8刷で考える『林業は絶望』
『山林王』が発売されて、さあ、と力を入れ始めたとたんに風邪でダウン。
本日から、そろそろと動き出しているが、まだ体調は完全ではない。幸先よくないねえ。。。と嘆いていたら、大切なことを忘れてた。『絶望の林業』が8刷になったのであった。
これは、私の最高記録ではないかなあ。8刷の記憶は初めてだ。『「森を守れ」は森を殺す!』は7刷までだったし。
出版から約3年半、さすがに勢いは衰えたかと思いきや、今もゆっくり売れているようで、有り難い。
3年の間に林業界にも新たな動きはあるが、イマイチぴりっとしない状況が続いている。3年間で改善した点があるだろうか。どうも思いつかない。それどころか、林業の成功事例のように扱われていたフィンランドやスウェーデンの林業も底が割れてきた。日本だけの特殊事情とは言えないのかもしれない。
私自身は、今では林業という産業自体がそもそも絶望的な構造なんじゃないか、という仮説を立てている。
もともと生物対象産業(農林水産業)は、再生可能なのが特徴的である。その点で言えば、鉱業など有限の資源を対象にしていることに比べたらよほど救いがあるように思えるのだが、肝心の人間の欲望が無限なのだと気付いたのである。再生可能であるためには、抑制した利用を心がけないといけないが、実は人間の脳は、そうはできていない。欲は快楽であり、脳内には「快楽」を抑える機能が極めて貧弱なのだ。むしろ欲をなくすと生存できないようにできている。いわば依存症と一緒で、理性でダメとわかっても止められない。結果として、資源や環境の再生不可能な段階まで突っ走ってしまう。とくに林業は時間軸が長いため、農・水産よりずっと環境は快適になる。
これを元に『林業は絶望』という論考をまとめられないか、と思っている。人類の森林破壊の歴史を追いつつ、そこに絡む人間の脳生理学や文化文明論的に展開できないか……。
もちろん、妄想である。めんどくせーよ、そんな堅苦しい内容(-_-;)。
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