古絵葉書から植生を読む
友人のカメラマンから生駒山のケーブルカーの絵葉書 (の写真)が送られてきた。おそらく戦前、100年ぐらい前ではなかろうか。
生駒のケーブルカーは、大正7年(1918年)開業。日本最古のケーブルカーである。複線であることも日本唯一ではなかったか。(正確には、近鉄生駒鋼索線と呼び、宝山寺1号線、2号線と分かれていたはず。)写っているのは宝山寺線で、宝山寺駅で乗り換えて山頂までつながる山上線が単線で存在する。開業時は参拝客と山上遊園地客を運んでいたが、今や日常はほとんど通勤線になっている。それほど宝山寺の周りに住宅が建ち並んだ。
私が気になるのは、鉄道より背景の植生だ。どうやらマツが多い。木も密度も低そうでスカスカに見える。生駒山は、江戸から明治にかけて草山だった記録がある。樹木がなく草ばかりだったのだ。薪炭や肥料として草を生やしたのだろう。大正年間は、徐々に樹木が生えてきた頃か。
撮った場所はわかるが、今とはかなり違う。同じ場所から撮ってみようと思ったが、すでに住宅が建ち並んでいるから無理か。
近いところでは、こんな感じ。踏切がある。今は住宅ばかりが目立って植生は目に入りづらいが、どうも竹林が多い。マツから落葉樹、照葉樹に移り変わった……と言えたら教科書的でよろしいのだが、実際は飛び越えて宅地化と竹林化が進んでいる。
そういや、アニメ「コクリコ坂から」には横浜の山の手の景観が描かれていたが、マツばかりだった。終戦間もない頃は、そうだったのだろう。それをしっかり描くとは、なかなかのこだわりだと思った。戦前の生駒を舞台にアニメを描くときは気をつけてね……って、そんな作品、誰がつくるんだろうか?
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