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森と林業の本

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2023/03/25

川上村の“遺跡”から拾われた言葉

病明け?ながら、吉野の川上村に行ってきた。

そこでちょっと寄り道。

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石垣ばかりが並ぶ山腹斜面…。見様によっては、インカの遺跡ぽくもある。もちろん棚田などでもない。かつては、この石垣の上に家屋が建っていた。行き交う人がいた。集落があったのだ。古くではない。せいぜい20年前まで。しかも、位置的にはそんなに不便な場所ではない。それが建物はすべて撤去されて人も移っていった。だから、いわばダムが生み出した「遺跡」のようなものだ。これだけの土地だからもったいないなあ、と思う。

これだけの集落全面移転が行われたのは、大滝ダムの建設が絡んでいる。ただし、この地域がダムに沈んだのではない。建設したことで、地盤が崩れたのだ。いわば緊急避難的に、住民は脱出したのだ。

この点については『山林王』にも、最後の方に記した。林業の村からダムの村に移る過程では悲しいことがあったのだよ。。。。

ただし、一点だけ。重大な発見がある。

このダム建設のために、緊急民俗調査が行われた。地域の歴史や生活調査が行われて記録された。その中に、岩井倉次郎という人物から聞き取られた内容が収録されている。当時、94歳だったというが、青年時代の記憶が紹介されている。それは樽丸づくりをしているところに訪ねてきた老人がいた。

それが土倉庄三郎だったとされるのだ!

晩年の庄三郎が語った言葉を自ら聞いた人がいたのだ。それをダム建設のための調査で聞き取られたのだ。庄三郎が自らの若い時と、現在(没落後)の心境を語った言葉が残されたのである。

その貴重な内容は『山林王』に収録してある。ぜひ、探してほしい。

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