古代建築復原のジレンマ
昨日に続いて、平城宮跡歴史公園のお話。
紹介した通り、平城京時代の宮城の建物復原工事が進んでいる。これは文化庁事業だから、国の金で奈良の名所を作ってくれるのだから有り難い。
その復原には、なかなかのこだわりがあって、何より当時の建物に忠実に再現しようとしている。と言っても設計図が残っているわけではないので、どうしても想像が入る。そもそも、どんな建物の形状だったかさえ記録がないのだ。
そこで数少ない文書の記録を元に、発掘調査の結果や奈良時代の建物が残っているところ(たとえば唐招提寺とか)、あるいは中国の寺院などを参考にしつつありうべき姿を想像する。そこには建築技術やデザインの研究もあって、この復原を通して建築の歴史なども解明していこうという試みでもある。
現在は、南門の隣の東楼を建設中。そして建築だけではなく、その素材や加工道具も重要となる。縦ノコはないし、カンナもない。
使用された木材は考古学的にヒノキとしている。太さは80センチ程度。私は、おそらく1メートル以上はあったと思うのだが、それでは現在は木材が集まらないからこのぐらいに想定したのだろう、と思っている。面白いのは、背割りをしないこと。
通常、丸太をそのまま乾燥させたら縦に裂けるので、先に背割りを入れることで防いでいる。が、奈良時代は背割り技術がなかったとされているからだ。だから、ゆっくりじっくり乾燥させて、なんとか裂けないようにしている。(でも近くで見ると、小さな割れがいくつか入っているよ。)
ここまで、忠実にしようとしているのだが……。実は決定的な問題があるのだ。
建築現場の説明版。よく見てほしい。筋交いとか、耐震壁とか、免震装置、そして構造補強鉄骨フレームという言葉が登場するだろう。耐震壁というのは、だいたい厚物合板。免震装置はゴムや金属バネ、そして土台はコンクリートだ。もちろん奈良時代にあるわけない。
実は私も以前取材で合板や免震装置などを見学している。合板は外材製ぽかったなあ。
なぜなら、奈良時代そのままの建築だと建築基準法違反になるから。というよりも、危険すぎるから。ひ弱なのだ。だから見えないところに、こうした装置を組み込んで強度を確保している。
古代の建築技術はすごい! といって喜んでいる建築家もいるんだが、そんなことない。当時は極めて耐震も耐火も弱かった。おそらく直径1メートル以上の巨木を使うことで、重さと太さで強度を確保していたのだろう。それでも、危ない。実際、奈良時代の大仏殿は、建ててしばらくして傾いたり軒が落ちたりしている。
それにしても、古代の建築デザインや大工道具までこだわりつつ、鉄筋やコンクリート、合板を使わないと復原できないというのは、ジレンマだねえ。
« 樹木をこの形に剪定したわけ | トップページ | 木製時計を愛した末路 »
「木製品・木造建築」カテゴリの記事
- 国産材でバイオリンをつくる意義(2024.09.15)
- 伸びるか、木製フローリング市場(2024.09.08)
- 違法木材を飲み込む業界はどこだ?(2024.08.25)
- 10代目木製腕時計(2024.08.12)
- ホームセンターの薪のお値段(2024.07.24)
コメント