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森と林業の本

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2023/02/17

梅林も木炭になった

奈良市の月ヶ瀬梅林に出かけた。

ここは奈良県内の3大梅林の一つで、歴史も古い。規模も月ヶ瀬湖を囲む谷一面の梅は桃源郷ならぬ梅源郷だ。2月中旬から梅祭りもやっているとのことだったが……。
寒すぎる。体感では今冬でもっとも寒い。咲いているのは、寒紅梅や冬至梅などだけ。そんな中、歩いてきました(泣)。

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現在梅の数1万3000本というが、かつては10万本とも言われた。花見と言えば今は桜だが、本来は梅だったという説もあり、幕末でも梅と桜の花見は両方あったようだ。
ただ梅は実用にもなった。梅干しはもちろん、実は月ヶ瀬では烏梅(うばい)をつくっていた。簡単に言えば梅の実の燻製で、染色の際の定着剤として重要だった。烏梅がなければ十二単も単純な色だったろう。そして烏梅は米よりも高く取引されたから、月ヶ瀬の里人はお金持ちだったのである。

さて、そんな中も発見があった。吉野の桜と似た話である。

桜は、文字通り花見用。花を愛でるために植えた。吉野山では、参拝客に願掛けとして桜を植樹させた。ところが明治維新の動乱期には、花見客が激減し、吉野山の桜も金にならないから伐って木炭に焼いて出荷する話が進んだ。そして杉と桧を植林しようとされた。
それを止めたのが、土倉庄三郎である。吉野山の桜を全部買い取って、桜を保全したのだという。

これは桜が洋なしになったのは吉野だけの話なのかなあ、と思っていたのだが、月ヶ瀬でも同じことが起きたという。明治20年ごろに化学染料が入ってきて、一気に烏梅の需要がなくなったのだ。

その時、梅を伐って炭にしたという。跡地には桑や茶を植えた。幸いそれを止めた人物がいて、梅林の保全が図られた。そして現在の観光用梅林に模様替えしていくのである。まあ、梅干しもあったが(^^;)。

そうか、梅も桜も需要がなくなれば、別のものに変わっていくのだな。

 

 

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