいつから?
朝日新聞の奈良県版に、こんな記事。
近頃、奈良の農業ではイチゴが有名になってきた。生産量はさほど多くないのだが、次々と人気の高い品種を生み出してきたからだろう。あすかルビーに古都華(ことか)、珠姫(たまひめ)……いずれも甘さや旨味、そして巨大さなど自慢すべきイチゴ品種である。そのことについて紹介しているのだが、問題はいつから奈良県でイチゴ栽培が始まったのか、という点だ。
この記述に、ん?と思ったのである。大正時代に栽培が始まったとあるが、その後の「でも、その前の明治時代から有名で」これはどこにかかるのだ? スイカのことではあるまい。つまり明治時代からイチゴ栽培をおこなっていたと言いたいのか。唐突にスイカと比べるのもどうか。作付けというのもイチゴのことか……古都華。読取りにくい悪文。
なぜ、この点にこだわるのかというと、土倉庄三郎である。今も出版に向けてラストスパートしているのだが、その中にイチゴに関する記述がある。
「吉野の山中とは思えぬほどのご馳走が出る。西洋イチゴやイチジクなど、まだ町でもなかなか知られていない果物が出て、和洋折衷の料理に灘の美酒が並ぶ。」これは、1903年発行の「吉野乃実業」という雑誌の記事から引用した。1903年は明治36年。おそらく土倉家では、その何年も前からイチゴを食べていたのだろう。しかも牛乳をかけて「イチゴミルク」にしていたらしい
ところが、現在栽培しているイチゴは、一般にオランダイチゴと呼ばれる品種で、日本に自生するノイチゴ系とは別種だ。オランダイチゴは18世紀にオランダで開発されたという。日本には江戸時代にもたらされたが、花の鑑賞用で食用としてはほとんど普及していない。(
現在に続く品種の食用イチゴ栽培は、1898年にフランスによってもたらされてから。新宿御苑の温室で福羽逸人農学博士は、フランスの「ゼネラル・シャンジー」という品種から国産イチゴ第一号となる「福羽苺」を作出したことから始まる。この新宿御苑の温室については、土倉龍次郎も後に関わってくるのだが、その点はおいといて、皇室御用達だった。(1872年、明治5年から栽培し始めたとウィキにはあるが、ちょっと早すぎる。途中で途絶したか。)
となると、土倉家で食べていたイチゴとは何か。はっきり「西洋イチゴ」と書かれているのだから、このフランス経由の「福羽苺」だろう。それはどこで栽培していたのか。生鮮品だから、たとえば奈良の農業地帯である盆地の辺りとすると、どうやって搬送したのかが問題となる。当時は自動車さえそんなに普及していないのだ。山を越えて川上村まで1日で届くとは思えないし、コールドチェーン(冷凍輸送)もない。
川上村、それも大滝で栽培していたのではないか。牛乳だって、わざわざ大滝で乳牛を飼育して絞っていたほどの土倉家だ。十分有り得る。つまり、日本に持ち込まれて数年以内に苗を取り寄せて栽培をしていたと思われるのだ。それは日本でも相当初期だろう。
日本のイチゴ史を書くとしたら、奈良県と土倉家は欠かせないよ。土倉家について調べると、イチゴに牛乳のほかにも、いろいろ新しいものに手を出していて驚くことが多い。小学生男子の洋服と女子の袴も、日本のファッション史で特異だ。
古都華のかき氷があると聞いて食べに行ったが、デカすぎた……。
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