門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
田中 淳夫: 田舎で起業! (平凡社新書)
田舎は起業ネタの宝庫だ! その成功と失敗の法則を探る、地域づくりのバイブル
田中 淳夫: 田舎で暮らす! (平凡社新書)
田舎暮らしは田舎づくり! そしてIターンを受け入れる側の極意を本音で語る
田中 淳夫: チモール―知られざる虐殺の島
知られなかった東チモールと日本の関わりと独立戦争
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たまたま目にしたNHKの「ファミリーヒストリー」。矢嶋智人の回である。奈良の古い町並みが映る。
実は我が家も、ちょっとしたファミリーヒストリーに触れた。父が亡くなり、その相続のために戸籍謄本(除籍簿)を手に入れたのだが、ちょっと複雑な面があった。生まれた時は祖父(私の曾祖父)の籍にあり、その後父(私の祖父)の籍に入るも、早死にしたので兄の籍に移る……という段取りがあったのだ。これは昔は家長制度のため、生まれたときの家長は祖父だったからだろう。父が亡くなれば兄が家長になり、その一族になるわけだ。
それはいい。ただ目に止まったのは、私の曾祖父は安政六年生まれになっていたこと。そうか、江戸時代の生まれなのか。
そして、前戸籍名があったこと。そう、曾祖父は養子として田中家に入っているのだ。その点はうっすら聞いていたのだが、養子に来る前には別名だったとは。これは興味深い。養子だから名字が変わるわけだが、同時に名前も変えたのだ。
そして思い出したのである。
『山林王』のタイトルで出版を予定する土倉庄三郎伝には、多彩な土倉一族が登場するわけだが、資料をたどっていくと不思議な名前がいくつかあった。同人物を指すと思われるのに、名前が違う。別人なのか。
かなり悩まされて、なかには戸籍抄本をとってもらって確認した人もいるのだが、やがてわかってきたことは、結婚や養子などに行くと名前が変わっていたのである。
小菊は容志に、修子はナラエに。亀三郎はいったん三郎になったから2代目新治郎に。また喜三郎は篤ノスケに。そもそも庄三郎だって、実は二人いるのだ。父の庄右衛門は晩年か死後、庄三郎に改名している。墓石名は庄三郎だ。
さらに容志なのか容志子なのか。政なのか政子なのか。いや満佐子なのか。漢字の表記もかなり変わる。龍次郎の戸籍名は龍治郎だし、辰次郎なる表記もある。それが他人の勝手な当て字かと思えば、当の本人の署名までバラバラ (゚o゚;) 。
ついでに言えば明治の元勲の板垣退助は乾退助だったし、原六郎は進藤俊三郎だった。維新時に勝手に改名している。折原静六は本多家に養子に入って本多静六になった。
思えば戦前は、名前はわりと軽く改名したり、漢字は何を使うかいい加減だったようだ。今なら、改名するのはトンデモな手間がかかるのだが。名前は我がアイデンティティである! と気張るほどのものではなかったのではないか。
この改名のおかげで記録を辿る苦労もあるのだが、明治社会の風土というか世間の雰囲気が感じられて興味深かった。
先日訪れた明治神宮。何も鳥居ばかりを眺めていたのではなく、森も見て歩いた。
そして気付く。
照葉樹林とされている森には、意外と針葉樹(スギやヒノキ)や落葉樹も混ざっていることに。つまり針広混交林だった。スギやヒノキも大木になっていたから木材生産ができるのではないか。
そもそも明治神宮の成り立ちからすると、明治天皇を顕彰するのが目的で、大隈重信は壮麗な杉並木のある神社を望んでいたらしい。しかし、設計を担当した本多静六や川瀬善太郎は、ここの地質ではスギは育ちにくいと反対し、いろいろな資料を作成して大隈を説得した。ようやく納得させて、潜在植生的な照葉樹林となるような樹種を植えたのである。当時、少しはあったスギなども歳月とともに枯れて、残るのは照葉樹ばかり……となるはずだった。本多は、手入れせずに放置しても維持できる森として照葉樹林を選んだというが……。
だが、今日的には意外とスギやヒノキも目立つのである。これは自然に生えたのか?
そもそも川瀬は、日本に森林美学を導入した一人だ。そして森林美学という言葉を生み出したのは本多だとされる。原語は「森林美の保続」だが、それを森林美学と訳すなんてオシャレ。美しい森こそ、もっとも収穫多い森という理念だ。森林美学は、やがて恒続林思想へと発展するが、その要諦は針広混交林で維持に人の手を極小にしつつ木材生産できる森のこと。だから明治神宮は、恒続林のひな型と言えるかもしれない。
ちなみに、まったく手を入れないわけではない。
今回目立ったのは、こうした切り株である。かなり太い木が多く伐採されている。おそらくナラ枯れ対策だろう。大木ほどカシノナガキクイムシが侵入して枯らしてしまう(ナラやカシ類。スギやヒノキは大丈夫)。写真のバックに写っているのは、カシナガにやられないようラップ巻きしたのかね。
このように、そこそこ伐採など手を入れつつ、明治神宮の森は作られる。伐られた大木は、何かに利用しているのだろうか。
宮崎県の一昨年の木材生産額は、初の日本一となったというニュースが流れた。
農水省発表の林業産出額によると、2021年の木材生産額は321億7000万円。前年を124億円上回り、初めて全国1位だった。素材生産量は193万1000立方メートルで全国の約15%を占めた。
なお木材生産量では、宮崎県は針葉樹材と広葉樹材を合わせると204万2000立方メートル。北海道は316万3000立方メートルと宮崎より多いが、ウッドショックにより九州の木材価格が高騰したため、北海道を額で上回ったとみられる。
本当に望ましい成果なのか。材価が上がったのは悪くない。ただ北海道材だって等しく価格は上がったはずなのに、なぜ宮崎が(九州が)より高かったのか疑問だ。おそらくだが、宮崎県の方が出荷態勢が整っていて、ウッドショックで木材を求めている業者に素早く提供できたからだろう。製材業もたくさんある。これを喜ぶのは勝手だが、しわ寄せはどこに、いつ現れるかだね。
ただ宮崎県の木材生産量は、近年徐々に落ちていたはずだ。そろそろ伐るところが減ってきたからだろうと言われていた。が、ウッドショックで増強したのだろうな。どんな伐り方をしたのか……。これまで増産できないと言っていたのに増産したのだから、どこを伐ったのか。まさか盗伐を増やしたのではないだろうな……。
おりしも宮崎地検は、盗伐容疑者を不起訴にしてばかりいる。被害者の会が不起訴理由を聞きに行くと、話の途中で警察を呼んで排除したそうだ。盗伐(森林窃盗)は犯罪として扱わないということなのだろうか。。。。
本日、なぜかいるのは新泉社の会議室。
何をしているかと言えば、来月に出版する本の色校。色校というのは印刷前の、いわば見本刷り段階の校正だ。通常、出版までに行う著者の内容チェックは初校と再校の2回である。それに外部の校閲も加える。
ところが今回は、再校終えた後に編集者の見る3校目に私も参加した。それを終えて、もう終わりのはずのところに出てきた色校。そこに私が東京にいたものだから、また参加する。
さすがにこの段階では、よほどの誤字とか事実誤認部分しか直さない。版を刷り直すことになればコストも膨れ上がる。それは承知なのだが。なのだが。
結構直しを入れてしまったよ(´ω`)。。。間違いではないが、気になるところまで。
つまり、実質4校だね。
やりすぎ。表紙デザインもやり直してもらったし(((^^;)。
ここまでやったんだ。コスト膨れ上がらせたんだ、売れないと大変。
「山林王」。覚えておいてください。発売は3月25日予定。
こんな記事があった。結構、ドキドキというかショッキングな結果だ。
クマ目線でとらえたクマの食生活~首輪に内蔵したカメラでツキノワグマの食生活を撮影~
この研究は、東京農工大学大学院グローバルイノベーション研究院の小池伸介教授、学生の手塚詩織氏と長沼知子特任助教(どちらも当時)、アメリカのイリノイ大学のMaximilian L. Allen准教授、東京農業大学地域環境科学部森林総合科学科の山﨑晃司教授らの国際共同研究チームで行われたもの。ビデオカメラを内蔵した首輪を野生のツキノワグマに装着し「クマ目線」で食べ歩きの行動を撮影することに世界で初めて成功したというのだ。(アメリカの哺乳類学誌「Journal of Mammalogy」オンライン版に掲載)
ビデオカメラを取り付けた首輪を装着したのは、18年5~6月に関東地方で捕獲したオス2頭とメス2頭。日中に15分間隔で10秒間の映像が撮影されるように設定し、1頭当たり平均41日間撮影した。首輪を回収して映像を分析し、4頭から30種類以上の食べ物を特定することができた。糞分析法と比較したところ、クマの咀嚼や消化の影響で種類の特定が難しかった食べ物の種類を映像から明らかにできた。
その映像もアップされていた。「ツキノワグマのお食事」
わかったのはサクラ類の果実を主食としつつ、個体によってさまざまなものを食べていることだ。なかにはニホンジカの幼獣やニホンカモシカの成獣、そしてツキノワグマの子どもを食べている(オスによる子殺しの現象と推定)ことも判明。
これって、画期的かも(結果ではなく、研究が)。最近はクマの草食化が言われていて、植物食なら山に餌が十分あるから食うに困らなくなり、生息数が増えたと言われている。私は、人工林も放置が進んで広葉樹の侵入が増えているし、草が生えれば実もつける。それらがクマの餌になっているのではないか、それが数が増えた理由の一つではないかと想像していた。
今もそれ自体に異議はないけど、同時に野生動物も多く食べていたことが証明された。それもシカやカモシカだけでなく、同族まで。ただ、クマがシカを襲って仕留めるのは、そんなに簡単ではない。やはり幼獣狙いか、怪我している個体、もしかしたら屍肉かもしれない。
おそらく獣害対策で行われるシカやイノシシの駆除個体も、その場で埋められたとしてもクマの餌になるだろう(簡単に掘り起こせる)。
ツキノワグマにとって(おそらく北海道のヒグマも)、現代の日本の自然は餌が豊富なんだと思った方がよい。
なお、初夏は案外餌が少ないらしい。春の若葉や草の実と秋の果実の端境期だから。むしろ秋のドングリで栄養つけて、丸1年活動を支えているという。冬はもちろん春から夏も、前年のドングリの栄養頼みで生きているのか。
そこに昆虫や動物肉が手に入ったら、ボーナス的栄養源かもしれない。それで生き長らえることもあるだろう。肉食の最大の利点は、栄養(カロリー)が高いことで、少量食べてもエネルギーが得られることだ。人間は肉食し始めて、脳を発達させ余暇を手に入れたというしね。
ともあれ、動物の食性と生態は、まだまだ謎が多い。獣害対策にも応用できるだろうか。
日本茶の「ひげ茶」をご存じだろうか。
先日の月ヶ瀬梅林に行った際にお土産として買ったのだが、なんと1袋100円。(大袋で300円。)
月ヶ瀬は、実は梅林だけでなく、月ヶ瀬を含む大和高原全体が大和茶の産地でもある。そもそも日本に茶が伝わったのは大和が最初という伝承もあり、日本で最初の茶は奈良なのだよ。中国から茶を持ち帰った奈良時代の坊さんはが植えたとか。今は、奈良からほぼ隣の宇治に出荷されて宇治茶に化けていることも多いのだが……(ーー;)。
それはともかく、大和茶はそれなりに加工されて煎茶として商品になっている。しかし、ひげ茶とは。おそらく「とうもろこしのひげ茶」(韓国産らしい)ぐらいしか世間では知られていないのでは。お茶の産地だけしか出回らないように思う。
実は製茶の過程で茎の皮が剥けたものなのである。写真をアップしてもわかるだろう。葉でもなく、茎でもない。茎の皮なのだ。ある意味、かなり廃棄物感が強いのだが、それを月ヶ瀬では商品化していた。隣の、同じく大和茶の産地である奈良市都祁とか山添村とかでは見たことがない。製茶の際に出る粉は粉茶として商品化されているが、皮のひげ茶は知られていない。
茶の木の樹皮にも茶の成分テアニン、タンニンをよく含んでいるらしい。
そこで試飲してみたのだが、これがなかなかなのだ。色は薄めだが、十分に香りがあって渋みは少ない。しかも湯を注いですぐに出る。驚いたのは、急須に入れ放しにしておいて、時間が経った残りのお茶を飲んでみても、全然渋みなどが出すぎていないこと。時間を置いても味の変化が少ない。むしろ滲出時間は長めの方がよいかと思う。ちなみに粉茶は、どんなに短時間でも渋みが出てしまうから、ひげ茶の方が入れやすい。
これは、意外や隠れた逸品だと思う。隠れお茶遺産(^o^)。
おそらく月ヶ瀬でも、ひげ茶は農家の出す日常使いの茶なのだろうが、私は気に入った。実は我が家で飲む日本茶として購入しているのはかなり高価な茶葉なのだが、日常ならこれでいいや、と思わせた。まあ、身近に売っていないけど。
これは廃棄しかない、と思わせるものを商品にアップサイクルすることも考えてもいいよ。日テレの番組「鉄腕DASH!」の中の「ゼロ円食堂」のように廃棄物だって調理の仕方次第。
日経新聞(2月17日)に、「保持林業」の記事。
ちょっと抜粋すると、
森林を伐採する際、生態系保全のために樹木を残す「保持林業」である。
スウェーデンでは1ヘクタールあたり樹木を10本残すのが森林認証の要件で、すべての伐採地で保持林業が採用されている。日本は戦後造成した針葉樹人工林が伐採されて、再び単一樹種の苗木が植えられる。仕立てられる林は個性を失い均一化・単純化し、生物多様性が乏しくなる。しかし人工林でも、広葉樹が混交すると多様な生物が生息することも分かってきた。
そこで私たちは、北海道中部の道有林で大規模な実験を行った。樹木の残し方が異なる6通りの方法で人工林を伐採し、7年間にわたり鳥類を調査した。その結果、伐採前の調査では均一な針葉樹人工林に少量でも広葉樹が混じると鳥類が大幅に増えた。伐採後の調査から、広葉樹を少量でも残すと鳥類の減少率が小さくなった。
私たちは林業の盛んな高知県でも同様の取り組みを始めた。まずはスウェーデン型の1ヘクタールあたり10本が林業事業体にとって受け入れられやすいと考えた。30メートル四方に1本を目安に高木性の広葉樹を伐採時に残すことを目指している。
筆者は森林総研の研究員で、この記事は「私見卓見」という投稿のようだ。
ちなみに伐採地に木を残す手法としては、択伐がある。保持林業との違いは、一つに残す木の量と残す基準があるだろう。同じ伐採を目的としても、伐る木を選ぶ択伐とは発想が違う。そもそも保持林業は皆伐を基本として、その中でも少しでも自然を保全し回復を早める手法である。
私としては、保持林業が最良とは思えない(1haで残すのは10本だけか……)が、全面皆伐、一本残らず伐採に比べたらずっとよい。
もう一つ気に止めたのは、保持林業の実験を北海道でやっていることは知っていたが、高知でもやっているという点だ。
ちなみに静岡でもやっている林業家がいる。ただし、本人は保持林業なんて言葉を使わず(知らず)、自分なりのよい森づくりを模索した結果として行き着いた方法だそうである。広葉樹のほか、少し大木も残す。皆伐を条件に補助金を受け取っているのに、残したら補助金が出ないかもしれないと心配しつつ、それは覚悟の上と言っていた。こうして自分なりに信念を持って施業法を考えている林業家はいいなあ、と思う。
『フィンランド 虚像の森』を監訳する時も,「択伐」という言葉とは別に、「持続的成長管理型森林伐採」とか「持続的森林成長皆伐」なんて直訳が出てきた。このままではわけわからん。悩んだが、前者は前後の文章からドイツやスイスの方式を真似てやったというので「恒続林」と訳し、後者は皆伐とあるので「保持林業」と訳した。スウェーデンでは保持林業が進んでいることを知っていたから、フィンランドでも保持林業やるだろ、と考えたのである。
ともあれ、少しでも生態系的によりよい森がつくれる伐採方法を模索してほしい。択伐でも保持林業でも、恒続林でも何でもよい。どれを選ぶかは林業家自身が考え模索すべきことだ。
そろそろ花粉症の季節。つまりスギの花粉が飛び始めているのだが、そこで今年は花粉量が昨年の何倍だとか天気予報でも語られる。関東地方では、非常に多くなりそうだそうで……で、これは何の量だろうか。花粉の量とは何のこと?
花粉の重さ?かさ?数?生成量? まさかスギの葯室(花粉の入っている雄しべ)を数えたわけではないと思うが。
そもそも花粉を一つ一つ数えた場合の数とはどれぐらいだろうか。
そんな疑問に応えてくれる本を見つけた。ここでは秘す(笑)けど、これは私のネタ本になりそうだなあ。
もちろん花粉の生成量は毎年変わる、それも大きく変動するわけだが、それでも平均値はある。それによると……
花の一つにつく花粉の数は
ヒノキ、モミ、アカマツ----20万粒
ウラスギ(栄養繁殖)-----35万粒
オモテスギ、ウラスギ(実生)-50万粒
クロマツ、コウヤマキ-----150万粒
栄養繁殖、つまり挿し木苗で育てたという意味だろうが、種子から育てた実生とは全然違うのである。
さらにヘクタール当たりの数を出している。
オモテスギ----------40兆粒
ウラスギ(栄養繁殖)-----10兆粒
ヒノキ------------16兆粒
なんと、挿し木苗は実生の4分の1? ただし豊凶の差は大きく、2000億粒から100兆にも変動する。(オモテスギ)
なんとスギ林は、1年で1トン/ha。多い年は、1・5トンにも達するというのだ。これ、スギだけだから、ほかの木の分も合わせたら……。
毎年1トンだと、成熟した森林には莫大な花粉が眠っていることになる。なにしろ花粉は分解しにくいから何千年と残るからだ。ときに1万年前の花粉を採取して、当時の気候を調べる研究もあるが、森林土壌の中は花粉だらけかもしれない。
奈良市の月ヶ瀬梅林に出かけた。
ここは奈良県内の3大梅林の一つで、歴史も古い。規模も月ヶ瀬湖を囲む谷一面の梅は桃源郷ならぬ梅源郷だ。2月中旬から梅祭りもやっているとのことだったが……。
寒すぎる。体感では今冬でもっとも寒い。咲いているのは、寒紅梅や冬至梅などだけ。そんな中、歩いてきました(泣)。
現在梅の数1万3000本というが、かつては10万本とも言われた。花見と言えば今は桜だが、本来は梅だったという説もあり、幕末でも梅と桜の花見は両方あったようだ。
ただ梅は実用にもなった。梅干しはもちろん、実は月ヶ瀬では烏梅(うばい)をつくっていた。簡単に言えば梅の実の燻製で、染色の際の定着剤として重要だった。烏梅がなければ十二単も単純な色だったろう。そして烏梅は米よりも高く取引されたから、月ヶ瀬の里人はお金持ちだったのである。
さて、そんな中も発見があった。吉野の桜と似た話である。
桜は、文字通り花見用。花を愛でるために植えた。吉野山では、参拝客に願掛けとして桜を植樹させた。ところが明治維新の動乱期には、花見客が激減し、吉野山の桜も金にならないから伐って木炭に焼いて出荷する話が進んだ。そして杉と桧を植林しようとされた。
それを止めたのが、土倉庄三郎である。吉野山の桜を全部買い取って、桜を保全したのだという。
これは桜が洋なしになったのは吉野だけの話なのかなあ、と思っていたのだが、月ヶ瀬でも同じことが起きたという。明治20年ごろに化学染料が入ってきて、一気に烏梅の需要がなくなったのだ。
その時、梅を伐って炭にしたという。跡地には桑や茶を植えた。幸いそれを止めた人物がいて、梅林の保全が図られた。そして現在の観光用梅林に模様替えしていくのである。まあ、梅干しもあったが(^^;)。
そうか、梅も桜も需要がなくなれば、別のものに変わっていくのだな。
Yahoo!ニュースに「薪で銭湯復活!が引き起こした不都合なまちづくり」を執筆しました。
これはトクダネである( ̄^ ̄)。だって、どこの媒体でも扱っていないから。
ま、そんなことはよいのだが、なかなか難しい記事であった。どちらかというと、私は焚き火などで木を燃やすのが好きだからだ。この記事の執筆前にも、一度煙を味わっておこうと庭で焚き火をした。(短時間。30分もしていない)
煙かった。(> <;)ゴホンゴホン
ちなみに昔、某東ドイツ製の薪ボイラーの日本導入に立ち会ったこともある。その後の燃焼実験にもつきあっていた。その意味では、私はわりと薪ボイラーの生き証人。
これは、その時のもの。丸太を放り込んで点火したら長時間燃える優れもの、ということであった。ただし、煙は出たなあ。臭いは記憶にないのだが。ちなみに今回の風呂屋で使っているものは、これより一回り大きい。
なお、これまで私が薪ストーブの不都合部分を書いたら、薪ストーブ信者がかみついてくることが多かったのだが、今回は反対に薪ストーブのおかげで苦労している!という被害者の反応が多い。時代は移るのだよ。
さて、バイオマス発電にメガソーラーに続いて薪ボイラー問題。私も社会派になったなあ(笑)。
林野庁のホームページにモクレポ(№17)2月号が公開された。
これ、私のお気に入りなのだが、林産物のレポートを眺めているだけで、なんとなく日本の林業・木材事情が浮かぶだけでなく、どんどん連想が広がり、妄想も含めて楽しめる。オタクぽいけど(笑)。
たとえば日本の木材輸出に関するグラフ。
輸出相手国は圧倒的に中国なのだが、意外と伸びているのがフィリピンにアメリカである。フィリピン、かつては日本がラワン材を大量輸入して森林を破壊しまくったんだけどなあ~とか想像する(笑)。フィリピンにおけるスギ材の使い道を考えてみてもいい。
そして輸出額は伸びているのに、輸出量は減っている。ようするに木材価格が上がったのだろう。これもウッドショックと昨今の物価高の影響だと想像して、経済評論家気分を味わう(笑)。
ついでに中国の木材輸入の実績を見ると、丸太が増えて製材が減っているのね。自国で製材するようになったのだろうけど、日本的には不利だろう。どんどん買いたたかれて丸太しか輸出できなくなる。
こちらは日本の林産物輸出額。伸びている!と単純に喜ばない。ここ数年伸びているのは、なんと木製家具であった。これはいかなることか? 日本は、基本的に家具輸入国だからね。
日本の家具で輸出するものがそんなにあっただろうか。ニトリが輸出しているとか(^^;)。いや、輸出なら高級家具でなければ成り立たない。しかし材料は何だろう。国産材を使っているとは思いにくいのだ。広葉樹材は、ほとんどあるまい。輸入材か。もし国産材なら、合法木材証明などがいるが、大丈夫か?
これは謎だ。また探索しよう。
ほかにもウッドショックは終わって製材価格は低下傾向だが、以前よりは高い。が、立木価格はどうかなあ。
こうしたことを読み取りつつ想像していると、楽しいよ。
よくわからんが……。「フォレストサイエンス」誌の論文である。機械翻訳も交えながら読もうと努力したのだよ。
Agreement in Tree Marking: What Is the Uncertainty of Human Tree Selection in Selective Forest Management
(樹木マーキングにおける合意: 選択的森林管理における人間の樹木選択の不確実性とは?)
ようするに、(林業の)専門家と初心者に間伐をさせてみたら、結果がこんなに違うよ、ということが書いてあるのだと思う。選ぶ木が違ってくるのだ。
ただし、専門家がよいというのではなく、同じ指示を与えた際にちゃんとこなせるかという点を追及している。専門家が慣れ親しんだ専門的な行動や戦略を変更する必要がある場合に、上手くこなせないというのだ。そして、より集中的なトレーニングが必要であるという。
言い換えると、新しい森林管理方法を採用したようした場合、経験豊富な人ほど、強い動機付けが必要になり、経験の浅い個人よりも頻繁にトレーニングを必要とし、より多くの説得を必要とすると結論づけているようだ。
まあ、よくわからん(^^;)。誰か英語が達者な方がしっかり読んで解説してくれ。
もしかしてこの実験は、森林の持続的管理のために新しい手法を導入しようと思っても、専門家ほど言うことを聞かない、自分の経験を楯に取り入れようとしない……と言いたいのではないか。舞台がアイルランドなので、林業の盛んな地域のフォレスターではないのだろうが、昔ながらの林業家が(持続的ではない?)伝統的手法と論理で間伐をしているようだ。
さらに、経験や伝統に縛られない若い林業従事者の方が、森林管理の新しいアプローチを提供する上でより効果的である……と結論づけているよさうに読める。
この表が何を意味するのかもわからん(^^;)が、日本でも他人事ではないように思えますなあ。列状間伐ばかりやってきた「専門家」に、定性間伐、あるいは択伐のような選木法による間伐をするよう指示しても、なかなか上手くいかないかもしれない。
さて、ご意見は?
御所は「ごせ」と呼ぶ。御所(ごしょ)ではない。奈良県の御所市である。
ここは、レトロな町並みを売り出し中。レトロと言っても昭和ではなく、江戸~明治だが。古いお屋敷が並ぶ市街地を見学するツアーなども催されている。かつて大坂から奈良の当時の商業地(田原本や今井町など)への街道が走り、賑わった名残が感じられる。私は一人で歩いたのだが、目立つのは板塀であった。
格子戸や面格子の窓などが並ぶ町並みは、京都などにも多いが、この町では、とくに板塀が多い。
その古び方が、また風情ある(^o^)。
そうか、昔の建築は、柱や梁ばかりでなく、壁材、それも外観にも多用されたのか。この需要は大きかったのだ。
その中でも目が止まったのは、こんな壁。
この節の並び方は、もはや意匠だ。一本の丸太から薄板にしたのだろうか。それにしては枚数が多いから、やはり節の位置が同じ木を探して製材したのではないか。節は、今や盛り上がり立体的なデザインになっている。
現代の家屋ではやりたくても不可能だろうなあ。節を活かした製材なんてない、特注すれば高くなる、耐火にできない、腐食が怖い、強度がない……周辺から総ツッコミされそうだ。
しかし、現代風でもある。背後のむくり屋根の家屋とともに絵になりそう。
『戦国日本の生態系(エコシステム)~庶民の生存戦略を復元する』(高木久史緒 講談社選書メチエ)を読む。
これは、戦国時代の庶民の生業の研究書。舞台は現在の福井、越前だ。戦国時代のこの地域は、朝倉一族の支配地だったが信長に滅ぼされて柴田勝家の支配に移った。さらに丹羽長秀と代わる。この頃の政令や裁判記録から住民たちの生きざまを浮かび上がらせている。著者の高木氏は、大阪経済大学教授で同大学日本経済史研究所所長。
目次はこんな具合。
はじめに たくさんの「久三郎たち」の歴史
序章 生存戦略、生態系、生業――越前国極西部
第一章 山森林の恵みと生業ポートフォリオ――越知山
山森林の生態系の恵みと多様な生産/資源分配をめぐるせめぎあい/柴田勝家と森林史の近世化
第二章 「海あり山村」の生存戦略――越前海岸
生業は海岸部だけで完結しているか/海の生態系のさまざまな恵みと技術革新/行政権力が生業技術を求める
第三章 工業も生態系の恵み――越前焼
大量生産化と資源分配―考古学的知見が語る生産戦略/売る、組織整備、新アイテム――記録が語る生産戦略と近世への助走
第四章 戦国ロジスティクス――干飯浦と西街道敦賀
馬借たちの生存戦略と競争/水運業者たちの生存戦略と広域的な経済構造
終章 「久三郎たち」の歴史、ふたたび
凡例
参考文献
越前には海も川もあるが、このなかで森を扱った第1章は、林業の歴史を考えるにおいても、なかなか示唆に富む。
ここで細かく解説するつもりはないが、私が面白く感じたところは、信仰の対象となっている山の木も無断でどんどん切る庶民(^o^)。神木も伐採を阻止できないらしい。
納税記録からは、木材ばかりではなく、漆にススキ、そしてスギ皮が大きかったらしい。ちなみに檜皮という記載があるものの、当地にヒノキは分布していないからである。そうか、檜皮と書かれていても、必ずしもヒノキの樹皮とはいえないのか。
そしてスギの分布にしても、もともと生えていたというよりは人間が持ち込んで植樹して増やしたようだ。ヒノキは雪と湿潤の気候ゆえ根付かなかったが、スギは適していたわけか。
そして柴田勝家が秀吉に破れて、丹羽長秀が入国するのだが、そこで出した文書には木の苗を植えるよう命じている。これが。1583年なのだ。
かなり早い時期から植林による森づくり、つまり育成林業が始まっていたことを示す。今のところ、吉野や天龍などに古い植林記録があるが、それに近い頃に福井でも育成林業がスタートしていた?
……という風に見ていくと、さまざまな発見があった。
ほかに4章のロジスティックにも木材が絡んでくる。
林業とは何か、という原点から考えてみるにはなかなか役に立つよ。
こんな記事が目に止まった。福井新聞だ。
「放置されている山買います」材木屋の挑戦 建材やバイオマス燃料として販売、福井県鯖江市の井波木材
ようするに、福井県内の民有山林を買い取り、建材やバイオマス燃料として販売する事業を始めたのだそう。
・山林の購入金額は1ヘクタール当たり8千円で、合計千ヘクタールまで買い受ける。
・取得した山林の木を使って、ハウスメーカーや工務店などへの住宅用建材販売、木質バイオマスボイラーの導入施設向けに燃料のペレット生産を予定している。
・昨年11月末ごろから売却希望者の募集を始め、1月上旬までに約30件の相談が寄せられている。面積は1ヘクタール未満が多く、親から相続したが管理できず手放したいとの理由が多いという
とあるが、まだ成約までは行っていないのかな。ヘクタール8000円だとすると800万円の資金で1000ヘクタールか。まあ、放置林だったら、これでも喜ぶ人は多いだろう。その後の固定資産税も払わなくてすむから。逆に言えば、買い取った山林の納税が必要だ。
私も山買いをしている人に聞いたが、「一銭にもならない」と言っている山を何十ヘクタールか安く買い取り、その山をじっくり探索すると、必ず売れる木がそれなりに見つかるそうだ。元山主も知らないところに、素性のよいスギやヒノキが生えているのである。それらを伐って出せば、買い取り金額ぐらいは十分に出る。残った山も、それなりに使い道を見つけて安くても出せば金になり、それが全部利益になる……という話であった。
この記事の井波社長によると、バイオマスを狙っている面が強そう。発電ではなくて熱利用のボイラー燃料だが。伐って出し、ペレット製造するコストと、売り先は確保して採算が合うと睨んだのだろうね。そこが重要。
もう一つの心配は、伐採跡地だ。雑木林なら萌芽で更新できるが、人工林も少なくないと想像する。その場合は伐採跡地をどうするのだろうか。放置で大丈夫か。
そのうち全部バイオマス発電所行きや~!とならないことを望む。
京都の某中学校から「令和5年度入学選抜交差問題に係る作品の使用について」という文書が届いた。ようするに入試問題に私の作品を使ったという報告。中学校の入試ということは、受験者は小学6年生なのかな。
使われたのは、『虚構の森』の中の「マツタケが採れないのは、森が荒れたから?」。
これ、1章全文を引用している。もちろん問題にするための穴抜けなどはしているが。幸い、問題は私にも解けそうだ(笑)。
この季節は、ほかにも拙文を問題集に使わせてほしいとか、入試に使いましたという連絡がどんどん届く。使用許可を求めている場合は、せっせと返信しなければならないので、なかなか大変。でも、問題に使えるということは、日本語として読めると認定されたことでもあるから、有り難いことである。
そう言えば、昨秋に某JK、いや女子高生(^^;)からメールがきた。日本の森林をよくするため、林業を立て直すために大学の森林科学科をめざしているので教えてほしいというのだ。
はて、受験には高校時代に教わった科目の知識から出るのであって林業のことが出ることはないのでは? それは入学してからではないのか?
どうやら推薦入試も受けるので、面接もある。すると、なぜ森林科学を勉強したいのか聞かれるだろうし、自分の森林観や林業に対する知識と思いを整理して持っておかねばならない……ということらしい。
そこで幾度かメール交換して、自分にとっての森林とか、森林と人の関わりとかの考え方を伝えあった。教えたのではないよ。考えるためのヒントというかきっかけを与えただけだ。解答は自分で考えてもらう。なんでも「自分の森林の知識は全部田中先生の本からです」とかいうのだが、そ、それはマズいのではないか(苦笑)。
幸い、その後、合格の報告が届いた。多少とも役に立ったのなら有り難いことである。
ところで思うのだ。小中高と長く続く国語の授業には、さまざまな文章が選ばれる。そこに問題集や入試問題(この問題が、次年度以降の問題集に収録されることも多い)にも、分野を問わず文章が引用される。文学作品もあれば、エッセイもあるだろうが、それに対峙する生徒たち、いや国語の教師も含めて、自分の興味だけで読む文章には絶対に含まれない分野も多いはずだ。それでも半強制的に読まされる。問題にされたら、イヤイヤでもその文章の意味や筆者の心境などを推察しなければならないので、深く読み取る必要もある。
これって、すごいことではないだろうか。マツタケはどんな条件で生えるのか、その増減が日本の森林の歴史に係わっているとか、そんな知識は、通常の生活の中では触れない人たちが、問題を通して読み、知るのだ。
そう考えると国語の教科書や問題って素晴らしいなあ、と思ってしまう。
ちなみに思い出がある。中学生のときに教科書?に夏目漱石の「夢十夜」が出て、その意味するところを教師がクラス全員に言わせた。そして正解(というべきか)したのは私一人だったのである。
自慢ではないが、当時の私の国語の偏差値は、70を超えていた(自慢してるか)。模試でも、全国でトップクラスだったこともある。というといかにも自慢たらしいが、実はオチがある。別の模試では30台だったのだ。この振り幅はなんなんだ。
国語の読み取りには相性があって、自分の感性と合えば、ビシッと著者の気持ちが伝わるが、外すと興味は明後日の方向に向かい、著者の思いなんてどうでもよくなる。だから、今でも自分の文章の本意を読み取れる人は偏差値70以上か39以下の人だけだと思っている。すべて理解してもらうのは、どんなに文章に技巧を凝らしても不可能である、と私は観念しているのだ。それでも、根幹を外さないようにしたいのだが。。。
改めて思うのは、必要なのは教養ではないか、ということだ。教養とは、目先の知識ではなく、さまざまな分野の優れたものに触れることで醸成されるものだ。好き嫌いとは離れて、古今の名作文学を読み、自然科学や社会科学、人文科学の各人の知恵に触れ、そして読書を通して行う喜怒哀楽につながる疑似体験。そうしたものを吸収して培うものだ。
仮に地頭はよくて、有名大学や司法試験、医師免許などを一発で合格できても、教養を高めておかねば人間としては薄っぺらだ。
その教養の最初の一歩こそが、小中高と続く国語の教科書であり問題集に登場する文章ではないのかな。
昨日に続いて、林野庁ホームページ渉猟で見つけたもの。
森林生態系多様性基礎調査の調査結果のうち、第1期(平成11~15年度)・第2期(平成16~20年度)・第3期(平成21~25年度)・第4期(平成26~30年度)の調査結果を図表入りで公表している。
一つ一つ見ていくと、年代別の変化も含めて見られるので面白い。たとえば樹種別の分布だと、スギ、ヒノキ、カラマツ、アカマツ、アカエゾマツ、ブナ、コナラ、シイ・カシ類と取り上げている。マツ枯れ、ナラ枯れの時代の変遷なんぞもわかる。
これはスギの分布図。日本で一番多い樹種だろう。
森林面積の推移もあるのだが、気になるのは「その他」。
1割強が「その他」なのだが、第3期でいきなり増えている。何があったのか。そもそも「その他」とは……。
実は無立木地なのである。ほか竹林や樹種名不明の地である。やはり急に増えたのは、伐採跡地が増えたのではないか……と想像する。そして実際の森林面積は、1割少ないのかも。
……まあ、これを見てどうするんだ、と言われたらそれまで(^^;)なのだが、これを見て楽しむ人は楽しんでください。
林野庁のホームページを見ていたら、森林計画制度の見直し(令和3年度)というのがあった。
なんだ、2年前にこんなことをやっていたのか。と今頃知ったのだが、
て、そこに持続的伐採可能量の計算方法が出ている。それがカメラルタキセ法というのだそうだが???であった。
森林資源の保続に必要な伐採上限量について、カメラルタキセ式を用いて試算し、地域森林計画において、新たに参考資料として掲載することとしました。
全然わからんのだが、調べてみると、
カメラルタキセ法は,数ある収穫規整のうち,伐採量を加減することで現在の蓄積を法正蓄積に誘導していく法正蓄積法(数式法)の一つであり,カール法とともに較差法とも呼ばれる
で、こんな計算式が紹介されている。
全然わからん(泣)。それでも読み進める。
リンク張っておく。持続的伐採量の検討
本当に、こんな計算式使って森林計画を立てているのだろうか。とくに現場の地域森林計画は。誰か、もっとわかる言葉で教えてくれ。カメラルタキセ法ってなんだ? だいたい再造林率を不確定定数にしているが、それって再造林しないで済ませるところもあるよ、ということだ。本来、計画地は全部再造林させるのが前提ではないのか。しない場合にペナルティを設けるべきだろう。
せっかくだから、私の思い描くところの伐採地と面積の決定法を考えてみた。まず皆伐は1カ所1ヘクタールまでとする。そして地域(ざっと1000ヘクタール単位)の1割まで、つまり100ヘクタールまで可能。そこで100カ所の皆伐地をモザイク状に配置できたらいいな、と思っている。次回の伐採まで10年はあける。その100カ所の分布は山主で決めてほしい。早いもの勝ちではあるまい。
これで全部を切るのに100年になるから、いわば100年伐期だが、実際は間伐・択伐でも木材を出せるだろう。ただし伐採できない山もあるから、実態は7割の700ヘクタールで回すか。そんなに無理ではないと思うが。
こんな少ししか伐れないのでは林業が成り立たない、というのなら、その林業は間違っている。儲けることを求めると森林が持続的でなくなるのだから、林業は持続的に続かない。森林を持続させてこその林業だから。本末転倒させてはいけない。
Yahoo!ニュース「高市大臣の地元で外資メガソーラーが森を奪う」を執筆しました。
最終兵器的なネタなのだが、悩んだのはタイトルである。
これまで何気なく軽く付けたり、あるいは仮タイトルのままアップしてしまうことがあって、後悔することが多かった。なぜならネットの記事はタイトルが9割なのである。まとめサイトでタイトルだけで内容を想像し、本文読まない輩ばかり(>_<)。
そこで思い切ったタイトルを付けようと思ったが、余談じみた話題で登場させた高市大臣をタイトルにもってくると、ハレーションが大きい。きっと勘違いする輩も出るだろうし、抗議が来るかもしれない。最悪、訴訟リスクだってあるのだ。まあ、裁判で相手の意見をあぶり出すのも手であるが。ともあれギリギリを狙わないと記事が空文化する。
覚悟の上で使うことにした。許してね、高市ちゃん(^^;)。
さらに写真も悩む。最初に使ったのは、重機が大きく写っていて、森の開発ぽくないので差し替える。いろいろ気を回しているのよ。
こちらは最初の写真。森を切り開いてのメガソーラーぽさがない。
なお奈良県民としては、選挙に立候補しているすべての人物がどちらかの旗を掲げることを要求する。それが投票行動につながるのだから。あっちもこっちもいい顔だけ見せようとするんじゃないよ。
川上村の朝拝式に参拝してきた。
私は10年ぶりだが、今年はコロナ禍明けもあって、比較的賑やかで開放的。本来の秘密の儀式ぽさはなく、ツアーも組まれて、開場では村のコーラスグループの合唱もあったのである。
こうした写真も、以前はこっそり撮っていたのが、一般公開になったから菊の御紋入り天幕をわざわざ開けてくれる(^-^)/。兜と鎧がよく見えた。しかも式の終了後は、一般人も参拝できる。私も玉串を奉納したよ。
なお写真をよく見てほしいが、みんな口にサカキをくわえている。昨日の書いたとおりだ。また参加者は一般で100人以上はいただろうか。
もっとも参列者と話をしていると、なかなかの話が飛び出す。たとえば「子どもの頃は、あの(南朝皇胤・自天王の)兜をかぶって遊んだ」なんて証言も飛び出た(笑)。小学生のときらしいが、あまりに小さくて頭にすっぽりとはかぶれなかったそうである。自天王は、相当小柄だったか。
さらに「植林していたら塚を見つけたので壊したら、中から菊のご紋入りの短刀が出てきて、それで子供たちはチャンバラ遊びをした」とも。。。本当に後南朝の太刀が見つかったのなら、国宝級なんだが。
意外や、昔の方がゆるゆるだったらしい。今の方が皇室に敏感かも。
ともあれ、私は土倉庄三郎翁の本を出版することを報告して頭を下げたのである。タイトルは「山林王」と。
屋敷跡にあるサルスベリの大木。おそらく庄三郎存命時から植えられていたものと思われる。庭に植えていたのだろう。往時を忍ぶによすがである。
明日は川上村の朝拝式に参列させていただくつもりである。
調べてみると、前回に参列したのは、2013年。つまり10年ぶりということだ。果たして、変わったところはあるだろうか。まあ、560年以上も変わらぬ続けてきた儀式ではあるのだが。(一般人の参列を解禁したのは16年前、だったかな?)
そこで重要な植物を紹介しておこう。サカキの葉。本当の列席者、つまり筋目の人には、これが欠かせない。何に使うか。
このように口に加えるのである。何のためか。
声を発しないように。単に黙るという意味ではなく、この儀式のことは外に漏らすな、という口止めの意味があったようだ。そこにサカキの葉を使うのだそう。
ちなみにサカキは榊と書く通り、神様の樹だが、なぜそうなったのかわからない。常緑葉であることは関係していると思うが。神と人との境にある木だからサカキというのだが、ではなぜサカキが?という疑問の答えにならない。むしろ、神棚に祭る植物を「サカキ」と呼んだという説の方が納得しやすい。
つまり、地方によって「サカキ」の指す植物が違っていた。たとえば東日本にはあまり生えていないからヒサカキやツバキ、クスであった。カヤもそうかもしれない。そして、スギを「サカキ」とする地域もあるそうだ。そう、スギもサカキ、神の木なのか!
ちなみにサカキはマサカキともいうのは、そうしたほかの「サカキ」と区別するためだろう。
ちなみに奈良の春日大社では、境内に生えるナギをサカキの代わりに使う……と言われる。だから春日大社のナギは天然記念物だとガイドブックにも書かれている。
が、真っ赤な嘘、というか間違いなのである。たしかに天然記念物の指定を受けているが、それは自然分布から離れて純林を形成しているから。神聖な木だからではない。私は、春日大社に取材に行って、「重要な儀式はサカキを使いますよ」と言われた。ナギは、日常的に使う神具なのだそうだ。いわば、身近にあるからサカキの代わりに普段は使っておこう、という位置づけ。
春日大社のナギの葉
やはりサカキは神聖なのか……と言いたくなるが、現在世間に出回るのは中国産ばかりである。今や国産サカキが珍しくなった。でも、川上村ではサカキを生産している。またコウヤマキもお寺用に栽培しているところもある。スギだけではないのだ。これも森の資源である。
ついにシカ電車に乗った。近鉄奈良線の「ならしかトレイン」である。
外観は奈良の名所とシカ。萌え絵もある。
内装もシカ一色。座席の鹿子模様に加えて、吊り革だって。
見よ。シカが逆立ちしとる。
シカ電車が就役したのは昨年末だったと思うが、なかなか出会えなかった。近鉄奈良線を走る本数は少ないのである。正確には「ならしかトレイン」というそうだ。ようやく出会えた、乗れた\(^o^)/。
ちなみに奈良のシカ、奈良公園のシカを略して言いやすく「ナラシカ」と名付けたのは、私だ。『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』で命名したのだが、あまり広がらなかった。だが,ここで使われているとは。
やはり奈良はシカなのだ。古社寺よりも大仏よりも何よりもシカ。これが私の持論。大仏は一度見たらなかなか二度目は来ないが、公園でシカと戯れたら、また奈良に行きたくなる(と信じる)。観光資源は一にも二にもシカである。
自己認証というのがあることを知った。
森林認証制度や水産物認証制度のように産地や品質、そして環境など何かと証明する認証制度は数多いが、多くは第3者認証。つまり生産者(自己)でもなく買い手でもなく、第3の公正な目(機関)が基準を守っているかをチェックするわけで、だからこそ信用度が高い。日本の認証なんて、少し前のSGECを始めとして生産側の業界団体が認証していたりして、全然信用度がないと問題視されていたわけだが……。
あえて自己認証制度があるのか。水道とか電気関係の会社などで使われているようだが、よくわからない。
まあ、生産者側が自分であらかじめ決められた基準に適合するのかチェックするわけだから、審査期間は短く金もかからないだろう。だが、「我が社の製品は基準(環境とか品質とか)適合していました! と言ってどれぐらい信じてもらえるか。やはりチェック内容を完全公開することと、誰でも後から追いかけてチェックできることで担保しているのかねえ。
日本では森林認証制度がまるで進まない。直接的には金がかかるのがイヤ、手間が増えてチョー面倒くさい……などの理由だが、もし自己認証で行えるのなら随分楽になるかもしれない。
思えば流行りのブロックチェーンも、後で誰でもチェックできる、改竄はできない、というのがウリ。毎度、誰かがチェックしているのではなくて、周辺からチェックされるという緊張感が守っている。
ならばブロックチェーンを用いて森林自己認証制度にできないかと妄想した。基準も、木材の品質も。
ただし罰則はかなり厳しくしないと、みんなやり逃げになってしまう。また自己認証でも、思い切り宣伝すれば効果は出る。
もともと私は、認証なんてものすごくコストの無駄だと思っていた。しかしやらないと偽証ばかりだから信用できない現実がある。ならば自己認証で簡単にやってしまう、ただし徹底的な情報公開さえ行えば一定の効果はあるかも?と思い出した。
誰か森林の自己認証制度の基準を付けて挑戦してみないか。林業界にそれが成り立つ信用があるか怪しいけど。
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